第45話 犯人の名字は安西!?

「言われるとそうだな。仕切りがないってことは、それだけこの部屋は支えが少ないってことだもんな」

 いいところに目を付けたと、英士も設計図を覗き込む。アトリエのある建物は、その空間のために他に柱が多く設けられたかのような複雑な設計だ。いや、部屋を無理やり残りの空間に押し込んだからこうなったのか。

「よくよく見ると、不思議な設計図だよな」

「だろ。これって誰が作ったんだ?」

「どこかにサインはないんですか」

 三人は千春からの情報を諦め、設計図を食い入るように見る。しかし、まるで意図したかのようにどこにも設計者の名前が記されていない。

「怪しいな。ちょっと待て」

 こうなったらと、将平は本部に問い合わせることにした。連続殺人が起こってもなお周辺情報しか集められない警察は、こういう些細なことを徹底して洗っているはずだ。

「おい。安西の屋敷の設計者は解っているのか」

 将平の電話に翔馬も英士も固唾を飲む。そこにヒントがあるのでは。そんな期待が高まっていた。

「へっ。安西友也。それって」

「実はびっくりする事実があったんだ」

 きょとんとする将平に向け、電話に応じている刑事の声が一段と大きくなる。嫌な予感が急激に翔馬を襲う。友也という名前が記憶にある。それが意味することは一つしかないのではないか。

「隠し子がいたんだよ。一度も結婚していないから、隠し子って言葉が正しいのか解らないけどな。ただ、個人宅を請け負う時は安西と名乗っていたらしい。しかし安西はペンネームみたいなもんで、別の名義の方が有名だ」

「安達友也」

「そのとおりだ。まさに招待客の中にいる。しかし、二人が接触した証拠はその建築物だけだけどな。それと名前の通り、本物の安西は認知していない。いや、安西は息子の存在を知っていたかさえ疑わしいけどな。ただし、息子の住んでいる何度も鎌倉に足を運んでいるし、金は払っていたらしいが――それは女が目当てだっただけかもしれないか。ともかく、この情報を掴むのには苦労した」

「それって安達の心情を考えるとヤバくないか」

「ああ。明らかに重要参考人だろうね。この機会に認知を迫ったってことはないだろうけど、何か要求していた可能性はある。丁度、安西は終活の最中だ。それこそ、少しは金を寄越せと迫っても仕方がないんじゃないか。それは招待客の一人である、緒方がよく知っているだろう。尤も、緒方も隠し子に関しては把握していないみたいだったな」

 刑事がそう言った時、翔馬は心臓が止まるかと思った。それって、千春は今敵の手中にいるってことにならないのか。なぜか翔馬はそんな心配をしていた。そしてがばっと、あの嫌がらせの入ったゴミ袋を掴んでいた。

「どうした」

「筆跡鑑定ですよ。なぜか一部の宛名が印刷されたシールじゃなくて手書きなんです。この手書きの手紙、ひょっとしてその安達が書いたものってことはないですか」

「まさか」

「直感ですけど」

 翔馬の必死さに将平は思わず受け取ってしまった。しかし、確かに奇妙なことがある。それは最初の問い、どうして呼ばれたのが千春だったのかということだ。

「まさかと思うが、この嫌がらせも安達がやったのか」

「解りません。でも、総てを繋ぐ糸はこれしかないと思います」

 あまりに執拗な嫌がらせだが、一部に違和感のある嫌がらせ。そしてそこに紛れ込むようなパーティーの招待状。どうしても関連を疑ってしまう。そして今発覚した、隠し子であるという事実。どう考えても友也が裏で何かしているはずだ。

「筆跡鑑定を頼む。あと、安達って奴の資料をメールしてくれ」

 たしかにこのノーヒント状態の突破口は安達友也にしかない。将平は腹を括ると、電話に向けてそう言っていた。




「トリック。たしかにそうでしょうね。不思議なドアといい、この天井といい。まるで何かを仕掛けるにはお誂え向きという感じだ」

 仕切り直すように友也はにっこりと笑って指摘する。ダイニングには、いつしか張り詰めた空気が流れていた。まるで今から総てが明らかになるかのような、そんな緊張が伴っている空気だ。

