仕事着のシンデレラ

 それは城のように堅牢で大きなお屋敷だった。

 屋敷では夕方から盛大なパーティーが催され、会場である広間にはたくさんの人々が集まっていた。

 楽団が奏でる優雅な音楽。きらめくシャンデリア。贅の尽くされた料理。タキシードに蝶ネクタイの人たちは貫禄があり、ドレスやアクセサリーで華やかに着飾った人たちは生き生きとしている。外国からの客人らしき民族衣装を着た人々も見受けられる。給仕をする使用人たちも仕立ての良い服を着てきびきびと働いていた。たくさんの人がいたが、その場に居る人は皆一様に自信に満ちてキラキラと輝いて見えた。

 一方で木綿子は広間の入り口近く、壁際の目立たない位置から、遠慮がちに人々が行き交い談笑するのを見つめていた。

 木綿子もこのパーティーの招待客なのだろうか。しかし、それは少し違うようだ。

 木綿子はドレスを着るどころか普段仕事中に着ているデニムパンツと薄手のジャンパーの仕事着のまま。自分でも場違いな所に来てしまったと後悔しているのだ。

「せっかくのご厚意だけど、やっぱりきちんとお断りすればよかったかなぁ……」

 少し困ったように、木綿子は呟く。

 元々木綿子は、このパーティーで出される料理用の豆腐を配達しにきただけだった。

 勿論、裏の通用口から屋敷の人間の許可を得て入ったし、配達後に長居するつもりもなかった。だが、自ら豆腐を受け取り確認してくれた屋敷の料理長だという壮年の男性が、どういうことか随分と木綿子を気に入ってくれたらしい。料理長は木綿子がパーティーを見ていけるように取り計らってくれるというのだ。

 最初こそ遠慮しようとしたが、料理長はかなり強引だった。結局、木綿子は断り切れずにパーティーを見ていくことになってしまったのだ。

「でも口利きをしてくれたおじさんの手前、強く断ることもできなかったし……」

 この屋敷に住む久遠くどお家の一人娘、久遠くどお碧葉あおばは、常緑大学エヴァーグリーンで教授をしている荘助の父、おおとり悠助ゆうすけの教え子だ。その縁で鳳教授は今回のパーティーの料理に使う豆腐の注文先として久遠家に藤見豆腐店を紹介してくれたらしい。その恩があるのに下手なことをして久遠家の人に嫌われたのでは鳳教授に申し訳が立たない。

 それに「縁は大切にしなさい」と両親から教えられて育ってきた木綿子には、縁を断ち切り断ってしまうのはどうしてもはばかられたのだ。

「はぁ……」

 こっそりとため息をついて、木綿子は広間の中央でひときわ注目を浴びている女性を見つめる。紹介されないでも解る。彼女が久遠碧葉なのだろう。

 年頃は木綿子と同じくらいのはずだ。しかし、彼女のボリュームのある長い栗色の巻き毛が、少し濃いめにも見えるが彼女の持つ美しさをしっかりと引き立てる化粧が、華奢な首元や柔らかそうな耳朶じだを飾るアクセサリーが、おとぎ話のお姫様のように可憐なペールグリーンのカクテルドレスが、木綿子にはとても眩しく感じられた。

「きれいだなぁ……」

 目を細めてそんな風に呟く。そして自分の格好を思い出して少しだけ笑ってしまった。

(やっぱり、この場にこの格好はふさわしくなかったよね。もう十分に見させて貰ったし、そろそろおいとましなくちゃ……)

 そう考えて、木綿子はその場できびすを返そうとする。

 しかし、やはり少し気持ちが焦っていたのだろうか。丁度時を同じくして会場から出ようとしていた一人の若い招待客の男性とぶつかりそうになってしまう。

「あっ、ごめんなさい!」

「あ、ああ、こちらこそ申し訳ない……」

 咄嗟に男性を避け頭を下げた木綿子。突然のことだったが、男性もしどろもどろながら謝ってくれた。

 しかし、木綿子がほっと胸を撫で下ろし、顔を上げて男性を見た瞬間だった。

「ゆうこ……?」

 不意に、男性が木綿子の名を呼んだ。

「えっ?」

 急なことに、木綿子は少し戸惑う。訊ねるような瞳で男性を見上げてみるが、彼は目を大きく見張って木綿子をじっと見つめているだけで、二の句が継げない様子だ。

「えーっと、何処かでお会いしましたっけ……?」

 そう言いながら、木綿子自身も記憶を振り返る。

 いつも接客をしている木綿子は人の顔を覚えるのが割と得意だ。だから、一度会ったことのある人の顔は大体覚えている。

 男性の年は二十代前半くらいだろうか。さらりとした艶のある黒髪は頭の丸みに沿って適度な長さで切りそろえられ、前髪は大人っぽく上げられている。左目尻に小さな泣きぼくろがあり、通った鼻筋、薄い唇と共に何処か儚いイメージを与える美男子だ。パーティー用のタキシードもあつらえたかのように似合っていた。

