明子の言葉に、奈緒は虚をつかれた。さっきまで浮かべていた疑問符が霧散した。しかし、その奈緒の様子に今度は明子の方が気づいておらず、言葉をつむぎだした。ずっとせき止めていたのか、一度言葉にし出すと止まらないようだった。明子は、いっそ夢中といっていい、言葉に熱さえこもっていた。


「最初は、私に合わせてくれてるのかなって思ってた」

「だから、悪いなって、でもうれしかったけど」

「でも、最近は――変だよ」

「おかしいよ。私が言うのも何だけど……どうしちゃったの?」


 そうして、すっ、と奈緒を指さした。

 奈緒は、明子の言葉をどこか遠くで聞いていた。あれだけ言葉を乞うたにも関わらず、明子の言葉は上滑りしていくばかりだった。明子の言葉が、奈緒の予想外にあったからだ。雑踏が復活し、奈緒の脳を揺らした。その間に、明子の言葉が、宙で旋回し、そうして奈緒の脳に戻ってきた。

 奈緒はその言葉をゆっくりと咀嚼した。


 咀嚼しながら、ぼんやりと自分の姿を見下ろした。


 上半身には、硬い布素材のシャツの上に厚手のセーターを着て、下半身にはタイツと裏起毛のデニムを履いている。その上から大きめのスキーウェアを身につけ、さらにダウンジャケット二枚と、大ぶりなコートを羽織っていた。首には手編み素材の重いマフラーを巻き付け、頭にはニット帽をかぶっていた。手には手袋をはめ、そして顔には伊達眼鏡をかけマスクを着けている。

 限界の限界まで着込んだ姿は、ぱつぱつとこれ以上なく膨らんで、腕と足の可動域を狭め、よちよちと歩かねばならないほどだった。

 ――季節は、もうすぐ四月を迎えるころであった。

 奈緒はショーウィンドーに映る自分を見た。自分を見て、避けていく人々の姿も、目に映った。そして、明子の顔を見た。曇った視界越しにも、明子が自分をおそれているのがわかった。

 ぽたり、伊達眼鏡から汗のしずくが落ちた。

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