優しい波紋 (花金企画 お題歩道橋に寄せて)
駅前の歩道橋に、今日も元気印の
丁度バス停の直ぐ横にあって、そのまま駅のコンコースへ向かうことができる。若い愛華は使っていないけれど、エレベーターも併設されているので、誰にでも優しいはずの歩道橋は、毎日たくさんの人々が行き来していた。
特に通勤時間帯は、バスが到着する度に、無表情な人々が一斉に同じ方向へと歩んでいく。
毎朝のそんな光景は、空から見ればマスゲームのような動きだろう。
一糸乱れぬその流れの中で、どこかのんびりと弾むように歩いているのが愛華だった。そんな愛華は、少しばかり余裕のある表情で周りの様子にも目をやりながら歩いていく。
その日は歩道橋を中ほどまで歩いた時、欄干にもたれかかっている一人の老婦人を発見した。苦しそうに肩で息をしているが、駅へ向かう人々の群れは真っすぐに前を見ているので、視界に入っていないようだ。止まれない水の流れのごとく、その横を通り過ぎていく。
「大丈夫ですか?」
愛華は駆け寄って声をかけた。
「ああ、お嬢さんありがとう。大丈夫です。ちょっと胸が苦しくなってしまったので休んでいたんですよ」
「お薬とかお持ちですか?」
「え、ああ心臓の薬が……」
老婦人は自分の鞄を開けようと手を動かしていたが、力が入っていない。愛華は「失礼します」と声をかけて、鞄を開き、中から薬のケースを取り出した。自分の鞄からは、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。
「どうぞ!」
老婦人は薬を飲んでしばらくして、なんとか発作が治まったようだ。家族に連絡して迎えにきてもらったので、感謝の言葉を何度もいいながら帰って行った。
愛華は見送ってほっとすると、スマホに目をやり愕然とする。
まずい! 遅刻だ! 慌てて会社へ連絡を入れて、急ぎ足で改札へと向かった。
☆
夏休みの朝のこと、今日も元気に歩道橋の階段を登ろうとした愛華は、人々の合間を縫って一段とばしであがってきた少年が、母親の呼び止める声に振り向いた瞬間、足を踏み外したのを見た。転げそうになったところを全力で抱え込む。手すりにつかまっていなかったら、二人もろとも転げ落ちていたかもしれない。
蒼白になった母親がやってきて、何度も何度もお礼と詫びの言葉を述べて頭を下げたが、愛華は明るい声で「大丈夫ですよ~」と手を振って歩き去った。
母子の姿が見えなくなったところで、そっと靴の踵を覗いてみる。変に力を入れたせいで、皮がむけてしまったようだ。ちょっと痛いなと思いながら鞄から絆創膏を取り出すと、ストッキングの上から素早くぺたりと張り付けた。
「よし、これで大丈夫!」
その後ろでぐらついた彼女を支えようと、手をのばしかけた影には全然気づいていなかった。
☆
その日愛華は体調が悪い自覚があった。それでも今日は大切な打ち合わせがあったので、体に鞭打って会社へ向かった。
いつもは軽やかな靴音が、今日は一歩一歩踏みしめるような歩みになっている。
その時、ふわっと意識が遠のき、一瞬目の前が真っ暗になった。
ああ! どうしよう……
ほんの数秒だったと思う。転げ落ちるはずだった体は、温かくて大きな胸に抱き止められていた。
「大丈夫ですか?」
真面目そうな瞳が、心配そうに揺れていた。
「すみません。私……ご迷惑をおかけしました。あなたも一緒に転げ落ちなくて良かった……」
ほうっと安堵のため息をついた愛華に、その男性は驚きつつも微笑んだ。
「こんな時まで他人の心配ですか? あなたって人は……」
優しい眼差しに変えて、愛華の体調を気遣ってくれた。
「私は大丈夫ですよ。それより体調が悪そうなのですが、病院へ行かれたほうがいいんじゃないですか」
「そうなんですけれど、朝一番の打ち合わせにでないと」
「それはあなたがいないとダメなんですか?」
「……確かに、行ってもご迷惑かけるだけかもしれませんね」
しょぼんとした愛華に、男性は優しく言った。
「一緒にお仕事している方たち、きっと迷惑なんて思わないと思いますが、あなたの体は心配すると思いますよ」
「ありがとうございます」
愛華は会社に連絡を入れると、そのまま病院へ向かうことにした。
「ありがとうございました」
「お大事に。無理しないようにね」
男性は爽やかな笑顔のまま、改札へ吸い込まれて行った。
☆
数日後、すっかり元気を取り戻した愛華は、またはつらつと歩道橋を登り始めた。
「おはよう! 元気になって良かったよ」
あの時の男性が、にこやかに笑いながら後ろに追いついてきた。
「あの時は、本当にありがとうございました」
階段上まで進んでからお礼を言うと、男性はいやいやと首を降る。
「いつものお礼」
「いつもの?」
「いつも君は周りを良く見ていて、困っている人がいると助けているよね。俺、偉いなって思っていたんだよ。俺はあんな風に知らない人に直ぐ声がかけられないからね」
「え! でもこの間私を助けてくれましたよ」
「それは、君に勇気をもらったから。それに……たまたま後ろにいたからね」
「そんな風におっしゃっていただけて……嬉しいです」
二人はにっこり微笑み合うと、今度は一緒に肩を並べて歩き始めた。
一糸乱れぬ無表情な流れの中、弾むような歩みが二人。
二人の動きはそれぞれ違うけれど、柔らかく絡み合う旋律のように、優しい波紋を広げていく。
その揺れは小さいから、きっと流れは変わらないだろう。
けれどいつしか、無表情ではいられなくなるかもしれない。
歩道橋はそんな日を夢見ながら、今日も大勢の人々を支えている。
fin
P.S 浪花の元気印さんへ捧げます。
あなたの優しさは拡がり続けています。
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