第11話 空を見上げて

まず向かうのはアルテミス。

羽鐘の家だ。


ブロックで表現すると、現在地からは約5ブロック先。

大体1ブロックを200mほどと換算して、1kmはある。

平均的なジョギングスピードだと6分程度。

さほど遠くはないが、今の状況だと無駄に時間がかかるので、

1kmの移動はかなり遠いと言える。


フォーメーションを崩し、マンションの陰に身を隠した3人。


『ここからが本番よ、いあ、むしろ応用編と言っていいわね、つまり、本番よ本番、いい?角もたくさんあるって事は死角もたくさんある。出会いがしらのゾンキーが何より怖いから、不用意に角には近づかずに用心に用心を重ねて用心タワーにして。いい?いいよね?』

如月の低いトーンでの注意事項が逆に怖かったので、

『タワー?ミルフィーユだろそこは!』

と言いたいのを我慢して、

2人は首をこくっと下げて頷き、目で合図した。


『アルテミスのミスド(ミステリアスドーナツ)だとここから…』

パイロンがルートを頭で検索する。

『いつもは住宅街を抜けてきます』

羽鐘の回答に対し、如月は

『近さを取るか、安全を取るか…』と呟く。

つまり住宅街を通るのは近いが危険だと言う事。

習慣で動き回るのがゾンキーとするならば、

住宅街は最も危険と言えるだろう、主婦ゾンキー、子供ゾンキー、

お年寄りゾンキー、夕方になれば学生ゾンキーや父親ゾンキーが

居る可能性が高いからだ。


『体力も考えると、住宅街は避けた方が良いな・・・』

そう言う如月に対し、

『遠くなればなるほど、睦月が遅くなるよ、暗くなってから睦月が一人になるのは危なくて申し訳ございません』

そうパイロンが心配した。


『わかった、そうしよう』


住宅街を抜けることに決まった。


まっすぐ伸びる舗装道路を挟むように、

パステルカラーの屋根がズラリと並ぶニュータウンは、

明るさも温かさも感じないゴーストタウンと化していた。

ニューゴーストタウンと言う表現をするのが

ここでは最も望ましい気さえするほど閑散としている。

人影は全く見えず、気配も感じなかったので、

身を屈めて進む。


車が突っ込んだらしく、その先では電信柱が折れかけている。

と言う事はここでも当然騒動は起きていると確認できた。

周囲を見回しながら注意深く進む3人。

天気が良いので、いつもの日常であれば、素敵な散歩だったのに。

そんな事を思った如月の斜め前で、先ほどの折れかけの電柱が

ミシミシと音を立てて倒れようとしていた。

『左へ避けて!』

如月が2人へ声をかけて安全な場所を確保。


ズズズズ・・・・

電線を引っ張りながら電柱が倒れだした。

バチバチと音を立てて電線が2本切断された。

かろうじて残り3本の電線で倒れるのを耐えているかのように、

電柱が動きを止めた。


『ふぅ・・・・』


どれだけ息を止めていたのかわからない程に緊張した3人は、

深い深いため息を吐いた。


バチバチバチン!!!!!!

ズドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!


もの凄い音を立てて、安心しきっていた3人の後ろで電柱が倒れた。


ガチャン!


グルルル・・・・


ウガァアアア・・・


ブグァアアア・・・


今の音で周囲に居たらしいゾンキーが一気にこちらに気が付いた。

もの凄い数だと言うのが唸り声で感じ取れた。

3人は合わせたかのように一気に走り出した!

しかし前からも道を塞ぐようにゾンキーがこちらへ向かってきた。

右も左も逃げ込むスペースなんか見えなかった。


またもや絶対絶命の一歩手前!

いわば絶対ちょい絶命!


『車!』


そういうと如月は乗り捨てられた車に乗り込み、

2人も続いて乗り込んでドアを閉めてロックした。

しかしそれはもう完全に見られていたので、

ゾンキーがすぐに群がってきた。

車を囲まれてしまい、成す術がない状態に如月は

『去るとは思えないけれど、破られることはまずないと思うの、大きな音が鳴ったりして、ゾンキーの注意が反れるのを待つよ』

と、安心させようと言い放ったのだが、もはやそれは

神頼みにしか聞こえず、もうダメだと2人は感じた。


ドン!バタン!バンバン!


