第15話
白い花が揺れた。
疲労にぼやけた目を凝らす。曇りが取れると、花は少女の姿になった。
少女は妙に色白で、細かった。痩せているというわけではなく、華奢でいて、物静かな空気をまとっていた。身なりから見るに、裕福な家の娘ではない。汚れた衣で身を包んでいる。しかし、身体と衣服の差が、さらに少女を美しく着飾らせているようだった。
「なにを見ている。キョウ」
後ろから、カンの声がひびいた。彼の声は大きく、キョウの身体の奥を震わせた。
「いや」
「飯炊きの様子を見ているのか。まだ、早いぞ」
カンが笑う。彼の目に、少女の姿は映らなかったようだった。そうだなと、キョウが笑い返す。カンの大きな身体を叩き、作業に戻ろうとして、一度振り返った。少女の姿はなかった。幻だったのだろうか。目を凝らして辺りを見回したが、やはり見当たらなかった。
陽が落ちるまで、籠城の備えが進められた。
城壁の上と下には、数多くの石や木材、水や油などが運ばれた。長期にわたって準備してきたと言うのは、本当であったらしい。兵数以外で対抗するすべてを、白馬の城に詰め込んだかのようだった。
兵糧も十分にあるのだろう。続々と城内へ避難してきた住民に、余すことなく食事を与えている。
「ずいぶんな待遇ですね」
ここそこで食事を始める人々を見て、テイが不思議そうに言った。
「この後を思えば、安いものだろう」
「働かせるのですか?」
「そうだ」
「明日死ぬかもしれないのに 」
「飢えているのだ。明日の死より、今日の命ということよ」
ハツが、避難してきたばかりの民の一人を指差した。髪が乱れ、痩せこけている。一見老婆のようだったが、じっと見ていると若い女だった。女は正規兵から何か説明を聞いた後、何度も頭を縦に振った。
「一応、逃げる選択肢は与えているのだ」
「逃げないと分かってのことですね」
「戦だ。テイ。なんでもやらねば。自ら選択したからには、きっとよく働くだろうな」
「虚しく見えます」
「だが、今日は腹を満たせる」
ハツが言うと、テイは黙って頷いた。
河南の地は、戦が長きにわたって絶えず、荒れている。飢えに苦しむ民は多かった。飢えが満ちれば、さらに地は荒れる。人が去り、地は息絶えていく。それを防ぐために、河南の為政者は民に多くの土地と食を与えていた。末端の白馬でも、同様だった。成果は見ての通りで、去る者は少なくなった。皆、荒れ地の隅で絶えるより、満ちて血に沈むほうが良いと考えるのだ。
「飢えた者にしかわからぬことだ」
ハツが静かに言う。言葉数の少ない男だと思っていたが今日はよく喋るなと、キョウは眉をあげた。逃げてくる民を見て、思うところでもあったのだろうか。ハツの表情に、憂いが揺れているように見えた。
瞬間、空気が揺れた。
キョウら五人が、同時に城壁の上を見る。
夕陽に染まった壁の向こうに、砂塵があがっていた。鐘が鳴る。けたたましくひびき、城中の隅まで緊張させた。
「来たか」
「黄河のほうだ」
カンが砂塵を指差しながら言う。彼の太い指先が、こまかく震えていた。
「一夜休ませてくれるとは、良い客だ」
「違いない」
シカが笑う。口の端が、わずかに歪んでいた。キョウは彼の肩を叩くと、剣の柄に手をかけてみせた。
カチリと剣が鳴る。
けたたましい鐘の音が、すぐさま刃の声をかき消した。
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