~邂逅~

 私、波多はた のぞみは獲物を追って森の中に入った。


 追っているのは闇の住人――吸血鬼。



 闇の者故、本当であれば今日のような月明かりのない朔の日に追うべき者じゃない。



 でも、もう待ってはいられなかった。


 何故なら、先日9人目の犠牲者が出たからだ。




 貧血で倒れたという事になっているけど、ハンターにだけ分かる痕跡があった。




 首筋のキスマーク。



 小説や映画で描写されている様な咬み痕なんて残すほど奴らは馬鹿じゃない。


 奴らの唾液は治癒力が高いから、傷跡を少し舐めただけで咬み痕も残らない。


 でも瞬時にキレイに直す事は出来ないから、キスマークの様な痣が残るのだ。



 見分ける方法は簡単。

 倒れた直後に、不自然に平行な痕があれば奴らの仕業だ。



 9人の内3人は実際に見た。

 他の6人は協会からの情報だから確実だと思う。



 とにかく、犠牲者9人が倒れたとき現場にいた人物を特定して、今日やっと追い詰める事が出来たんだ。


 今の機会を失ったら、今度は10人目の犠牲者が出かねない。




「絶対逃がさないんだから」


 声を潜めて私はそう決意した。





 森の中には道なんか無くて、闇も深いから木の枝がさっきから顔に当たる。



 ……イラつく。


 もし逃がしたらという焦りが、枝がぶつかる痛みで苛立ちに変わっていった。



 いっそ大声で怒鳴って呼びつけたい……。


 ふざけるな! こそこそしてないで出てこいっての! …って……。




 それで逆に逃げられたら元も子もないから、堪える。


 若干言葉が悪いのは怒りの所為!

 ようは今追っている吸血鬼の所為!!



 そうだ、奴が全部悪いんだ!



 最早私の苛立ちは最高潮に達していて、今追っている吸血鬼にいわれの無い責任まで押し付けてやった。




 奴の痕跡を追い始めて数分後、少し開けた場所に出たところでその痕跡が無くなった。


 息を潜め、辺りの気配を探ってみるけれど、それらしい動きは無い。


 多分近くに気配を殺して身を隠しているんだ。




 私は慎重に足を進めた。



 自分をおとりにでもしないと出てこなそうだったから。


 相手から見えやすい場所、開けた場所の中央に向かう。



 中央辺りで足を止めた瞬間、左側から何かが飛び出してきた。



 当然、追っていた吸血鬼だろう。



 奴は振り向いた私の腹を蹴り上げた。


 瞬時に腹を両掌で庇ったけど、吸血鬼の力はすさまじくて私はそのまま背後の木に背中を叩きつけられる。




「うっ……」


 小さくうめき声を上げると、今度は両腕を掴まれて木に押し付けられる。


 そして、掴まれた腕が頭の上でひとまとめにされた。



「どんな奴が追ってきてるかと思ったら、小娘じゃねーか」


 唇と両耳にピアスを付けた吸血鬼が私をまじまじと見ながら言った。


 舐めた態度。

 私の自由を奪ったことでイキがっている。




「小娘でも、れっきとしたハンターよ」



 下から睨みつけて言う。

 身体の自由を奪われても、心が負けてしまったらおしまいだから。



 それでもそいつは調子に乗った様子を崩しはしなかった。


 私はそんな嘲りを帯びた目を睨みながら、吸血鬼と呼吸を合わせる。




 私が得意とする合気道は、相手と気を合わせることでその力を最大に発揮する。


 呼吸を合わせながら、相手の次の行動を探った。



「れっきとしたハンターねぇ。でも、こうやって捕まってりゃあ世話無いな」


 ククク、と嫌味に笑う吸血鬼。



 私はむやみに感情を昂ぶらせず、無言で対応した。



 するといきなり顎を掴まれ、上向かされる。


「それにしても、アンタ美人だなぁ」


 吸血鬼の声が少し猫撫で声になった。



「ハンターなんか辞めて、オレの女にならねぇか? 毎晩イイ思いさせてやるぜ?」


 そう言って、頬を舐められる。




「っっっ! ふざけんなーーー!!」



 流石に嫌悪感の沸き上がりを止められなくて、叫ぶと同時に吸血鬼の股間を蹴り上げてやった。



「っっっっっ!!!?」



 言葉にならない悲鳴を上げて、吸血鬼は股間を押さえて私から離れた。



 ざまあ見ろ!



