第4話

 腕時計を見ると、僕は彼女のベッドサイドにほんの5分程度しかいなかったことがわかった。痛みで苦しんでいて、世話をしてくれる母親もいて、長居は無用であることは最初からわかっていた。


 病院を出て駅に向かう途中、僕は駅前の大きな公園へ立ち寄ってみた。周囲はまだ暑い。暑いけれど、少しずつ迫りくる秋の気配が、空の色や雲の形から感じ取ることができた。周囲に人があまりいないことを確認して、僕はため息をつきながらベンチに腰掛けた。他人の目がわずらわしいような、疲れた気持ちだった。


 持っていた仕事用のバッグの中から、手探りで一本の万年筆を取り出す。黒くて細身で、キャップのてっぺんに白い星の形が描かれている。この万年筆のメーカーは有名で、文具に疎い僕でも知っていた。彼女がおととしの誕生日にプレゼントしてくれた、大切な万年筆だった。


「インクがなくなっちゃったんだよな」


 万年筆の使い方などよく知らない。箱の中に入っていた黒のカートリッジを刺して時折書いていたけれど、慣れない書き味のためにあまり使わないまま、いつの間にかインクが切れて干上がったような状態になってしまっていた。それでも、大切にいつも持ち歩いた。


 本当はキャップに僕の名前を刻印してもらおうと思っていたけれど、細身すぎてそれはできなかったと彼女は笑っていた。名前入りの筆記具をプレゼントしてくれようとした気持ちに、ありがたかったり嬉しかったり、少しいつもと違う気持ちが浮かび上がったり、僕の心は不思議と揺れ動いた。それでも僕らの関係は何も変わらなかった。


「そんなに高いものじゃないのよね、だから気にしないで使ってみてよ」


 そう言ってこの万年筆をくれた彼女が、今は大けがで苦しんでいる。彼女が事故に遭うかわりに、この万年筆が壊れればよかったのにとも思う。早くいつもの笑顔が見たいのに、どうしてあんな包帯に巻かれた顔をしているのだろう。


 空にからすが羽ばたいていった。見上げると、夕暮れが始まっている。からすも巣へ帰る頃か。僕は手の中で万年筆をいじりながら、近いうちに新しいインクを買いに行こうと考えていた。


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