10.ヒーローの活躍

 雑然としたダイニングに、若い男が立っていた。


「うわっ! な、何だ⁉︎」


 その男は突如現れたヴァンとユウノに目玉をひん剥いて驚いた。無理もない。片方はヴァン・スナキア。もう片方はヒーローマスクを被っている。ヴァンは彼を安心させるため、落ち着いたトーンで話しかける。


「ご無事ですか? 避難所があるのでお連れしますよ」

「……! は、はい。お願いします……」


 男はヴァンの説明を聞き、目を泳がせながら頷いた。ヴァンは彼をテレポートさせるために一歩歩み寄る。しかし、ユウノがヴァンの腕を掴んで引き留めた。


「待て、ヴァン。……こいつ何かおかしい」


 ユウノの声は怒気を孕んでいた。ピリピリと空気が緊張感に包まれていく。


「お前、この家の人間じゃないだろ? 泥棒か?」

「……!」


 男は即座に身を翻し、逃走を試みる。その態度はユウノの指摘がズバリ命中していることを示していた。この災害時に乗じて火事場泥棒を成そうとしていたのだろう。ユウノは勘だけを頼りに見つけ出してしまった。


「待てよ!」


 ユウノはジャガーのように俊敏に飛びかかり、あっという間に男との距離を詰めた。服の背中を掴んで強制的に足を止めさせ、体勢を崩したところを一押し。男を壁に追い詰めた。さらにユウノは男の首根っこを掴んで、壁に押し付ける。


「お前、こんなときに何してんだよ……⁉︎ ふざけんじゃねえぞ……!」

「うっ……!」


 ユウノは烈火の如く怒っていた。この凄惨な状況の中であまりに身勝手な行為だ。こっちは一人でも多くの命を救うために飛び回っていると言うのに。ユウノが襟元を絞り上げると男は呻き声を漏らした。ヴァンも苛立ってはいたが、彼女がやり過ぎないように諌めなければならない。


「落ち着け、『∞の如く輝き続ける美』」


 ユウノが一瞬硬直し、やがてその腕から力が抜けていった。


「……ヴァン、ありがとな。そんなバカなこと言ってくれたら嫌でも冷静になるぜ」

「……」


 そんな狙いはなかったのだが。何にせよやっとヴァン作のコードネームが役に立った。


 ヴァンもユウノの後を追い、男の逃げ場を塞いだ。男は観念したようで膝から崩れ落ちた。切実に訴えかけるような目でユウノを見上げる。


「つ、つい魔がさしたんです……! 僕の家は崩れてしまって、この先の生活はどうなるんだと思ったら不安で……それで……!」


 彼の釈明を聞いて、ヴァンとユウノは硬直した。


「……そうかよ」


 ユウノは深くため息をついて首を横に振る。


「大変……なのは分かった。でもな、それでも曲がったことはしちゃいけねぇとアタシは思う。……アタシたちが助けられる部分は助けるからさ」


 男は項垂れて、小刻みに肩を震わせた。自分が情けないとばかりに涙を溢す。この状況に錯乱し、出来心で突発的にこの家に闖入してしまったのだろう。手ぶらなところを見るとギリギリ未遂で済んだようだ。


「ヴァン、勘だけどこいつは大丈夫そうだ。警察は勘弁してやってくれ」


 ユウノはヴァンを向き直り、ハキハキと言い切った。根っからの悪人ではないと確信しているようだった。ヴァンもユウノに同意だった。


「避難所に連れて行くよ」

「あ、それはいい。近いんだろ? 自分の足で行ってもらおうぜ」

「……?」


 ユウノは膝を曲げ、男と目の高さを合わせる。まるで弟を諭すような温和な声音で提案した。


「アタシらはお前を見張らない。避難所までの道で泥棒に入れそうな家いっぱいあるだろうけどさ、ちゃんと寄り道しないで行けるな?」


 男は嗚咽を漏らし、何度も何度も首を縦に振った。ヴァンは彼に手を貸して立たせ、避難所の場所を教えた。彼は地元の人間だけあって小学校の名前を伝えたらすぐ理解した。ここから徒歩三分もない距離だ。男を見送るため、二人は外に出る。彼は無言で会釈した後、勢いよく駆け出していった。ヴァンはこっそり分身にこの件を伝え、道中の安全確認を済ませる。


「……良かったかな、これで」


 ユウノは風音に紛れて消えそうなほど小さな声で呟いた。


「本当のヒーローみたいだったよ」


 他の人が被ったら冗談みたいになるヒーローマスクが、彼女にはよく馴染んでいた。ユウノは照れ臭そうに首の後ろを撫でていた。


「さあ、俺たちも避難所に行くか」

「あ、……ちょっと待ってくれ」


 ユウノは何かに気づいたようで、家の前の道路に走っていく。道の中央に落ちていたものを拾い上げ、ヴァンに見せつけた。


「ぬいぐるみだ。どの家の子だ?」


 少し年季の入った熊のぬいぐるみ。ユウノはあたりをキョロキョロと見回す。周辺の家のどこかから溢れ出てきたものだろう。しかし落ちていた位置から特定するのは難しかった。誰かが避難途中に落としたものかもしれない。


「ヴァン、……一大事だぜ。これは絶対誰かの宝物だ」


 ユウノは泥棒を追い詰めていたときと同じくらい真剣な表情で、持ち主とはぐれたぬいぐるみを慰めるかのようにギュッと抱きしめた。その姿が愛らしくて、ヴァンもハグに参加させてもらった。


「この辺りの人は俺が作った避難所に来ているはずだ。持ち主を探そう」

「うん。エルって今手空いてるか?」

「エル……? ああ、思ったほど怪我人はいなかったみたいだ」


 ヴァンはヴァン[エル]に確認を取った。重傷者はこの国かウィルクトリアの病院に搬送したため、避難所の医務室は存外慌ただしくなかったようだ。


「じゃあエルに渡してくれ」

「分かった。持ち主を探してもらおう」


 ヴァンはせっかくさりげなく彼女の背中に回せた手を離し、ぬいぐるみを受け取る。


「それもだけど……、それだけじゃねえんだ。アタシからだって言えば多分伝わる」

「……?」


 意味するところは理解できないが、彼女の判断に任せよう。ヴァンは分身を作り、ぬいぐるみを避難所に送る。


「あ。……これって泥棒か?」


 ユウノが不安そうに額に手を当てた。


「大丈夫だろこれは。……多分」

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