神様今まで騙しててごめんなさい
@sesamemagnet
0001:転落
「よう兄弟、元気出せよ!」
仕事に疲れて家に帰る一本道の途中、ノグチは金髪のチャラチャラとした男にそう声をかけられた。ノグチに兄弟などいないというのに。今思えばこの日から何かがおかしかった。
ノグチは”ポータル”の存在する国、ヤシマで暮らすサラリーマンである。ポータルとはエネルギー発生源、いうなれば発電機のような役割のものだ。数十年前に起きたエネルギー危機に端を発する資源争いの戦争を解決すべ天才科学者ゲイリートーマスが開発した電気に変わるエネルギー、それを生成するための装置がポータルだった。各地のポータルで生成されたエネルギーは一旦世界資源エネルギー機関、通称WREAに回収され、全世界に分配される。そんな重要な装置であるポータルが置かれたことで雇用も増え、傾いていたヤシマの財政は復活した。さて、ノグチの方に話を戻すとこちらの肩まで叩いてきて嫌に馴れ馴れしい男だと思いながら帰宅した彼は眉をひそめた。いつも寒い中帰ってきても温まっているのは妻がいるリビングのみ。それが今日は玄関までしっかり温まっている。違和感はまだ続く。いつもは帰ってきても何一つ言葉などかけない妻が
「おかえりなさい!今日の夕御飯は照焼チキンよ」
と結婚時以来見ない晴れやかな笑顔で言うのだ。照焼チキンは学生の時からの彼の大好物で疲れて帰ってきた家に照焼チキンが用意されているのは嬉しい限りだが、何年ぶりのことだろう。新婚ホヤホヤのときはなにかの記念のたびに作ってくれたものだが最近は冷めに冷めた夫婦生活で作られる料理は種類も少なく何かと理由をつけて夕飯がカップラーメンになる。もちろん毎日亭主のために丹精込めた料理を用意しろとは言わない。しかし掃除片付けは彼の仕事だし家事といえば料理しかしないというのにこれではあんまりではなかろうか。そんな生活が当たり前になっていたというのにいきなり妻の態度が見違えるように向上した。強烈な違和感を抱えたままその日はそのまま眠った。
翌朝起きてみても妻が上機嫌なのは変わらず、思わず朝食時に宝くじでもあたったのかと問いかけると、普段ならば何を言っているのかという目で見られて無視されるところを妻は上機嫌で
「あら、どうしてそう思うの?」
と返してきた。ここまで来るといっそ気持ち悪ささえ覚えるノグチであった。出かけるときに忘れ物、とハートでもついているような口調で弁当を渡されたときには実は妻は殺されていてこの女はよく似た別人なのではないだろうか、とサスペンスのような発想が浮かんだ。会社に行ってからもずっと考えていたがどうにもわからず、会社のよく呑みに行く先輩に今日は珍しく愛妻弁当か?といじられたので思い切って昼休みに相談してみた。先輩は何かを悟ったような顔をした後、気まずそうな顔で苦笑いしながら信じられないことを言った。
「そりゃお前、浮気されてんだよ」
「浮気……ですか? そんなまさか……」
とても信じられない。確かに冷めきった生活では有るが特に不満のない生活のはずだ。しかし先輩によるとそういう一見不満がなさそうな状況でこそ浮気とは発生するものだという。呆然とするノグチをのこして先輩は先に休憩室を出た。一人休憩室に残されたノグチは後輩が昼休みの終了を告げに来るまでずっと椅子に座って考えていた。
その日家に帰ると少し妻の機嫌が悪くなっていた。以前ほどではないにせよ前日の気持ち悪いまでの上機嫌はどこかに消えていた。次の日の朝食時にそれとなく尋ねてみる。
「お前、まさかとは思うけど浮気なんてしてないよな?」
「はあ?あんたそんなくだらないこと考えてたの?稼ぎだけはいいあんたのもとから離れて今更揉め事起こす利点なんてないでしょ。そんなことより早く会社行きなさいよ!」
いつもの妻だった。自分は先輩にからかわれたのだ、そう自分に言い聞かせて数日が過ぎた。その間に彼の頭からは浮気のことなどすっかり抜け落ちていた。日に日に態度が以前の様子に戻っていき、また家の中の空気が冷めきった頃、朝起きると彼の妻は珍しくテレビを凝視していた。料理をするときにニュースを流していても別にしっかりと聞いているわけではないのにその日は顔をこわばらせてニュースを聞いていた。ノグチは怪訝に思いつつリビングに入り同じように絶句した。ニュースでは彼の勤める保険会社の経営層の大規模脱税が報じられていた。それとほぼ同時に彼の携帯がけたたましく鳴った。彼はその要件をすぐに理解し、朝食も食べずに家を飛び出した。会社についた彼をさらに衝撃的な事実が襲った。なんと彼の直属の上司が脱税に関わっていたというのだ。会社内は騒然としていた。もちろん会社の前には報道陣が詰めかけているしいつも見ない顔ぶれが彼の所属する部署内を駆け回っていた。直に彼と直属の上司を同じくする面々は呼ばれ、彼らも脱税に関わっていたかどうか調査された。それからしばらくは業務に手がつかなかった。事あるごとに様々な人間に呼ばれ本当に脱税に関わっていなかったかを聞かれた。そして、しばらくして彼らに沙汰が下った。回りくどいことが様々書いてあったが実質解雇通知だった。そもそも業績が傾いていた会社は人員削減の機会を伺っていた。脱税を直接した者たちが逮捕されると同時に解雇されたことで宙に浮いてしまった彼らを雇っておくよりはいっそやめてもらったほうがいいというわけだ。
彼は絶望していた。というよりも困惑しているに近いかもしれない。彼は今までの人生の中で否定的な通知をもらったことがなかった。高校は親が望んだ第一志望で合格した、大学は親の元から離れようと無理やり都会の大学に行くために必死に勉強したから受かった、内定も第一志望で取れた、特に趣味などもなかったからすべての時間を会社に使って順調に出世もした。家庭内こそ冷え切っていたが、ここまで取り返しのつかない事態になったのは初めてだった。彼の妻はそれを聞いたとき微妙な表情でうなずいただけだった。あなたの稼ぎがなくなってどうすればいいの、と罵倒されるぐらいは覚悟していたため、更に困惑せざるを得なかった。社会人になってから初めての仕事のない平日の昼間に耐えられず、彼は家の外に出てフラフラと歩いた結果カフェに落ち着いた。カフェと言ってもチェーンのその店は彼にとって暖房が効きすぎていたためアイスティーを頼み、二人用テーブル席に座った。アイスティーはすぐに結露し、コップの底のあたりにたまった水がストローを入れていた紙袋を濡らす。その様子をぼんやりと眺める彼の向かいに誰かが座る気配がした。彼が目を上げるとそこにはいつかの金髪男が座っていた。金髪男は口を開き、聞き覚えのある台詞を口にした。
「よう兄弟、元気出せよ!」
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