第2話 猫耳少女の契約書

 

  

  

 ――第六魔法学院、第二校舎の屋上の影に和灘悟はいた。


 昼になり、せみ達の大合唱はやたらうるさく、正直かなり鬱陶しいというのが彼の今の心情だ。

 いや、わずらわしいという意味においては蝉の方がマシだろう。


『あははははははははははは!電話して来たと思ったら、か、開口一番に、ら、あは、ははっ、落第しました、って!!おー兄ちゃん、さ~いこうッ!ははははは』


 何せ、携帯越しにこちらを馬鹿にして笑う妹――和灘遥七わなだはるなの声がそれ以上に癇に障るものだったのだから。


 そう、試験終了後に琴梨から落第の通告を受けた悟は、妹にその報告をしていたのだ。付け加えるならば、遥七の失礼かつ嫌味ったらしい哄笑交じりの台詞に、現在進行形で引き攣った笑みをたたえて…と言ったところか。


「で?何でわざわざ私に電話掛けて来たの。今昼休憩なんですけど、次の時間体育なんですけど、着替えるんですけど、だから早く昼ごはん食べたいんですけどぉ」


 遥七の棘のある言い方に、悟の笑みが更に強張った。


「か、簡単にいやぁ…その。ら、落第の通知が学院から来ると思うので……というか来るので、とりまそれを、お、親父とお袋に見つからねぇようにしといて…く、下さいッ」


 十六年余りの人生で無駄に培われてきた、兄としての微かな自尊心に致命傷一歩手前の傷を負いつつ、悟は中学二年生の妹に懇願した。


「?いいけど、もし見つかったらどうすんのお兄ちゃん」


「そこをどうにかすんのがお前の仕事ッ!頼む、マジ後生だから!」


「お兄ちゃん、それ言うの何回目か知ってる…?」


 呆れの感情が滲んだ呟き。

 その後に、遥七が溜め息を付き悟に尋ねる。


『てか今さらだけどさ、なんだって突然オカルトめいた事習う学校入っちゃったりしたかなぁ…』


「そこを聞くか…。いや何、お兄ちゃんにも深ーい事情があってだな」


『ふ~ん、ねぇ…』


 悟の曖昧な返答にいぶかしむ遥七だったが、それ以上は追及してこなかった。


『ホンット、困った兄を持つと、妹って苦労しちゃうなぁ…。あ、でも、そっちで何か打てる手があるんだったら、取り敢えずそれやってよ?あと、女神のように慈悲深い遥七ちゃんに貢ぎルリヴィトゥンのバッグお願いね』


「それは、俺が打てる手打って、見事落第回避したらなしで良いんだよな」


『え、何言ってんの、貢ぎ物はもう決定事項だよ当たり前じゃん。お兄ちゃん馬鹿なの?』


「おう、お前に頼んだ俺が激しく馬鹿だった…」


 思わず肩が落ち、悟の口から情けない声を伴った言葉が漏れた。この妹、慈悲深いと言っておきながら、そのじつただ単に欲深いだけである。そして悟は思った、来世は優しくて可愛い義妹のいる家庭に生れたい…。

 そんな馬鹿な考えに数舜浸り、しかし瞬時に思考を切り替える。


「へいへい…分かりましたよ、ルリヴィトゥンね~。覚えとくっ…」


『何か適当ー。言っとくけど、これ約束だかんね?分かる?難しく言ったら契約だよ、けーやく。しかも今回ってば、圧倒的にお兄ちゃんは立場が弱いッ。のでのでぇ…本日交わされました契約に関しまして、遥七ちゃんは如何なる理由があろうと契約破棄をゆっるしっませ~ん。んじゃ、そゆことでっ。バイバ~イ、お兄ちゃーん』


「あっ、ちょ、待っ!今日早めに帰って――」


『――』


「き、切りやがった……」


 両親より早く家に帰ってポストの中身を確認しておくよう妹に注意したかったのだが、あえなく失敗。

 一瞬絶句するも、「まぁいいや」と悟は携帯をズボンのポケットにしまった。


 あの態度からは一見想像し難いが、何だかんだ言っても遥七は家族の中で頼りになる。少なくとも、どこの馬の骨とも知れぬ【魔術師】の百倍は信頼出来るだろう。


「【魔術師】、かぁ…」


 腕を組み、溜め息交じりに悟は呟いた。

 それはこの現代の日常生活では聞き慣れない言葉、精々小説などの創作物に出てくる程度だろう。

 しかし、公にはされていないがそういった存在は現実に実在する。


 とは言っても、怪しい魔術に関する研究やら何やらをしている訳ではない。いや、昔はそれなりにあったらしいが、今は【魔術師協会】なる組織がかなり厳しく規制しているらしい。実際の所どの程度機能しているのかはかなり怪しいが……。


 さて、では彼等はどのような存在か?

