第17話 気遣い屋
ふなの店から天満天神へ。
道中、漬物屋の息子に泰吉への言伝てを頼み、惣兵衛と無慚は肩を並べて歩む。
これから行く先、天満天神にてなにをさせられるのか、いまだ惣兵衛は聞いていない。むっつりと押し黙る無慚の横顔を見ると、聞くだけ無駄なことが分かる。必要ならば向こうから話がある。無慚とは、そういう男だ。
ゆえにこの道中が静かでも気にならぬ。会話がないのならそれは、この男が話をする気がないからなのである。無慚とは、そういう──。
「──おい」
「あー?」
気の抜けた声が出た。
おのれの左を往く友人を見る。彼はなぜか非難の目をこちらに向けていた。そんな目をされる謂れはない。が、無慚はどうやら怒っている。
「なんや。その目ェは」
「わからねえのか」
「ん?」
「おれも、貴様のことはなかなかどうして、分からんな。……」
「────」
「貴様もそうだ。知った気になるな」
惣兵衛は閉口した。
なんの話だとは容易に聞けなかった。いつから、山川草木のほかに人心まで聴こえるようになったのか。惣兵衛がわずかに無慚から距離をとる。
すぐさま錫杖で殴られた。
「なんやねん!」
「気遣い屋惣兵衛だかなんだか知らねえが」
「!」
「オメーの気遣いは昔ッから、いらぬ節介ばかりさね」
無慚は、ぶうんと錫杖を振り下ろす。
「あえて聞くが、貴様よもやいまだにおれの命を救ったこと、後悔しとるのじゃあるまいな」
「────後悔? いや」
後悔は、していない。
いまでも無慚が生きておることは、惣兵衛にとって大変うれしく、心強いことには他ならぬ。ゆえに後悔というものはない。あるとすれば、
「罪悪感、の方が強いわ」
惣兵衛はぼんやりつぶやいた。
あのまま娘とともに死なせてやれば、本懐を遂げることが出来たやもしれぬ。町の者たちに痛め付けられることもなかった。後悔ではないけれど、一抹の後ろめたさは、十年ぶりに無慚の顔を見たいまでも胸の奥に沸き上がる。
無慚は鼻を鳴らした。
「罪悪感だァ?」
「いや待て。さっき岡部の兄貴にも、そやって怒られてん。余計なこと気にしすぎやって。いまさら無慚に言われんでも言いたいことは分かっとる。せやけど──十年抱えてきたもん、一朝一夕で吹っ切れるもんでもないやんか」
「しゃらくせえ。一朝一夕どころかいま吹っ切れろ、いいか惣兵衛」
無慚はぐっと惣兵衛の胸ぐらを掴む。
相手が長身の惣兵衛ゆえ、さすがの無慚も迫力はいまいちであるが、それでも瞳の強さは十年前とまったく変わらぬものがある。
「おれが、一度として貴様に『よくも余計なことをしてくれた』と詰めよったか。いますぐ死なせてくれと喚いたことがあるか」
「────」
「おれは、いのち永らえたと知ったそのときから、自身のあやまちに気が付いた。先立った娘にはわるいがあの時おれは、生きていることによほど安堵した」
袈裟の上から自身の腹部を撫でる。
見えないが、きっといまだに残っているだろう。当時の傷。
「貴様がこのいのちを救ったのだと聞いたとき、おれは。……」
「──おれは?」
「────、正直気恥ずかしくってろくに礼も言えなんだ」
と。
ぶっきらぼうにつぶやく無慚に、惣兵衛はとたん合点がいった。寺に籠ってからのこやつはいつも微妙な顔色で惣兵衛を見てきたものだった。気遣い屋惣兵衛は、てっきりそれも無言の非難かとおもっていたのだが──。
無慚はそのまま、気恥ずかしさを振り払うようにまくしたてる。
「だから二年前、てめえの顔を見たら詫びのひとつも入れてやろうとおもったら、待てど暮らせど顔のひとつも見せねえでやんの。どたまに来たぜ、あんときは」
「フフ、」