「そもそも、どうして安西先生はこんな奇妙な建物に住んでいたんでしょうね」

「そうですね。不便な山の中に不可思議な建物。無意味に分断される二つの建物が示すことは何でしょう」

 友也の言葉はどこまでも挑発的だ。総ての解を提示してみせろ。そんな挑戦を受けている気分になる。

「分断。たしかにそうですね。二つの独立した建物が渡り廊下で繋がっている。それは唯一の繋がりであるはずなのに、時間によって通行不可能となってしまう。まさに独立した建物が二つある状態です」

 そして千春は、その挑発に導かれるように言葉を紡いでいた。どういうわけか、それによって散り散りだった計算が合致するような気分だった。まるで自分が人工知能になったかのようだ。

「通行不可能の原因は地下水」

「ええ。しかし、それを建物に引き入れる必要はないはずです。生活用水として使うとしても、天井に溜める必要はない。しかし、実際は天井に水を溜め、しかもドアの仕掛けと連動させている」

「そのとおり」

 そこでバチっと火花が弾け飛ぶのを錯覚した。ああ、この建物はそもそもが奇妙なのだと、今更になって知る。二つあることが奇妙なのではない。水が関係していることが奇妙なのだ。それをあの渡り廊下が覆い隠している。

「安西は若手の芸術家を支援していました」

「つまり、この建物もまた若手芸術家の手によるものだということですね」

「そう。安西はその男の正体を知らずに近づき、この家の建築を託してしまったんです。同じ安西という名前に惹かれてね」

「なっ」

 今、友也は誰もが知り得ない情報を口にした。それこそが先ほど感じた火花の正体なのだと知る。そうだ。友也は今、一つの答えを口にしている。千春がトリックだけを考えると宣言したためだ。

「つまり下地として、この家にはすでにトリックが仕組んであった」

「そういうことになりますね。ただし、それと殺人がどう結びつくかです。奇妙に捻じ曲がった死体。そしてどうして遠藤先生だけが腹を裂かれていたのか。安西も内臓が飛び出していましたが、それは捻じ曲げた時に出来た副次的なことだ。異質なのは遠藤先生だけ」

「そうですね。この行為は必要あったのか」

「つまり、それだけが異質である」

「ええ。あれだけが、犯人がわざわざ施したことではないかと推測できます」

「なるほど」

 会話は淡々と続くのに、そこに流れる空気はどんどん冷え切っていく。大地が思わず身震いするのが、視界の隅に入った。事実、部屋の温度が下がっているということか。それが示す事実は何か。考えなければいけない気がする。山の中だから気温が下がっているだけなのか。昨夜、寒いと感じただろうか。思い出せない。

「事件の要因として深夜に起こった。これがありますね。誰も目撃者がいない」

「ええ。そして、外を回る以外にあの建物に移動する方法はなかった」

 しかし、友也が別の思考を許さないというように、次の問いを発してくる。答えながら、どうして自分は答えているのかと妙な気持ちになる。

 思えばずっとこの友也に振り回されていないか。部屋割りがもし友也の意図を反映しているとしたら、振り回されていて当然なのか。そして一緒に外を見てこうして一緒に考えている。友也は一体何を考えているのか。

「しかし、周囲には野生動物が出現するという」

「そう。つまり、あの殺人はトリックを発動するだけで成立しなければおかしくなる」

「そうです。安西先生を殺すにあたり、犯人は手を下していない。まさにトリックだけです」

 友也は楽しくて仕方がないという調子で続ける。そしてにっこりと笑った。まるで自分が犯人だと、そう告白しているかのようだ。いや、実際犯人は友也なのだろう。他に犯罪が可能な人間はいないのだ。この屋敷の性質を知らないという、決定的な差によって。

「では、何が必要かというと」

「天井の水を奔流させる方法ですね」

「そう。あの奇妙な捻じ曲がりは水圧によるものだったということです」

 その言葉に、忠文は目をひん剥いていた。こいつが本当に犯人なのか。そう気づいたのだ。ただの推理合戦ではないと忠文も悟っていた。しかし、まさか犯罪の告白を含むとは思ってもいなかったのだ。

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