電脳鑑識委員会

 この学校には他の学校には存在しないある特異な制度が存在する。


電脳鑑識委員会でんのうかんしきいいんかい


 理事長肝入りの政策であり、この学校の電脳空間における秩序の象徴。

 生徒から依頼があれば駆けつけ、電脳空間で起きた事件の捜査、解決を行う組織。

 電脳鑑識委員の生徒にのみ配られるというバッジは、電脳空間で起きた事件の証拠の一切を見落とさずという意味が込められていると言う。

 委員会のメンバーは全員がこの学校の生徒によって構成されている、生徒による生徒のための治安維持組織。

 その電脳鑑識委員会が今、青山さんと対峙した。


「……依頼したの私だけじゃなかったんだ」

「仕方ないだろ。生徒クラウド上にある電脳空間で起きた事件の捜査に彼らを呼ばないわけにいかない」


 冷たい目でにらむ青山さんに丹下部長さんは両手を振って弁明する。そこへ犬刃鑑識委員が不敵に笑いかけた。


「部長さんよォ、気にしなさんな。アンタは正しい。こんな何の権限も持たねェ奴に捜査させたところで、真実なんて見つけられやしねェのさ」

「吹きよる」


 青山さんと犬刃鑑識委員。ふたりは互いににらみ合う。

 青山さんはこれまでも何人かの鑑識委員と同じ電脳空間で捜査をしてきたが、そのいずれとも仲が良好とは言えなかった。

 電脳鑑識委員会としては自分たちの領域に部外者がずけずけと入ってくるのが気に入らないのだろうし、青山さんとしては単純にその性格からして自分と敵対する彼らのことが気に入らないのだろう。

 と言うか、いくらうちの学校が制服以外もOKという緩い校風だとはいえ、さすがに犬刃鑑識委員のその格好はまずいのではないかと思う。胸元の電脳鑑識委員のバッジがなければ、生徒だと気づかなかったかもしれない。


「去年学内の電脳空間で起きた『魔女裁判事件』といい『スペースシャトル墜落事件』といい――聞くところによればしょっちゅう俺たちの縄張りに踏み入ってるって話だが、自分は所詮ハイエナだって自覚がいるンじゃねェのか?」


 犬刃鑑識委員は青山さんへとよりいっそうにらみを利かす。

 普通の女子生徒ならば怯えてしまうか、あるいは泣き出してしまうかだろう。だが青山さんに脅しは通じない。犬刃鑑識委員を見据えたまま彼女は小さく鼻で笑ってみせる。


「私がハイエナなら、あなたはさしずめ躾けられたワンちゃんってとこかしら。理事長直轄の委員会だか何だか知らないけど、そのバッジが首輪に見えてならないな」

「噂どおり本当に可愛げのねェ女だな」

「そんなことよりもさっき私がボクシング部の電脳空間に潜ろうとした時に言ってたね。『その必要はない』って。アレどういう意味か教えてくれる?」

「ああ、そうだったな。テメェらは確か俺たちと違って正規のルートで証拠が貰えねェんだったか」


 犬刃鑑識委員は小馬鹿にしたように笑うと、いつの間にか背後にいた人影に声をかける。


「オイ、七尾ななお。アレ見せてやんな」

「は、はい!」


 言われて小柄な生徒が私たちの前に小走りでやって来る。犬刃鑑識委員とは対象的な黒髪長髪の可愛らしい顔立ちの少年で、服装も学校指定の制服シャツにズボンという出で立ちだ。ただしその胸元には犬刃鑑識委員のものと同じバッジが輝いている。彼も電脳鑑識委員なのだろう。


「1年の七尾伊尾いおです。今からお見せするのは、ボクシング部電脳空間に関するセンシティブな情報を含む可能性のあるデータですので、内容について部外者には他言無用でお願いします」


 そう言って七尾鑑識委員がターミナルを叩けば、私たちの眼前にターミナルが展開される。ターミナルにはプログラムの名前とそのとなりにユーザ名らしきものがびっしりと書かれて並んでいた。


「そいつはスパーリングプログラムが暴走した時――つまりのプロセス一覧だ。見りゃわかると思うが、ここには実行中のプロセス名とそのプロセスを実行しているユーザが書いてある。当然スパーリングプログラムを実行したユーザの名前もここに書いてある」


 犬刃鑑識委員はいつの間にかこちらに視線を注目していた部員たちを見まわす。


「おい、ボクシング部の電脳空間でartstone4238ってアカウント使ってるのは誰だ?」

「僕、ですけど……?」


 リングの上で青色のヘッドギアを脱いだひとりの男子部員がおずおずと手を挙げる。小柄で気弱そうな顔をした、短い髪の少年だった。


「お前さん、名前と学年は?」

矢石やいしあく。高等部2年生……です」

「ほう、矢石少年か」


 犬刃鑑識委員の口角が上がる。鋭い犬歯がギラリと光った。


「スパーリングプログラムが実行された時点のプロセス一覧によれば、そこの矢石少年がスパーリングプログラムを実行したユーザになってンだ」

「えっ?」


 部員たちは全員、驚いたような顔をして矢石先輩を凝視する。指摘された矢石先輩本人も驚いているようだった。


「証拠が残っているのは昨日の分だけだが、矢石少年はこの2週間、ボクシング部の電脳空間で起きたっていうスパーリングプログラムの暴走に関係してるんじゃねェのか? どうなんだ、矢石少年よ。アンタ、心当たりはあるか?」


