家出のJKを拾った男【仮題】
柿木まめ太
第一章
1
「この子、もう殺されてるでしょうね、可哀想……」
正面から聞こえた声に反応して、山上健二はわずかに視線を上げた。真正面の顔は斜め上を見ていたので釣られるように彼もそちらを見た。
吊り下げ式のテレビ画面にはセーラー服の田舎娘が映されている。一重まぶたが腫れぼったい、ソバカスの目立つ、地味なおさげの少女だった。
煤けたラーメン店は騒がしく、音声をはっきり捉えることは出来ない。二週間ほど前に発覚した事件の続報だということにはすぐに気付いたものの、あまり興味もない情報だった。
報道は連日、コロナ関連での感染拡大と景気後退とを深刻そうに話していて、たまに毛色の違う情報が流れれば、どこかの誰かが殺されたというような話ばかりだ。
あれほど警戒も露わに、どこに居てもマスクで防護していたような人々も、今では一番危険なはずの屋内でさえ平気で素顔を晒していたりするが。
健二もまた、顎に引っかけておいたマスクを邪魔に任せて剥ぎ取ってしまい、ポケットに突っ込んで麺を啜っていた。防御の意識も単なるお守りでしかない。
健二は正面の顔に視線を戻し、それからまたテレビに映る写真を見た。
比べるべくもない、目の前に居る女の横顔は美しい。けれど、可哀想などと言ってのける作られた口元に反して、冷ややかなその眼差しは何倍も素直に本心を告げていた。
画面には行方不明と明快な単語が映されているのに、もう死んでいるだろうなどと言ってしまうのだ、可哀想という感想も本意ではないはずだ。
心にもない言葉をなぜわざわざ口に上すのか、尋ねてみたい気もする。
健二は気にしすぎるタチで、思った言葉をズケズケと口に出来るほど脳天気ではない、ストレスばかりを溜め込んでいる。恋人が居ない淋しさを思えば、我慢できる不満ならば飲み込んだ方が良いとすら考える。
もう一度、華やかな美人顔と田舎娘の純朴な顔を見比べた後で、また目の前のラーメンに意識を戻した。
『A市で起きた事件の続報をお伝えしています。一家のうち四人が殺害されるという痛ましい事件ですが、犯人に繋がる有力な物証などはまだ見つかっていないとの発表です。遺体の発見された松野さん宅の周辺では、本日も明け方から大勢の警察官が出動し、現在も残る不明家族である長女の麻美さん十七歳の捜索が続けられています。現場は山あいの集落の外れに位置しており、遺体の状態から死後数週間は経っているとのことで――』
耳は雑多な音の中からなにげなくアナウンサーの声を拾っていた。目は器の中に落としつつ、時折は店内へと向けていた。
小汚いラーメン店に女性客は一人しか居らず、場所に似合わぬ洒落た衣装が目立つことも手伝って、あちこちの男客が興味ありげな表情で、彼女の横顔を盗み見ている。
誰も観てはいないテレビの音は、店内のあらゆる騒音に妨害されて途切れがちだ。美味くて、下世話で、気の置けない店だ。
こんな店へ来る程度には二人は親しい間柄で、こんな店のラーメンを黙々と啜っているくらいには、二人は倦怠を迎えている。
彼女はとうに食べ終えていた。汁はほとんど残している。健康志向だとかは健二の理解の外だ。麺を半量に、野菜も少なめにしてなお残すのだから、元から大盛りで頼む健二の方が食事に掛かる時間は遅くなる。
待っている間、彼女は同伴の男をじっと見つめている。例の冷ややかな目付きが、どこか一点を凝視している。
その目が本当には何を見ているのかは定かでない。だが、自身が観察されているような気がしてくると落ち着いて食事を味わう余裕もなくなる。
代わりに湧き上がるのは訳もない苛立ちだ。こんな小さなことに始まって、積もりつもった二人のズレが最近は我慢ならない域に達していた。
最後までスープを飲み干して、静かに器をテーブルに戻す。
「少し、距離を置かへんか」
用意したわけでもないその台詞は、すんなりと口から出ていった。
向かいで冷たくくつろいでいた安藤茉莉花、健二の交際相手は、唇を一瞬噛みしめてからうな垂れた。さしたる抵抗もないまま、彼女もまた何か似通った心境で居たものだろうか、
「そうね」
ぽつりと答えを出した。
予感は、二人共に持て余し気味にあったろうけれど、こんな風にうっかりと実現してしまうことの方が互いを驚かせたかもしれない。
大学四年間と社会人になってからの数年間が走馬灯のように駆けた。
常に一緒だと思っていたのに、駆け抜けた思い出は短かった。互いのすべてを知っていると思っていたが、ごく僅かだった。愛の死に感情がもつれた。
ほとんど唐突に、俯けた健二の脳天へと茉莉花の声がぶつかった。
「悪いけど、歩いて帰って。先に行くわ」
鼻を赤くして、茉莉花は椅子をひく。強張った頬に涙がひと筋流れるのが見えた。口にした言葉に後悔はないが、嫌悪は残った。こんな場面でこんな風に言うつもりはなかった。
もたもたと立ち上がる彼女の姿が視界の隅に映る。呪縛のように健二の顔は上がらなかった。バッグから取り出した財布を開こうとする手だけがはっきりと見えた。
色の白さが目に焼き付いた。顔を俯けたまま、俺が払うと告げるのはいかにも滑稽だった。歯切れの悪いそのセリフを、テーブルにぶつかる小銭の音が遮断した。
「バカにしないで」
苛立ちを含んだ声が頭上に落ち、そうして茉莉花の着ていたワンピースの柄が視界の隅を横切って消えた。健二の視線は落ち続け、わずかに残った薄茶の液体を器の底に見つめた。
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