「いいか、変な気遣いなぞいらねえ。とにかく向後このおれ様が帰ェってきたなら、一番に顔を見せに来いと言っとるんだ。おれは」
「ッハハハ」
惣兵衛は堪えきれずに吹き出した。
この十年、一度たりとも顔を合わせなかった。二年前の和尚危篤の折、帰村したとうわさに聞けども、罪悪感から、無慚に会うことをおのれに禁じた。それが彼にとって、これほど気に食わぬことだったとは。顔を見せに来い、とはいったい何様のつもりだろう。自分から会いに来るという発想は毛頭ないらしい。が、惣兵衛にとっても、むしろそれが自然の理のようにも感じる。
なんや無慚、と彼の網代笠をめくって、丸い頭をぺちりと叩いた。
「そない小言を言うためだけに俺を残したんか」
「そんなわけあるか」無慚が網代笠を取り返す。
「用は別にある。オイ、分かったろうな」
「ハイハイ。今後無慚さまご帰村の折には、この惣兵衛めが直々にお迎えにあがりますよって」
おどけた惣兵衛に、「当然だ」と無慚は満更でもない顔でうなずいた。
──惣兵衛は知っている。
無慚はこういうが、やはりこれは惣兵衛に対する彼なりの気遣いなのだ。惣兵衛の難儀な性格を熟知するからこそ傍若無人で不遜な男を見せるけれども、その情はきっと町のだれよりも厚い。熱き青春時代をともに過ごした日々がそれを確信させる。
それを言うと無慚はたいそう気味わるがった。
「気色のわるいことを言うな。なぜおれが貴様のためにそんな気遣いをしなきゃならねえ。おれはもともとこういう男だ。言ったろう、知った気になるな」
「ハイハイ」
「チッ。手前ェはどうにもやりづらくていかん」
「そら、兄貴と違うて俺は可愛がりやからな。こればっかりはもともとこういうタチやから、やめろ言われてもやめられへんわ。すまんなァ」
「…………」
「ついでに言うと自分がこの村出ていかはってから、毎日欠かさず無慚の平安を祈っててん。きっといまも自分が健やかなんは俺のおかげやな。感謝しい」
「いよいよ気色がわるいぞ、貴様ッ。──」
と、無慚の足が速くなる。
気がつけば天満天神はまもなくである。惣兵衛はケタケタわらいながら、無慚のあとを追った。連続殺人が起きているいま、すっかり日の落ちたそこここに人影はない。
天満宮前にて。
泰吉はものの四半刻程度でやってきた。
農閑期ゆえ、草鞋や草履、米俵などをつくる作業にいそがしく、泰吉はよほど大急ぎで駆けてきたのか身体中に米藁をつけた状態だった。岡部とそう変わらぬ小柄な体躯、寒さで真っ赤に染まった鼻頭と、年の暮れにもかかわらず裾をまくりあげたすがたはまるで少年のようで、無慚は一目見るなり笑いころげた。
しかし彼は気にしない。
ずるずると鼻水をすすって「なんや」と手を挙げた。
「惣兵衛からの呼び出しやと聞いて来てみたら──そっちの野坊主もいてるやないか!」
「ホンマは俺からやのうて無慚からの呼び出しや。人の都合も考えんと、いつもどおりの暴君やねん。すまんなァ」
「なァに、そんなこったろうと思たわ。むしろ懐かしゅうて”韋駄天のヤス”を発揮してもた」
と、泰吉はおおきな猫目をぎゅっと細めてケタケタとわらう。
しかし久方ぶりの再会も早々に、無慚はぎろりと惣兵衛を睨みつけた。
「本題はここからだ。惣兵衛、泰吉。まずは貴様らに聞きてえことがあるのよ」
「おん。なんや」
「言うてみい!」
友人どもに促されて開口した無慚の声は、
「十年前のあの頃、町の人間がどれほど荒れたか──聞かせてくんな」
ゾッとするほど低かった。
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