プリン騒動
厳しい夏の訪れを予感させる蒸し暑い6月中旬のこと――。
私、白鞘千鶴はただいま放課後の校舎を絶賛奔走中だ。
先生から「廊下を走るな」と注意されること3回。額を、頬を、首筋を汗が伝う。だけどそんなことでこの足が止まることはない。いや本当は止まらなければならないのだけど、止まるわけにはいかないやんごとなき事情がある (先生ごめんなさい)。
なにせあの人――青山薫の姿がどこにもないのだ。
授業が終わったら教室で待っているようにといつも言っているのに、今日私が駆けつけた時には既にどこにもいなかった。
教室に残っていた数名に話を聞いてもどこに行ったか知らないと言う上に、本人も呼び出しにまるで応じない。
ナノポートが指し示す位置情報によると、この近くにいるようだが――。
「え? 売り切れちゃったの?」
辺りを見まわしていたその時、どこからか聞き覚えるのある声が聞こえてくる。
「ごめんなさいね。真島屋のプリン、人気だから」
「前も聞いたんだけどさ、これ予約とかはできないんですか?」
「購買ではそういうの対応してないのよ」
どこだ? 声の主はどこにいるんだ?
視線を巡らせて声の出どころを探っていた私は、ようやくある人物の姿を見つける。
学校指定の制服である白いワンピースの上から黒のパーカーを羽織り、左手の親指に高校生の身分とは不釣り合いなダイヤモンドを煌めかせた彼女は間違いない。私の探している人物、青山さんだ。
彼女は廊下の一角に設けられた購買のガラスケース越しに女性の店員さんと何やら言い争っているようだった。私は急いでふたりの元へと駆け寄る。
「ちょっと青山さん何してるんですか?」
「大事な話してるからちょっと待って」
青山さんはこちらも振り返ることもせず私に向かって手のひらを突き出すと、再び店員さんと話を始める。ペットの犬か私は。
「次はいつ入荷するんですか? プリン」プリンが売り切れていたことがよほど納得いかないのか、青山さんは店員さんに食い下がる。
「さあ……」
「さあって……入荷の予定が決まったら教えてくれたりは?」
学校の購買で商品入荷の予定を教えてくれって――マジで言ってるのかこの人。
ドン引きしている私の傍らで、店員さんが呆れたようにため息をつく。
「だからそういうのもやってないのよ」
「そう言わないでお願いしますよ。私もう3ヶ月近く食べてないんだから。好きなんですよ、真島屋のプリン」
「みっともないことは止めてください青山さん! クレーマーですか!」
未練がましく注文をつける青山さんの腕を引っ掴むと、彼女を引きずってその場から離れる。
「何やってたんですか。授業が終わったら教室で待っててくださいっていつも言ってるでしょ」
「だって早くしないとプリン売り切れちゃうから」
「わかってますか? 青山さんはいつ
逆行分析者の力は使いようによっては悪用も可能な力だ。いつ誰かに狙われても不思議じゃない。だからこそ私のような人間が彼女の護衛をしているのだ。それをプリンごときでふらっとどこかに行かれてはたまったもんじゃない。だっても明後日もあるものか。
だけど青山さんに反省の色なしだ。
「それを何とかするのはあなたの仕事。人の仕事は奪うなってね」
「協力くらいしてくれてもいいでしょ」
「ふーん」
目的のプリンが食べられずに機嫌が悪いのか、青山さんは子供のように口を曲げてそっぽを向く。というか「ふーん」て。そっぽ向く時に本当に「ふーん」って言う人初めて見た。
「あのですね――、」
口の先まで文句が出かけたところで、私はグッと堪える。
遅ればせながら、周囲の迷惑そうな視線がこちらに向いていることに気づいたからだ。多分、今私の目の前にいる人間と完全に同じ人種だと思われている。
――やめよう。別に言い争いをしに来たわけではないのだ。それに彼女には伝えなければならないことがある。
「青山さんに捜査の依頼が来てます。なんでもボクシング部の電脳空間で事件があったそうで」
「ボクシング部? ボクシング部って電脳空間あるんだ。運動部って電脳空間が必要だとはあまり思えないんだけど。現実で身体動かして練習した方が良さそうじゃん」
「まあ……部活、委員会に最低ひとつは与えられる決まりになってますからね。パイロットがフライトシミュレーターを使うようなものなんじゃないですか? ――それでどうします? 嫌なら断ることもできますが?」
理事長から学校の電脳空間で起きた事件の捜査を託されている青山さんだが、何も強制というわけじゃない。
彼女以外にも電脳空間で起きた事件を調査する人間というのはこの学校にいるのだ。むしろ彼らのほうが本職と言える。だから青山さんは『やりたくないならやらない』という選択を取ることもできるのだ。
だけど青山さんは首を横に振った。
「いいよ行く。電脳空間で起きた生徒の問題を解決するのが私の仕事だものね」
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