第5話
あれから一ヶ月ほど経っただろうか。
僕は異界屋敷でひたすらにメイド教育を受けていた。
二十四時間メイドのことを考えメイドとして過ごしメイドに成り切りメイドメイドして生きている。
その中には女性らしい仕草というのもあって、本格的に自分が道を踏み外しつつあることを、文字通り全身で感じつつ、もはや諦めにも似た境地で日々を過ごしていた。
もっとだらだら生きたかったのになぁ。
しかし、だらけるという行為は、裕福であって初めて成立する行為なのだろうから、異世界無一文の身では望むべくもない。
シロフィー曰くメイド技術その27『
ちなみにメイドと関係ある?と聞くと力強くあると返されてしまった。
あるわけがない。
そんな忙しなくも平穏の日々に、静かな喧騒がやって来たのは、今日のことである。
分不相応に、奢侈なベッドで目を覚ました僕は(頼み込んでこのベッドに寝かせて貰っている。硬い寝床は現代人にはキツイ)目の前に迫った穴の空いた顔面と共に目を覚ました。
ルイーゼにはもう慣れたものだったが、その日の彼女は少し妙で、僕の方を見て手をパタパタと動かしていた。
『どうしたんですかルイーゼ。そんなに慌てて』
ベッドのすぐそばに畳んで置かれていたメイド服からシロフィーの声が響く。
脱ぐことはできる便利な呪いのメイド服だが、離れることはできない。
メイド服で寝るのはさぞかし寝苦しいだろうから、脱げるというのは本当にありがたい話だけれど。
「あっ、ルイーゼ、慌ててたんだね」
何せ顔に穴が空いていて、表情どころか話すこともできない彼女だから、言いたいことはこちらで察するしかない。
最近はそこが可愛く思えてきた。
だんだん、この館に毒されてきている気がする。
『まだまだメイド力が足りていませんね。顔を見れば一目ですよ』
シロフィーはそう胸を張って言うが、その顔がないというのに。
「でも、確かにルイーゼの表情は、不思議となんとなく伝わってくるんだよね……」
僕はルイーゼの深淵を宿した顔をじっと見てみる。
今の表情は……照れている表情だ!
『合っていますが、それは貴女がそうさせているんですよ』
「マッチポンプだったかひゅ!?!」
全身から空気が抜き出て、変なセリフになってしまった。
いきなり腹をぶん殴られたら、こんな感じになるのだろうが、今回はそういう理由ではない。
急に豪奢に彩られた部屋が、形容し難い肉塗れの部屋に姿を変えた為、恐怖で口から空気が勝手に抜き出てしまったのだ。
まさにマッチポンプ!
そしてこれは、初日に嫌と言うほど味わったトラウマ空間!
『どうやら侵入者ですね。しかも、かなり近付いて来ているようです』
「この冒涜的なの、そういうシステムなんだ……」
もっと平和的な空間で知らせて欲しいのだが、それでは、防犯の意味をなさないのだろうか……。
『どうやらルイーゼの用件はこれだったようですね。相当な実力者が来訪したみたいですよ』
「実力者っていうと?」
『クロみたいに迷い込んだひよっこではなく、ダンジョン探索を生業とする魔術師が来たのです!』
ルイーゼの言葉に、僕は思わず息をのんだ。
魔術。
それはこの世界で半年ほど生きてみて、存在するらしいことは聞いていた。
しかし、魔術師なんてその半年で一度も出会うことはなかった。
本当に存在するのか、ただの噂にすぎないのではないかと、結構本気で疑っていたのだが、その幻の存在こそが本日のお客様らしい。
『魔術師は、超レアな存在なんですよ。そもそもの絶対数が少ない上にあまり人前に出てこないので』
「そんな生きるSSRがなんの御用だろう」
僕の場合は金目当てだったけど、魔術師もだいたい一緒なのだろうか。
魔石目当てなら、穏便に帰って貰えそうな気もするが。
『魔石を取って金稼ぎというのは愚か者の普通です。魔術師の普通はその上を行きます。ダンジョンを乗っ取って全ての既得権益を奪いにきたと考えるべきでしょう』
「魔術師怖っ!? えっ、そんなことできるの?」
『出来ます。超出来ます。さあ、さっさと私に着替えて下さい。招かれざる来訪者にお帰りいただくのもメイドの務めですよ』
私に着替えるという空前絶後の言葉を聞くと、何となく着づらくなるが、そんなこと言ってる場合じゃないので、大人しくメイド服を装着する。
自分の中でそれがスイッチになっているのか、それとも憑依される影響なのか、メイド服を着ると頭の中がすっきりとして、仕事をしようという気になってくる。
これがメイドの気持ちで生きた一ヶ月の成果なのかもしれない。
『肉の道の先にいますので、それを目印に進んでください』
トラウマロードを進めと言われ、僕の中の仕事への意欲が急速に萎えていく。
「やっぱりこの仕事メンタルに来ますね……転職を考えようかしら」
『そんな話し方になった時点で色々と諦めてください。ほら、武器も持って』
ルイーゼが持って来たらしい謎の細長い袋を手に持つと、僕は嫌々部屋を出た。
一ヶ月ぶり二度目の肉の廊下は、相変わらず不気味で、慣れる気がしない。
心臓を掴まれたような苦しさを感じながらも、僕はただひたすらに無心で進んだ。
ぶにぶにぐにぐにとした床をぼんやりと、焦点をぼかして眺めながら歩いていると、急に、肉の廊下が消えた。
途中から、普通の廊下になっていたのだ。
「えっ⁉ 道を間違えた?」
『いえ、これは上書きされたのでしょう。思ったより高位の魔術師だったみたいですね』
「怖〜」
心臓には優しくなったが、これから会う人物への恐怖は増すばかりだ。
恐れ慄いて立ち止まっていると、カツンカツンとした冷たい音で、急に静寂が破られた。
肉の廊下では決して鳴り響かない高らかなその靴音と共に、魔術師は姿を現した。
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