 学院入学から一年以上の時を費やして悟が導き出した答えは、『魔物・悪魔専門の何でも屋』だ。認識自体は授業として得た知識と照らし合わせても間違ってはいない。

 ただし、それは職業的な意味合いが強く、幅広い意味で【魔術師】を形容するならば――


「魔術使えるってだけの『ただの人間』なんだよなぁ、アイツ等って。まぁ、本人の目の前で言ったら間違いなく殺されるよな…うん、冗談抜きで……」


 言いながら軽く想像してしまい、怖気が言葉尻に現れ震えた。

 だが、一度聞けば矛盾したようなその表現が悟には一番しっくり来る。

 そう、彼等は人間だ。、悟の知る限りのあらゆる生物の中で、最も欲深く業の深い『ただの人間』なのだ。


 故に、


「それに魔術なんて物騒なもん使える分、厄介だし。あと、犯罪の種類によっちゃ足も付かねぇ……。そりゃ一般人見下すし、優越感に浸るか」


 屋上より一望出来る、学院を囲むようにしてある森林、その更に奥に見える街並みを見下ろしながら悟は呟いた。そう、この風景を眺める事で自分が現実の世界にいるのだと再確認するかのように。


「まぁ…魔術、だもんな」


 時に炎を操り、時に天候や地形を変え、そして時に時空さえも歪める事が可能な力――魔術。


 一般的には非現実、奇跡。

 それ故に、自分は他人とは違う、特別だ。程度の差はあれど、そう考えてしまう【魔術師】は少なくない。


 だが、そうでない者もいる――和灘悟だ。


【魔術師】は【魔術師】の家系からしか輩出されない。

 が、悟の知る限り、彼の家系にはそれに該当する人物が一人もいない。いたとしても、相当遠縁だろう。つまり、和灘悟は一般家系出身で才能などほぼ皆無。魔術が使える事自体、奇跡と言っていい存在だった。


 そして。


「うん、今まで通り俺が序列最下位の最弱者ワーストっていうのは、あの生意気な妹には黙っておこう」


 知らぬが仏、世の中、真実を伝えることばかりが正しい訳ではない。

 もっとも、そういう意味においては、遥七は既に呆れの段階までに至っているので手遅れではあるのだが…。


 ともあれ、落第は由々しき事態だ。早急に手を打たねばならないだろう。


「つッても、出来ることねぇしなぁ…。ん?いや、琴梨先生に土下座と靴舐めって手段が残ってたな」


 打つ手があるならばそれを実行しろ、というのは目に入れても痛くない程可愛い妹との約束だ。


 そう、決して悟の性欲まみれの頭の中でエロい妄想が膨らんだ結果『あれ?性格はアレだけど、これは土下座しているていを装って下から綺麗なお姉さんの下着を合法的に見られるなんて、嬉し恥ずかし羨ましいことが出来るチャンスなんじゃないか』なんて考えに至った訳ではない。


 断じて全くこれっぽっちもそんなよこしまな思考が脳裏を過ってなどいない。いないったらいないのだ。


「ぐふふっ。ぃよし、そうとなれば善は急げ、職員室に直行だッ」


 言いながら、悟は下の階へと続く扉へ猛ダッシュ――


「えいっ」

「フベッ」


 しようと一歩踏み出した瞬間、足を引っ掛けられ無様に顔面から地面へダイブを決めた。


「な、なにしやがる…こ、このにゃんこ娘ッ……」


 鼻先の激痛に悶絶しつつ、自分をコンクリートとの過激なキスに陥れた少女に文句を言った。


「いえいえ、たまたまそこに引っ掛けやすそうな足があったもので…つい」


「そんな理由で転ばされる俺を不憫だとは思わんのかッ!?」


「いいえ全く?」


「くそぅ、どうして俺の後輩はこんなにも冷たいんだっ…」


 例の少女の前で、四つん這いになりながら嘆く悟。


 猫真ねこま緋嶺あかね、少女の名前だ。


 緋色を宿した瞳に、ショートボブにした艶のある栗色の髪。細く小柄な体躯をしており、顔つきは整っている。


 そんな彼女が持つ一番の特徴と言えば、やはり


 曰く、自身の使う魔法の副作用なのだとか。詳しいことは悟にも分からない。


 何せこの猫耳娘との付き合いはまだ三ヶ月程度。それに、後輩であるのだから四六時中共にいるわけでもない。


「まぁ、嘘ですけど。本当は落第した先輩を慰めに屋上まで来てみたら、意外と元気で、寧ろ性欲にまみれた行動に移ろうとしてるようだったのでそれを止めようと思っただけです」