 人間よりは頑丈に出来ている吸血鬼だけど、身体の構造自体は人間と同じだ。


 それに現代の吸血鬼は昔ほどの力を使えないらしい。



 人間が弱体化したのと一緒に、人間の血を糧とする吸血鬼も弱体化したためと聞いた。




 駄目駄目、気を合わせないと!



 思わず昂ぶらせてしまった感情を落ち着かせる。


 と同時に構えた。





「てめっ……何てことしやがる!」


 こちらを向いた吸血鬼はちょっと涙目だった。



 ふん! 自業自得よ!



「言ったでしょう? ふざけるなって。私は違反行為をした貴方を捕まえに来たの。それ以上でもそれ以下でもないわ」



 吸血鬼とハンターの関係は現代ではかなり様変わりしている。



 およそ100年ほど前、自分達が弱体化していると感じた吸血鬼側は、同じく弱体化はしたけど、技術でもって優位に立ちつつある人間に殲滅させられないため、和解の提案を出したという。


 吸血鬼が一般人を襲わない代わりに、ハンター側は定期的に吸血鬼側に血を提供するというものだった。



 時のハンター協会会長は、むやみに血を流さずに済むならと承諾したらしい。


 同時に細かい法の様なものを作った。



 それによって、ハンターは吸血鬼限定の警官の様な立場になった。



 数ある法の中の初めに、『吸血鬼はどのような理由があろうとも、一般人を襲ってはならない』とある。


 この吸血鬼はそれを破った。

 故に、私が協会まで連行しなければならない。



「さっさと覚悟決めて大人しく捕まりなさい」


 冷静に言う。



 呼吸はちゃんと合わせ直した。抵抗されても打ち負かせる自信はある。



 案の定、吸血鬼は怒りに身を任せて私に襲い掛かってきた。



 呼吸を読み、私は吸血鬼の懐に入る。


 そして奴が驚いているスキに鳩尾と顎に拳を喰らわせた。



 女の力じゃ限度があるけれど、急所なら結構効く。



 奴が怯んだスキに背後に回って、首の後ろのツボをついて気絶させた。



 そして私は倒れた吸血鬼を容赦なくこれでもかというようにロープで縛り付ける。


 今までの怒りの矛先は全てコイツに押し付けてやると決めていたから。



 怒りに任せて縛った所為でめちゃくちゃな縛り方になったけど、少なくともこれでもう動けないでしょう。



「これで良し!」





「ずいぶんと荒い縛り方だな」



 突然、笑いを含んだ声が聞こえた。



 人の気配なんて全く感じなかったのに。


 でも声がした方向を見ると、男が一人そこにいた。



「っ!?」


 私は息を飲んだ。


 その男の美貌に。



 朔の夜の暗闇ですら、男の美しさを隠す事は出来ない。




 吸血鬼……。



 瞬時に分かった。


 吸血鬼は皆美しい顔立ちをしているが、この男の美しさは尋常ではなかったから。



 まさに人外の美しさ。



 神や悪魔に連なる者にしか持てないと言われるような、絶対的な美しさ。



 普通の娘だったら、魂も奪われそうなほどに見惚れるか、その前に気絶してしまうだろう。



 でも、私は恐怖を感じた。


 絶対的な美しさは、絶対的な力にも繋がるから……。



「一通り見せてもらったが、お前なかなか強いじゃないか。ハンターを名乗るだけはある」



 言いながら近づいてくる男に対して、私は思わず後退った。



 男はそれに気付いた様で、少し表情を変える。


 

