第18話 密室殺人だ
「ともかく、アトリエ近くの庭の確認をしましょう」
ひとしきり周囲を確認した後、今度は横一列になって進むこととなった。証拠の見落としの防止と、万が一犯人と出くわした場合、こちらに向かって来ないようにだ。安西の死体の状況からして、犯人が何らかの凶器を持っていることは解る。現場には落ちていなかったことから、確実に犯人は持ったままだろう。
庭はどこも手入れが行き届いていて、足跡があればすぐに解る状態だ。それは客室のある建物側と変わらない。違うとすれば、アトリエのある建物の周りには時折奇妙なオブジェが置かれていることだ。昨日ちらっと見えたのはその一つで、アトリエにあるものとは限らなかったらしい。
それらは様々な形に彫刻されているものの、大きな石に感じてしまうのは千春が芸術を理解できないからだろうか。それにアトリエの近くにあるものはやはり奇妙に傾いていた。
「こういうのって先生が置いたんですか」
千春は気になって田辺に確認する。
「え、ええ。新人作家のものをいくつか購入されていました。庭も広いし、丁度いいからっておっしゃられて。こうやって購入するのは、活動資金の援助という形ですね。それに、先生が買ったとなれば注目されますし」
「なるほど」
千春は昨日の安西の言葉を思い出す。理解されないことに悩んでいた時期があったのだという。ということは、なかなか芽の出ない芸術家を応援していたとしても、不思議ではなかった。
「ここがアトリエの窓ですね」
庭に面する形に一面のガラス張り。たしかにそこがアトリエの窓だ。ここまで、足跡らしいものはない。知らず唾を飲み込んでいた。そこからはよりゆっくりと進んで行く。しかし、何の形跡も見つけられない。さらに自然と足が止まってしまった。そこから陰惨な現場が見えるのだと思うと、重苦しくて進めない。
「現場ですね」
「ああ」
外から見ても異様さが解る、真っ赤な部屋。そこに辿り着いて、全員が呆然としてしまう。その先に進もうとは誰も言い出さなかった。
「どうやら、本当に密室みたいですね」
友也が困ったものだと肩を竦めたところで、一先ず引き上げることとなった。
殺人事件が発生したというのを真っ先に知ったのは、もちろん刑事の将平だった。ばたばたとしている最中なのだろう、昼休みのタイミングにがなるような電話が翔馬に入ったことで、大学にいるメンバーも事件を知ることとなった。
「殺されたのは予想外に安西らしい」
「いや、うちの先生が殺されるとは、一言も言ってませんけどね。嫌がらせはされていても、殺害予告はされてません」
思わず否定した翔馬だが、それにしても招待した安西が殺されたというのは意外だ。まさか千春がかっとなってと、そんな心配をしたが、それはないなと将平はあっさりだ。
「まだ現場を見ていないから何とも言えないけどな。千春にそんな根性はないってのは断言できる。というか、頭に血が上るタイプでもないしな。お前、肝心なところで信じないんだな」
「公平なだけですよ」
そう弁明した翔馬だが、たしかに真っ先に疑って悪かったなとは思う。しかし、それも本人に知られなければ問題ないだろう。
「そういう冷徹さが、たまに怖えよな。お前」
将平が顔を顰めるのが、電話でも解った。冷徹と言われたことはなかったので、そうかなと首を傾げる翔馬だ。自覚がないのである。
「まあいい。俺はこれから応援に紛れ込んで現場まで行って来る」
「本庁の横暴ですね」
「勝手に言ってろ」
応援の人たちは大変だなと思いつつ、そこで電話は終わってしまった。スマホを確認したが、肝心の千春からは連絡がなかった。せめてこういう時くらい、メールを打つという行為をしてほしいものだ。スマホは常に一方通行に情報を発信するものではない。
「どうしたんだ?」
そこに、殺すだの殺されるだの不穏当な発言は何なんだと瑛士が首を傾げていた。今は昼休み。英士は生協で買ってきた弁当を勝手にテーブルに広げている。自分の研究室で食べればいいものを、わざわざやって来るのだから、彼もまたなんだかんだ言いながら千春が心配なのである。
「それが、先生のいる場所で殺人事件が起こったらしいです」
「なに、それはまさか千春が」
「違いますよ。殺されたのは安西です」
「ああ、それでさっきの」
よく解らない会話に繋がるのかと、納得した英士は割り箸をぱきっと割った。そして、いただきますと、唐揚げ弁当に食らいつく。やはり英士も、殺されるならば千春なのではと思っていた証拠だ。それが翔馬には納得できないところだが、確かに嫌がらせ犯がパーティーの中に紛れ込んでいたのならば、あり得た話だ。
「心配しているくせに、食欲はあるんですね。たしかに椎名先生に何かあったわけではないですけど、心配が大きくなりましたよ。おかげで俺、今の電話で食べる気がなくなりました。それよりも先生にメールしないと」
「あいつがちゃんと、スマホに気を払っていたらいいけどな。普段からスマホなんて気にしているのかしていないのか、解らん奴だ。俺があいつと友達になって真っ先に学んだことは、メールしないってことだからな。こんな非常事態だと存在を忘れているんじゃないか」
「うっ」
メールを打とうとしていた翔馬の手が、その言葉だけで止まった。そうだ、あの人は多分、スマホの電波が入るかさえ確認していないだろう。実際は確認していたのだが、日頃の行いの悪さがここで祟る。メールを打つのは止めになってしまった。
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