ゾンキーが一斉に車を手当たり次第に叩く。


こんな状況でなければ、淡いパステルグリーンで

レトロ調な可愛らしい丸いフォルム、

内装もオーク系のウッドを所々に使い

ワインレッドに近いレザーとの調和で

癒しの空間だったものを・・・。


『私が住宅街を抜けると言ってしまい、申し訳ございません』

パイロンは涙目でそういうとうつむき、下唇を噛んだ。

『パイロンは行くとは言ってない、それに決めたのは3人で・・・でしょう、連帯責任!』

と如月が言うと3人は押し黙ってしまった。


『・・・・せー!!!!』


ゾンキーのうめき声の中に混じって人の声が聞こえた。

『何か聞こえた!』

如月が言う。

『私もです!もう幻聴までし始めました私ー!』

『し!スティールちゃん、静かに』


『・・・・せー!!!!』


声がした方を3人が見る・・・

群がるゾンキーの隙間から見える家の2階、

窓から男が何かを叫んでいた。


『サイドブレーキを下ろせー!!!』


はっきり聞こえた如月はサイドブレーキを下ろした。


カチャ!ストン!


父親の運転を見ていたのですぐにそれだと分かった。

少し窓を開けて如月は

『それからどうするんですかー!』

と叫んでみたがもうその姿はなく声も聞こえなかった。


数分後、わずかにゾンキーが先ほど叫んでいた男の家の方へ

流れて行っているように感じ、目をやると玄関からあの男性が!