「うーむ、なるほど……。って、いやいや、もう少しやり方ってもんがあるだろ!」


「女の敵にか弱い少女が立ち向かおうというのに、手段を選べって言うんですか先輩?」


 そこを指摘されたら、まるで弁論出来ないのが痛いところである。


 さしもの悟も言い返せ――


「安心しろ、この学院に序列最下位を相手にして負ける奴は一人もいない」


 ……普通に言い返せた。


「えっと、先輩には【魔術師】としてのプライドとかそういうのないんですか?」


「ない!」


「……なるほど、納得です」


 間髪入れずに宣言されたその言葉に、猫耳少女は一瞬言葉を失った。

 しかも、見ればそこには、清々しいまでの悟のどや顔があるではないか。

 理解の台詞を口にしながら、緋嶺は密かに思った。この男はもう駄目なのかもしれない。


「さて、まぁ安心して下さいよ。わざわざ引き留めたのにも、もうちょっとだけ理由がありますから」


 悟の目の前でしゃがみ込み、緋嶺はそう言って悟の話を戻す。


「と言うのも、先輩、この学院で落第した生徒には追試があるの知ってます?」


「いや、まるで初耳なんですが」


「まぁ過去の記録を見ても落第する生徒自体圧倒的に少ない、って話らしいですからね」


「な~るほど、俺は特殊ってことか」


「えぇ、物凄く悪い意味で」


 相変わらず的確ではあるが辛辣な返しである。少しは先輩を敬って欲しいもんだ、というのが溜息をつく悟の本音。

 が、そうも言ってられない。

 悟は緋嶺の方を向いて胡坐を掻き、口を開く。


「んじゃ、詳しい話を聞こうか」


「仕方ありません、話してあげましょう。その追試っていうのは、すなわち、【迷宮】攻略です」


「………………」


 絶句した。それはもう激しく、思わず顔が引き攣った程に絶句した。


「何ですか、何か言いたげですね」


「…何かって……攻略の意味分かってるか?」


「当然です。知ってると思いますが、私、【迷宮】科の生徒なので」


 だったら、なおのこと問題だ。



 【迷宮】。悟の記憶が確かであれば、それは世界に出現した異空間のことである。

 そして、そこへと続く【ゲート】は数多存在し、形は様々。当然、どれ一つとして同じ異空間に繋がっていはしない。


 が、問題はここから。


 【迷宮】と言えば聞こえは良いが、そこに金銀財宝が眠っている訳でも、ましてや聖剣やらが眠っている訳でもない。


 攻略には何日、もしくは何年もかかることだって希ではない。最悪、【迷宮】の中で死を迎えることになることもある。


 ならば何故そんな場所に立ち入るのか…。答えは簡単だ。


!」


「?当たり前でしょう。【迷宮】なんですから」


 天使、悪魔、神、魔王。

 そういった存在は、やはりというか“いる”らしい。


 と、なれば神話に出てくる怪物などもいるわけで…。それらのもの達は基本、魔物と呼ばれている。


「ま、序列の関係で魔物どころか迷宮の中すらまともに拝めてないんだけどな」


「あぁ…【最弱者ワースト】は【迷宮】は入れないんでしたっけ?」


「現実的な話、弱すぎるから実技がほとんど受けらんねぇって学院の判断らしいぜ……」


 どの学科でも、一年の後半に一度は【迷宮】へ挑戦することになっているが、悟はそもそも学院の規制でそのスタートラインにすら立てず去年は不参加だった。


 恐らく、緋嶺の言った追試もその規制とやらが掛かって受けることは出来ないだろう。


「出来ますよ?」


「だろだろ、ってことで――今なんつった!?」


 眼前の猫耳少女の言葉に一瞬、悟は己の耳を疑った。


「だから無理じゃないんですって。ほら、これっ」


 そう言って緋嶺が懐から取り出したのは、白い縦長の封筒だった。


「契約書です。私と学院の」


「お、おう…」


「ピンと来てないみたいですが、これの内容とかは分からなくても結構です。取り敢えず、これを先輩の担任に出すと万事解決するってことだけ覚えてくれれば、それで構いませんので」


「なるほど、賄賂か……」


「そんなまさか。これは策略です、こうなる事を見越して知恵を絞ったんです。知ってますか先輩、虎でなくともネコ科の動物は虎視眈々と獲物を狙ってるものなんですよ?」


 空いた手の人差し指を悟の前に出し、自信満々に答える猫耳少女。


 彼女を見る悟の目が、次第に懐疑的な物へ変わってゆく。

 しかし、対する緋嶺は猫のようなその目を妖しく細めた後、薄紅色の唇を上下に弾ませ甘い声で言った。


「そう警戒しないでくださいよ。ね?先輩っ」



―――――――――

――――――


文月です。

ストーリーのストックが約三十話程ございますので、ここから毎日午後六時投稿予定です。

変更の場合は、追ってご連絡します。

ではでは――

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