 犬刃鑑識委員が鋭くにらみを利かせる。人の心胆を射抜くような瞳。彼が矢石先輩を疑っているのは間違いなかった。

 全員が固唾を飲んで矢石先輩を見守る。

 黙って犬刃鑑識委員を見下ろしていた矢石先輩だったがやがて――、


「は、はい……。僕がやりました」


 矢石先輩の言質をとった犬刃鑑識委員は「よーし」と、勝ち誇ったような笑みで青山さんの方を振り向く。


「ほら、これで事件は解決。テメェの出番はおしまいだ。残念だったな、逆行分析者」

「現場は見たの?」

「現場ァ?」


 犬刃鑑識委員は大げさに言って、それからわざとらしく吹き出す。


「馬鹿かテメェは? これは現実で起きた事件の捜査じゃねェ。電脳空間の捜査だぞ。手元にあるデータを見りゃ、それで十分に解決すんだろうが。それに何より、下手に踏み入ればってことがわからねェのか?」


 青山さんは無言で人差し指を額にあてている。犬刃鑑識委員は目を細め、「ケッ」と短く笑った。


「ま、勝手にしろ。事件は解決したんだ。だが決まりは決まり。俺からハイエナにくれてやる肉はない」


 肉――。要するに証拠のことを言っているのだろうか。


「オラ、行くぞ矢石少年。一応こんな事件でも事件は事件。報告書を書かなきゃならねェ」


 犬刃鑑識委員はそう言って矢石先輩を引き連れて部屋から出ていってしまった。

 目の前で繰り広げられた30分を1分に押し込めたような怒涛の展開に、その場にいた全員はしばらくの間固まっていたが、


「はーあの矢石が。信じられん」

「え、本当にアイツの仕業だったのか?」

「というかアイツ何であんなことしたんだ?」


 部員たちは口々に言い合う。それを背後に私は青山さんに尋ねた。


「これからどうしますか?」


 事件が起きた時間のボクシング部電脳空間の実行中プロセス一覧。そこでスパーリングプログラムを実行しているユーザに矢石先輩のアカウント名があった。これはスパーリングプログラムを暴走させていたのが矢石先輩だという証拠に他ならない。

 だけど青山さんは言う。


「子供の使いじゃないんだからこれで終わらせるわけにいかないでしょ。当然捜査するよ」


 そう言うと思っていた。だけど異論はない。これまでも私たちは電脳鑑識委員会の出した結論を覆してきた。それも一度ならず、幾度もだ。それなら今回も――と考えてしまうのが人情というものだろう。

 ならばまず私たちがやるべきことは証拠集めだ。

 先程犬刃鑑識委員が言っていたように、私たちに電脳鑑識委員たちが持つ証拠データが与えられることはない。

 彼らにとって私たちは部外者扱い。一方データは捜査を依頼してきた部活や委員会にとって最重要データ。特にメモリやストレージのファイルなど権限によって閲覧が制限されているデータに関しては、必要なケースを除いて依頼人にすら開示されることはない。依頼が部活や委員会といった組織から来ることの多い電脳鑑識委員会としては、個人個人のプライバシーに対して配慮した結果と言えるだろう。

 そんなデータが当然、部外者である青山さんに回ってくるはずもない。

 理事長も青山さんに捜査をさせるのならば彼女にも証拠を渡すべきだと思うのだが、本人曰く『電脳鑑識委員会とは違う手順で多角的な捜査をしてもらうため』にあえて証拠を渡していないらしい。

 言いたいことはなんとなくわからないでもないのだが……こういうのをアンフェアというんじゃないかと私は思う。

 だけど青山さんはそう考えていないらしい。


『たとえ手元にすべてのデータがあっても、そこから真実を導き出せるかどうかはデータを扱う人間の能力に委ねられる。これは丁度いいハンデなんだよ』


 そう言って彼女はこれまで数多の電脳鑑識委員を打ち倒してきた。今回もそれが見れるかもしれない。不謹慎ながらもそんな期待が私の胸を高鳴らせる。


「私たちにもログを見せてもらえますか?」


 青山さんは丹下部長さんを振り返る。

 証拠は貰えないと言ったが、関係者にお願いして見せてもらえるなら話は別だ。

 丹下部長さんは難しそうな顔をして腕を組む。


「そりゃログとかは読む権限があるから何とかなるが……権限のないプログラムのメモリとかは俺でも無理だぞ」

「わかってます。だからこそ逆行分析者がいるんです」


 青山さんはこめかみを指でトントンと叩いて口端を持ちあげてみせた。

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