 そして、面白いものを見つけたように微笑んだ。




 ゾクリとした。


 不敵な笑みとも言える表情が、男の美貌を更に引き立てたから。



「怖がっているのか?」


 表情はそのまま、歩みも止めずに男は聞いてきた。



 私は答えられず、後退るばかり。



「今まで色んな女を相手にしてきたが、お前のような反応を見せたのは初めてだ」


 そう言って笑う彼は明らかに楽しんでいる。



 そこで私は背後の木にぶつかった。


 逃げ場が無い。




 歩幅の広い男は、すぐに私の目の前に来る。



「何か言えよ」


 恐怖で僅かに震える私の顎を捉えて、男が言う。


「あっ……」


 上向かされ、男に私の今の表情を見られた。



 先ほどまでの強気な私と違い、恐怖に怯える弱い私の表情。



 男と目が合い、私は奥底にある記憶を揺さぶられた。



 思い出したくない記憶。


 でも、絶対に忘れる事が出来ない記憶を。




 私の怯えた様子に男は目を細めて笑う。


「知っているか? 男はな、怯えられるほど追い詰めたくなるもんなんだぞ?」


「あ……ぅんっ!」



 男は言い終えると、自分の唇と私の唇を重ねた。




 乱暴な、それでいてどこか優しいキス……。



 男の舌が、私の怯えた舌を絡めとる。


 その男の慣れた仕草に、私は目を閉じて眉間に少しシワを寄せた。



 私は段々……男の唇から、舌から、顎を掴む指先から伝わる熱に、侵されていく。



 背筋をピリピリと小さな電撃が走っているよう……。


 頭の芯を甘い霧で溶かされるよう……。




 そうして、怯えで強ばっていた私の体が少しほぐされていった。



 そして男の手が腰に触れ、徐々に上へと上がる。


 その手が胸に到達した途端、私は正気を取り戻した。



「っ……やっ!」



 男の肩を押し、何とか唇は離した。


 でも、すぐに顎以外に腰も掴まれ、また唇が重なる。



「ふぅんっ……!」





 でも、私だってそう何度もされっぱなしでいるわけにはいかない。


 多少酷いとは思ったけど、このまま犯されるのは絶対にイヤだ。


 だから私は、男の舌を力を込めて噛んだ。



「くぅっ……!?」



 小さな痛みの呻き声をあげ、男は私を離す。


 ついでに一歩分距離をとった。



「……俺は、自分の血を飲む趣味はないんだがな……」


 男はそう言いながら自分の血がついた口元を片手で拭った。



「わ、私だって血を飲む趣味も、見ず知らずの男にキスされる趣味もないわ!」



 まだ恐怖心は残っていたけど、私は強がって言い放った。



「ふん……まだ反抗する気力があるのか」


 呟き、男は見下す様な目で私を見た。


 いや、むしろ観察と言った方が近かったかもしれない。



 私はそんな男に怒りを感じ、睨み付ける。


 先程までの怯えた自分など嘘のように。




 どのくらい時間がたっただろう。


 多分実際の時間は1、2分だ。


 でも、私は何十分も睨みあっていた気がした。




 きっとそれは、男の力自体が威圧となっていたから。


 証拠に、男の顔には余裕があった。




 何よ! 私はイヤな汗かきそうなくらいなのに!


 このインケン野郎!