バットで次々なぎ倒して車まで小走りで向かってきた。


思いっきりサイドを刈り上げた黒髪の

ソフトモヒカンっぽい髪型に黒縁の四角い大きめの眼鏡、

着ているヘンリーネックを血まみれにしている。

ダメージジーンズを履いているが、

もはやそれはダメージなのかダメージを負ったのかは

判断がつかない程にはダメージだった。

その男が運転席側に辿り着き、

如月にまぁまぁな音量で話しかけた。


『俺は噛まれた、噛まれたらどうなるのか妻を見て知っている、奴らになる前にせめて君たちを助けさせてくれ』


その男の左肩からは大量の血が流れていた。

ゾンキーを押しのけて後ろに回り、

両手をガッチリ車にあてがい、

『うおー!!!!!』と叫ぶと車を押し始めた。

無防備なその男にはゾンキーが次々と噛み付き始める。

腕の筋肉を引きちぎられ、背中を噛まれ、

耳をもぎ取られ、眼球にも手を突っ込まれている。

何を基準にそう呼ぶのかはわからないが、

3人の耳には『生々しい音』が次々と刺さりこんできた。

それでも悲鳴ひとつあげずに身体で車を押し続け、叫んだ。


『ハンドル握ってろー!行くぞー!』


如月は『はい!』と返事をすると、

前だけを見つめてハンドルを握った、

車は少しづつ前に動いていた。

パイロンが男に声をかける

『お名前を!あなたのお名前を!』


男は痛みなのか苦しさなのかはわからないその声で

『うおおおおおおおおおおお』

と叫ぶと、坂道を車が自然に下り始めた。


まさに断末魔の叫びだった・・・・。


だが、3人の耳にはっきりと

『そーらーを見上げてー♪涙をーかくしぃいい♪』

と、歌声が聞こえたのだった。


体中噛まれていると言うのに、

更に歌って注意を引きつけてくれている…

そう3人は理解した。その歌声もさることながら、

今の三人にはその歌詞が突き刺さり、

心を抉られ全員奥歯が割れそうなほど噛みしめ、

まるで痛みを堪えるかのような顔で静かに静かに

歌詞とは真逆に、下を向いて涙をこぼしたのだった。


車は加速し始め、ゾンキーをなぎ倒し、振り払っていった。

突然現れ、救ってくれた男の死を悲しんでいる時間は無かった。


『私のデスボイスであの人助けられたかもしれない』

そう言うスティールに対し、如月は

『あれは確信がないからダメよ』

とすっぱり切り捨てた。だが続けざまに

『数が少ないときに試しておきなさい』と言う。


『おきなさいって…別れるの前提な言い方しないでよ』


鼻を垂らしたパイロンが外を見ながら静かにつっこんだ。


『それどころじゃないっつーの!!!!!』

気が付くと車は下り坂でどんどん加速していた。


『ブレーキ踏んでほしくて申し訳ございません!』


『アホか!踏んどるわ!全然きかへんねん!』


如月の地団駄のようなポンピングに対し、

スゥ!スゥ!と

人を馬鹿にしたようなブレーキペダルの反応を見て

パイロンは無言で納得した。


『ハンドル切って!カーブカーブ!!!』

後ろの羽鐘がガシガシとシートを叩きながら叫ぶ。

その目はもうまん丸で飛び出しそうだった。


ハ!っと何かに気づいた如月が思いっきり右に

ハンドルを切り、同時にサイドブレーキを引いた。


一気に車体が流れてテールランプで半円を描くように

車の後部が付いて行くと、タイヤが悲鳴を上げたかのように

けたたましい音をあげた。

カーブは奇跡的にテールスライドで抜けるが、減速する気配がない、

如月がサイドを目いっぱい引きすぎてワイヤーが伸びたのだろうか、

サイドを握りしめた左手をハンドルに持ち替える如月。

しかし殆ど制御不能の車はカーブを出た時の横滑りに

カウンターを当てたままの状態をキープし、

車はその勢いを殺さないまま一軒の家の門に突っ込んだ。


ドガシャァアン


これもまた初めて聞く音だったが、

家に突っ込むと言う大事故の割にはショボい音に聞こえた・・・


しかし衝撃はそれ相応だったらしく、

激しい勢いでエアバッグが膨らみ、

如月とパイロンを救った。

後ろの羽鐘はとっさにしっかりとシートベルトをしたので、

振り飛ばされることもなく助かった。

抜け目ないと言うか、見た目よりしっかり者の羽鐘。


3人とも無事だった。


エアバッグを押しのけて『プハ!』と一息つくと如月は

『エアバック始めて見た!なんか可愛い!いやぁ・・・ニード・フォー・スピーディーやっててよかったぁ!カウンター当ててたのわかった?』と言った。


『何それ?』

とパイロンが聞き返すと同時に羽鐘が割り込み、

『ゲームですよね!カーレースの!私、モスト・ウォンテッド24 好きでやってたっす!多少の衝突なんか気にすんな!って感じで走れるところと、ドリフトの気持ち良さが最高っすよね!!!』

と意気投合。


『そんな事より早く降りて移動!今の音で集まって来るよ!』

と、如月との共通話題を見つけてこれから!

って勢いの羽鐘を惜しげもなく、超有名な空手家総帥の

ビール瓶斬りのように会話をスパッと切り落とし、

180度方向転換した如月の指示に迅速に従う2人、

もはや軍隊じみた統率力。


周囲を注意しながらややしばらく歩くと


『もう少しです』


羽鐘が嬉しそうに、そして不安そうにそう言った。


『保証はないけど、きっと大丈夫!あ、大丈夫と言えば・・・』


『しー!睦月しー!・・・心配はみんなする、してる、しっかりして・・・ね?そういうのって伝染するから、気持ちはわかるけど皆同じ。ここは一人ひとりがしっかりしなきゃ、ね、スティールちゃん』


ややこしくしそうな如月マシンガンの

トリガーが引かれる前にパイロンが手を伸ばし、

その元であるマガジンの装填を防いだ。


『はい!』


そう、返事をすると、凛とした表情で家を目指し始めた。

少し進むとミスド(ミステリアスドーナツ)が見えてきた。

しかし、ミスドファンだった習慣だろうか、

結構な数のゾンキーが居た。

ミスドの3軒手前の家のコンクリートの車庫が目に入ったパイロン。

『あの車庫、頑丈そうなので、音を立てて注意を逸らして、私たちは車庫でゾンキーから身を隠し、隙を見て逃げる・・・そんなのはどうかと思ってしまい申し訳ございません・・。』


『それいい!』

と言うと如月は身を屈めて忍者のように

ススススと歩幅を小さく、そして早く車庫へ移動した。

ドアを確認すると開き、鍵も中から可能だった。

ドアの前で大きく両手でマルを作った。

それはまるで『マル』と言う商品があったら

コマーシャルで絶対一般人が大勢集まって一斉に『マル!』

とやるだろうと言う様な膝の屈伸を交えて

少し姿勢を低くするタイプの、

言わばおちゃらけた部類のマルだった。


『はぁ?もう作戦開始なの?睦月さんてほんと、真っすぐっすね。なんかめっちゃ歯だして口角上げて目玉ひん剝いてるし・・・・』


『今はそれが彼女のイイところよ・・・自動的に私たちが音を立てる仕事をすることになったけれどスティールちゃん、ここで私は映画で見たのやってみる、まさかの時は援護頼むわね』

そういうとタタタと来た道を戻り、

ぶつかった車までたどり着いた。

【パイロンさんもなかなかだなぁ・・・】

と思う羽鐘。


『スティールちゃんは周囲を見張って!でも見つからないように!』


『了解っす!』


パイロンはバールで給油タンクをこじ開けて、キャップを

『えい!』と気合を入れて最初の一ひねりをクリアした。

キュキュキュと回してキャップを外すと、割りと嫌いじゃない

ガソリンの香りがした。ポケットからハンカチを出し、

半分を給油口の中へ押し込んだ。


『爆破っすか!?』


『理科室を爆破、次は車を爆破、2日で2度の爆破事件を起こしてしまい、

申し訳ございません。』


木村ゾンキーから手に入れたライターで

おもむろに火をつけると、『走る!』と一言残して

羽鐘の手を握り、その場を猛ダッシュで離れた。

なぜ両足を広げてガニ股なのかはわからないけれど、

車庫の前で如月が早く早くと言うジェスチャーをしている。

ほぼ同時に2人が逃げ込むと、

数秒後に大爆発が起きたのだった。


ドォオオオオオオオオオ・・・・・・ン。


これは想像以上の音だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る