(不思議……。会ったことはないと思うのに、どこかで見たことがあるような……)

 彼の顔を見た感覚からすると、今までに彼と会ったことはないような気がした。だけど何故かその顔や表情の端々に既視感を覚える。実際に会ったことのない、しかし写真や映像でよく見たことのある人、例えば有名人の類いであればこんな風に感じるかも知れないが。

(有名人? ――あっ!?)

 ぱちんとスイッチが入るように、木綿子はその人が誰であるのか理解する。そうだ、何処かで見たことがあると思った。ニュースで見た時と違って、今は前髪を上げているから一目では気付かなかったけれど、よく見ればこの人は――。

「……と、常磐さん!?」

 そうだ、彼こそが近頃話題の「過去から来た男」、そして常緑大学エヴァーグリーンの客員教授に就任したばかりの常磐治親だった。確かにこのパーティーには常緑大学エヴァーグリーンの関係者も多数招待されている様子だった。木綿子には知るよしもないが、久遠家は娘の通う常緑大学エヴァーグリーンに多額の寄付をしている。その久遠家で行われるパーティーに、今大学内で最も話題性のある彼が招待されているのは当然とも言えた。

 木綿子は信じられないような気持ちで治親を見上げる。今朝の老人にも言い当てられたが、木綿子も他の多くの女性たちと同じように一目見た瞬間から治親のファンになっていた。憧れの人が目の前にいると思えば、緊張に喉がからからになって声が上手く出せないような気持ちになる。

 しかし、木綿子にはどうしても気になることがあった。

「あ、あのっ! どうして……どうして、常磐さんが私の名前を……?」

 木綿子が治親の名前を知っているのは、彼の知名度を考えれば当然のことだ。しかし何故その有名人の治親が、ただの豆腐屋の娘である木綿子の名を知っているのか。不思議に思って上手く回らない口を叱咤しながら訊ねてみる。

 その問いかけに対して治親は何か言いたそうに唇を開いたが、しかし何をいうでもなくすぐに目を伏せがちにして表情を曇らせてしまった。そして彼はゆっくりと首を横に振ると、木綿子にプレッシャーを与えないためだろうか、すぐに気遣うような作り笑いを浮かべる。

「すまない、君があまりに知人に似ていたから。でも、僕の勘違いだったみたいだ……」

「……そう、ですか……」

 それはとても納得できる話ではなかった。確かに治親は木綿子を見て名前を呼んだのだ。

 だが、木綿子にはこれ以上追及することはできなかった。彼がこれ以上踏み込んでこないでくれと言っているのだから、その意思を尊重するべきだと思ったのだ。 

 仕方なく木綿子は治親にちょこんと会釈をする。人様のお屋敷内でこういうことをするのは良くないとは思ったけれど、憧れの人に拒絶された木綿子はこの場から逃げ出したい気持ちを抑えることができず小さく走り出した。

 苦いような渋いような、はたまた甘いような酸っぱいような。不思議な気持ちだった。



 廊下を遠慮がちに走り去る木綿子の後ろ姿を、治親は動揺に揺れ泳ぐ視線で追っていた。その目には明確な迷いが見て取れる。自分で突き放したはずなのに、呼び止めたいような衝動すら感じていた。

「……まさか、そんなはずは。……でも、もしかしたら……?」

 焦りと迷いに、そう何度も何度も口にして、木綿子の背中が廊下の角を曲がって見えなくなってもその場から動くことが出来ない治親。

 忙しなく息を吐いて、こめかみにそっと指先を添えて考える。

(彼女は正装ではなかった。つまり正式なパーティーの招待客ではないのだろう。彼女の着ていた上着の背中には店名らしき刺繍があった。確か……藤見豆腐店……。そういえば久遠家の娘、碧葉氏は大の豆腐好きで今日の料理にもたくさんの豆腐が使われていると話題になっていたな。豆腐を納品にきた人間なのかも知れない。ならば、辿るのは容易だ……)

 そう考えほっと胸を撫で下ろしてから、しかし治親は酷く眉をひそめた。彼の憂いは彼女の行方ではなく。

(僕は、あまりに執拗だな……。

 木綿子の消えた廊下の角を眩しそうに目を眇めて見て、彼は自分に落胆する。

 だが次の瞬間には、治親は拳を握りしめて決意の表情を作った。

(……でも、それでも。誰にそしられようと、僕は……)

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