 睨みを効かせたまま、心の中で悪態をついた。


 そのすぐ後、まるではかったかのように男が笑う。



「ククッ……強くもあり弱くもあり、俺になびかない女か……面白い」



 ゾクリ、とイヤな予感がした。



 自分にとって良くないことを男は企んでいる。


 そうはっきり分かった。




「お前の名前は?」



 警戒する私の頬に手を添え、顔を覗き込むように見ながら男が聞いてくる。



 一瞬クラリときた。


 男は、自分の美しさを最大限に発揮出来る行動を知り尽くしているのだろうか。



 私が男に魅せられて何も言わないでいると、男はどう思ったのか言い直した。



「俺の名は朔夜さくや。お前の名は?」






 朔夜……。



 心の中で男の名を繰り返す。


 とても似合う名前だと思いながら、私も名乗った。



「私の名前は望。波多 望よ」



「ふん……共に月の名か……それも面白い」


 目を細めて妖艶に微笑み、頬に添えてあった手の親指が私の唇をなぞった。


 愛撫するようなその指先に、私の心臓が跳ねた気がした。



「望、ゲームをしよう」


「え……?」


 突拍子の無い朔夜の言葉に、私は最初何を言われたのか分からなかった。


「ゲームだよ。お前の心もからだも俺のものにしてやる。そして、お前の全ての血もな。全ての血を吸われたくなければ抵抗してみせろ」


「なっ…!?」


 あまりに自分勝手な提案に私はまた怒りのゲージが上がった。



「何よそれ! 私には何の利益もないじゃない! そんな命をかけたゲームするわけないでしょう!?」


 叫び終わると、今度は顎を痛いほど強く掴まれた。



「うくぅっ……!」


「お前の意思なんか関係無い。今すぐに犯して血を残らず吸いとってもいいところなのに、猶予ゆうよと逃げるチャンスをやろうと言ってるんだ。それ以上何を望む?」



 そして朔夜は口調を少し和らげ、続けた。




「それに、弱い者が強い者に逆らえるわけがない」



 耳元で囁かれた言葉は毒のように私の心を犯していった。


 でも私はその言葉を受け入れたくなかった。



「弱いからって逆らえないなんてことは無いわ。窮鼠猫を咬むって言葉、知らないの?」


 挑発的に言ってみる。



「知っているさ。でもそれは、最後の力を振り絞ってやっと出来ることだろう?」



 ……挑発も虚しく、簡単にあしらわれた。



 やっぱりムカつくコイツ……。



「……ぐだぐだと理屈を並べても仕方ないな。何にせよ、俺がやると決めた時点でゲームは始まっているんだ」



 そう言うと同時に、朔夜は後ろを振り返った。


 それにつられるように、朔夜をはさんで向こう側を見た私は気付く。





 私の視線の先には、さっき倒してロープでぐるぐる巻きにした吸血鬼が、イモムシよろしくウネウネと這って逃げようとしている姿があった。



 あっ! あいついつの間に!?



「まったく……往生際の悪い奴だな」


 朔夜は悪態をつくように言うと、這って逃げようとしている吸血鬼に近づきその背を踏みつけた。



「ぐぎぁ!」



「吸血鬼の恥さらしが……本来なら今すぐこの世から抹消してやりたいところだが……」


 そこで一旦言葉を止め、朔夜が私の方を見た。


 言葉の通り殺されては困る私は叫ぶ。


「そいつは協会に連行しなきゃないの! 殺されちゃ困るわ!」



 私の言い分を聞いて、朔夜は足元の吸血鬼に向き直った。



「というわけだ。俺の愛しい望月もちづきの願いは叶えてやらないとな」



 ――愛しい望月――。



 私は思わず眉を寄せた。


 いや、もっと変な顔をしていたかもしれない。



 愛しいと言っておきながら、まったく心が込もってない。


 とってつけたようなそのセリフは、明らかに私の心を奪うための作戦だった。



 しかもあからさまな言い方は、ソレが作戦であることが知られてもまったく構わないと言っているようなものだ。




 


 イヤミな奴……。



「とにかくしばらく動けない様にはしてやらないとな……」


 そう言った朔夜の声はとてもたのしそうで、ゾクリと寒気がした。


 きっと、顔を見ていたら寒気どころではなかっただろう。



 証拠に、踏まれている吸血鬼は首を捻って朔夜の顔を見ていたため、「ひぃっ!」と悲鳴を抑える事すら出来ていない。



「さて……」


 と呟き、朔夜は吸血鬼の頭を掴んだ。


 すると吸血鬼はろくな言葉も発さずに、その場でのたうつ。



 異常な光景に私は目を見開き一歩も動けなかった。




 暫くして吸血鬼の頭を離した朔夜はその場で私の方を振り向く。



「少し血流を狂わせてやった。これで暫く動けないだろう」



 血流を狂わせた?



 そんなことをしたら、人間だったら死にかねない。


 でも朔夜は嘘を言っている様には見えないし、そんな必要も無い。



 吸血鬼なら大丈夫だと言うことかもしれない。



 それにしたって、何の道具もなく他人の血流を狂わせるなんて普通の吸血鬼にだって出来ない。


 出来るということは普通ではないという事だ。




 やっぱり、タダ者じゃないんだ……。



 警戒心を更に強めた私に、朔夜は無駄だと言わんばかりに美しく微笑む。



「それじゃあ今のところは帰ってやる。また会おう……望」



 最後に睦言むつごとの様に私の名を呼び、朔夜は木々の闇に消えた。




 気配も感じなくなると、私は地面にへたり込んだ。


 自分で思っていた以上に気を張っていたらしい。






 こうして、私の意思など関係なく、私の命をかけたゲームが始まったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る