30 父と娘と



「どうぞ、よろしければお飲みください」


 コーヒーを差し出す猫太朗に、徹は申し訳なさそうに頭を下げる。


「すみません。閉店中に押しかけてしまう形になって……」

「気にしないでください。それに僕たちも、話を聞きたいと思っていますから」


 そう言いながら、徹と向かい合わせに座るめいに視線を向ける。突然現れた父親なる人物に、えらく戸惑っている様子であった。

 それは莉子も同じであり、マシロとクロベエを抱きかかえているおかげで、なんとか落ち着きを見せている状態である。


「あの……本当に私のお父さん、なんですか?」


 しびれを切らしためいが、徹に向けて問いかけた。


「正直、私も顔をよく覚えてないんです。だから父だと言われても、全然ピンとこない感じなんですよね」

「そうか……いや、離婚してからもう十五年以上経つからな。無理もないさ」


 徹は穏やかに笑うが、めいは居心地が悪そうに視線を逸らす。

 十歳の時に生き別れて以来の再会は、彼女にとって予想すらしていなかった。どう反応すればいいか分からず、何をどう話せばいいのかも、まるで見当がつかない状態である。

 一方の徹は、娘の反応に少しショックを受けている様子ではあった。

 それでも覚悟はしていたのだろう。すぐにコホンと咳ばらいをして気持ちを取り直しつつ、本題に入る。


「めい。僕はどうしても、キミと話がしたかった。そのために来たんだ」

「……よく私がここにいると分かりましたね?」

「探偵の力を借りて突き止めたんだ」

「そこまでして……ですか」


 絶句するめいであったが、そうでもしないと発見できなかったのも、なんとなく分かる気はする。

 大学を卒業して以来、母親を始めとする身内全般、そして友達の誰にも、引っ越し先や就職先を全く教えていなかった。生き別れたままの父親は、簡単に知ることはできなかっただろう。

 これがもし自分であったら、早々に諦めていたかもしれない。しかし徹は、探偵を雇ってまで、めいに会いたかった。

 間違いなく何かがある――そう思っためいは、顔をしかめていた。


「で? 私にしたい話って何なんですか? まさか、この期に及んで親子で一緒に暮らさないかとか言うつもりじゃ……」

「いやいやいや!」


 段々と表情を険しくするめいに、徹は慌てて否定する。


「そんなつもりはないよ。まぁ、それはそれで望ましいことだが、流石に今更過ぎることだからね」

「じゃあ、他に何を話したいって言うんですか?」


 素直な疑問であった。少なくともめいの中に、思い当たる節は一つもない。

 すると徹は、重々しい表情を浮かべ、俯きながら言った。


「智子が……キミのお母さんが、どうしても会いたいと願っているんだ」

「お母さんが?」


 ここでまさか母親の存在が出てくるとは――めいは普通に驚いてしまう。しかしそれはすぐに、呆れを込めたため息に切り替わった。


「いや、何ですかそれ……それなら本人が、それこそ探偵でもなんでも使って、調べるなりなんなりして会いに来ればいいだけの話でしょうに」


 頬杖をつきながら不満を漏らすめい。不倫という形で男を作り、勝手に蒸発してしまった母親を、やはりよくは思っていないのだ。

 会いたいと思うのは勝手だけど、別れた元夫を利用するのはどうなのかと。


「それはまぁ……そうだね。正論だと思うよ。しかし――」


 徹は俯きながら、辛そうに表情を歪める。


「今の智子には、それをしたくてもすることができない。だから代わりに僕が、こうしてキミに会いに来てるんだよ」

「……どーゆーことです? お母さんに何かあったんですか?」


 流石にふざけて言っているのではないということは分かる。それ相応の事態なのだと思った。

 注目してくるめいに、徹は神妙な顔つきで答える。


「キミのお母さん……西園寺智子は、重い病気で危篤状態にあるんだ」

「えっ……?」

「もういつ、この世から旅立ってもおかしくない……私はそう聞かされたよ」


 めいは言葉を失った。ただただ衝撃を受けており、それこそどう反応したらいいのか見当もつかない状態である。

 徹もそれを察し、小さく頷いて話を続ける。


「そもそも僕がこの件について知ったのは、智子と事実婚状態にある男性から聞かされたことにあるんだ」

「……事実婚?」

「そうだ。向こうから接触してきた時は驚いたよ。それ相応の伝手があるらしく、僕やキミのこともよく調べていた」

「え、じゃあもしかして、あなたが話していた『探偵』とやらも……」

「あぁ。その人がセッティングした形だよ」


 徹の言葉に、めいはため息をつく。色々と話が追い付かなくなってきているが、とりあえず分かることがあった。


「あなたがわざわざ雇った……というワケじゃなかったんですね」

「お恥ずかしながら。僕が話を聞かされたときには、既に調べられてたんだ。伝達係みたいな働きをさせられている形だが、こうして娘と話せるチャンスが訪れたのだと思えば、どうということはない」

「……そうですか」


 めいは再びため息をついた。頬杖をついて窓の外を見る形で、父親から視線を逸らしている娘を、徹はコーヒーを飲みながら見つめる。


「それにしてもキミは、お母さんに似てきたな」

「ぜんっぜん嬉しくないですけどね。不倫して駆け落ちするような人ですし」

「ちなみにその事実婚相手は、不倫相手とは違う男性だそうだよ」

「そうですか。別にどうでもいいですけど」


 拗ねた口調ではあるが、割と本音に等しいのも確かだった。それを教えられたところでどう思えばいいのだと――言葉にすればそんなところだろうか。


「それで? 確かお母さんが、私に会いたがってるとか言ってましたけど?」

「あぁ。智子の最後の願いを叶えてやりたいと、その事実婚相手が動いた……要はそんなところだよ。無論、僕としても同じ気持ちではいるがね」


 徹は穏やかな表情で語り掛ける。少しでも通じてほしいという気持ちが込められているのは明白だ。

 しかし――


「ふーん。なんとも勝手なお願いをしてきますね。思わず感心しますよ」


 めいの表情は完全に冷めきっており、前向きさの欠片も見られない状態だった。そんな娘の姿に、徹も困ったような表情で俯く。


「キミが怒るのも分かる。だが一度だけでいい――娘として、お母さんに顔を見せてやってほしいんだ」

「うーん……」

「頼む。優しい言葉や和解は望まないから……このとおりだ!」


 ガバッと両手をテーブルについて、頭を下げる徹。その姿に対し、今度はめいが困った表情を浮かべる。


(……別に、怒っているとかはないんだけどねぇ)


 むしろ『面倒』という二文字のほうが、頭に大きく浮かんできている。

 改めて少し考えてみても、母親に対して会いたいという気持ちは勿論のこと、憎しみなどの苛立ちも、思いのほか湧き上がってこなかった。

 もはやめいにとっての母親は、血の繋がった他人でしかなかった。

 こんなタイミングでそれに気づかされるとは、なんとも皮肉なものだと、思わずほくそ笑んでしまう。


「――いいですよ。お母さんのところへ行ってあげます」


 無表情かつ感情のない声で、めいは視線を逸らしながらそう言うのだった。


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