28 幼なじみの彼氏くん
「えっとその……実はこの人、私の彼氏なんだよね……」
「へぇー、彼氏いたんだ?」
どこか気まずそうに打ち明ける莉子だったが、猫太朗は特に気にしておらず、物珍しそうに青年を見る。
そして一歩前に出ながら頭を下げた。
「初めまして。莉子の兄でここのマスターを務めている、神坂猫太朗と申します」
「……え、あっ、えっ? あ、あに……って、言いましたか?」
「はい」
それが何かと言わんばかりに、猫太朗はあっけらかんと頷く。そんな彼を見た青年は大いに戸惑い、そしてやはり気まずそうな表情となり、頭を下げる。
「す、すんません……お兄さんだったんスね。知らなかったとはいえ、失礼な態度を取ってしまいました」
「いえ、気にしないでください。それだけ妹のことが、心配だったんですよね?」
「……はい」
やんわりとした優しい声に青年は潔く認める。刺々しい空気が呆気なく浄化されてしまい、傍観していためいは呆気なさを感じずにはいられない。
それは江津子も思っていたのだろう。
つまらなさそうに小さなため息をついて、そっぽを向いてしまった場面を、めいはしっかりと見ていた。なんとも野次馬根性の凄い人だなぁと、改めて感心してしまう瞬間でもあった。
「とりあえず、カウンター席へどうぞ。ゆっくりしていってください」
「は、はい」
猫太朗に案内され、青年は緊張気味に座る。そこでアイスコーヒーを注文し、改めて青年は自己紹介をするのだった。
彼の名前は小田切謙一。莉子とは小学校からの幼馴染であると明かされた。
莉子の家庭事情もよく知っており、彼の両親も含めて、彼女のことを気にかけていたという。
(なるほどねぇ……莉子さんが昨夜話していた『その子』って、小田切さんのことだったんだ)
猫たちを抱きかかえながらひっそりと聞いていためいは、心の中でほくそ笑む。そんな彼女に気づくこともなく、謙一は話を続ける。
「昨日、突然連絡がつかなくなって……心配で探しに来たんです」
「よくここが分かったね?」
「莉子が『ねこみや』って呟いていたのを思い出して……調べたらこの場所がヒットしたんで、もしかしたらと思ったんスよ」
「なるほどねぇ」
猫太朗は腕を組みながら納得する。同時に嬉しくも思っていた。妹のために、ここまで行動してくれる人がいたんだなと。
束縛やストーカーとは違う。純粋に相手を想っての行動だ。
それは次に放たれる謙一の言葉からも分かる気がした。
「……本当はあまり、詮索みたいなのはしたくなかったんスけどね」
謙一が俯きながら力のない笑みを浮かべる。そして、江津子から彼氏との馴れ初めについて聞かれ、あたふたしている莉子に視線を向けた。
「あまり大きな声では言えないスけど、割とアイツ、不幸が続いてたんで……」
「それで気になったと?」
「はい……」
「まぁ、その気持ちは分からなくもないよ」
猫太朗は苦笑する。もし自分が彼の立場なら、同じ気持ちになったことだろう。
「でもホント良かったッスよ。何事もないって分かったんで」
「それはなによりだね」
スッキリとした様子の謙一を見て、猫太朗も誤解が解消されたことは安心する。しかしそれとは別に、少し気になっていることがあった。
「ところで……莉子がここでバイトする件については……」
「あ、それなら別に何も言わないッスよ。お兄さんのところなら、むしろ俺も安心できるくらいッスから」
「――それは嬉しいことを言ってくれるね」
答えたのは猫太朗ではなく、レジの場所から歩いてきた莉子であった。ちょうど江津子が店を出ていくところであり、話に夢中となっている間に、莉子が会計を担当してくれてたのだと知る。
「ありがとうございましたー」
猫太朗が声をかけると、江津子が笑顔で会釈して店を出た。そして苦笑しながら莉子に視線を向ける。
「思いのほか、早く解放されたんだな」
「まぁね。彼氏さんとの時間を邪魔させたくない、とか言われちゃったよ」
「それはそれは……」
肩をすくめる莉子に対し、猫太朗と謙一も笑うしかない。すると莉子が、はたと気づいた反応を示す。
「あ、ねぇ謙一。私、しばらくこっちに通い詰めになると思うわ」
「そりゃ別にいいけど、メッセージの既読ぐらいはちゃんとしてくれよな?」
「分かってるって。そーゆーアンタこそ、スマホ忘れて家に出るクセ、なんとかしなさいよね」
「ハッ! 俺をいつまでも昔の俺だと思っちゃ……」
不敵な笑みを浮かべながら、謙一はポケットをまさぐる。しかしその表情はすぐさま戸惑いに切り替わり、各ポケットやバッグの中身を徹底的に探すが、お目当ての物は見つからない様子であった。
「……またなのね?」
毎度のことなのか、莉子もそれほど驚いていない様子であった。
「てゆーかスマホないのに、よくここまで来れたわね? 地図とかどうしたの?」
「タブレットあったし、IC乗車券は普通にカードのヤツ使ってるから」
「また見事にすり抜けた感じね……てゆーか、アンタ時間大丈夫?」
「えっ……あ、やべっ!」
莉子に指摘され、壁の時計を見た謙一は、慌ててバッグを掴みつつ立ち上がる。
「マスター、ご馳走さまでした。これから俺もバイトなんで、失礼します」
そして猫太朗に向けてペコリと深くお辞儀をした。そして支払いをするべく財布を取り出そうとしたその時、莉子が声をかける。
「待って。そのアイスコーヒー。私の奢りにしておくわ」
「え、いいのか?」
「心配かけちゃったお詫び的な感じで」
「あぁ……まぁ、それならそれで、ありがたく受け取っとくよ」
「それよりも早く行きなさいな」
「お、おう。それじゃ、どうもッス」
莉子に促され、再び軽くお辞儀をしながら、謙一は慌てて店を出ていった。そんな彼を見送った兄妹の元に、マシロとクロベエを連れためいが歩いてくる。
「なんか賑やかな人ね。莉子さんもいい彼氏さんゲットしてるじゃない」
微笑ましそうな表情を向けてくるめいに、莉子は肩をすくめ――
「いやいや……単なる腐れ縁の延長みたいなものですから」
そう言ってのけるも、満更でもなさそうな笑みを浮かべていたのだった。
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