第28話 忘れられた少女4


「わたし……その主人公に、憧れてました」


 思った通り、アンジェリカは勇気を出して外に出た本の主人公に憧れていた。人見知りが激しくて、でも皆と同じように話してみたい気持ちもあって、そんな己と似たような境遇の主人公に自分を重ねていたのだろう。そういうのは、とてもわかる。


(でも……妙な切り出し方だな)


 彼女が自ら話してくれたのは嬉しい。けれど、俺はまだそこまで何も口にしていなかった。それなのに、アンジェリカはまるで聞いていたかのように話し始めた。無意識に口に出していたのかと考えるが、『良い本だよね』としか言った記憶しかない。

 首を傾げていた俺だったが、その答えはアンジェリカから返ってきた。


「あ、あの……どうしてなのかわからないのですが、その……アルフレッド様の声が聞えるんです」

「……え?」

「耳から入ってくるというより、直接頭に入ってくるみたいな感じなのですが」

「まって。じゃあ、僕の考えまる聞え?」


 驚いて確認すれば、アンジェリカは申し訳なさそうに小さく「はい……」と答えた。

 なんてこった。いつから聞えていたのかわからないが、変な事まで聞えていたらどうしようかと背中に変な汗が流れる。


(何で? 俺なんもしてないよ? 魔法なんかも使ってないし……ん? 魔法?……もしかして)


 ディルクを見る。すれば彼は真顔でウインクをしてきた。やっぱりお前か。


(テレパシーみたいなものなのか? 便利っちゃ便利だけど、でも俺自らじゃなくて第三者に勝手に飛ばされるのは恐怖でしかなんだけど?)


 部屋を包む魔法もそうだが、人の思考を他者に飛ばす魔法まで使いこなすディルクに戦慄する。『良い働きでしょ?』と、そんな声が聞えて来そうだがお前がやってる事は拘束案件だ。俺だから良かったものの、そんな気軽にポンポン使わないでほしい。もの凄く役には立つけれど。今度誓約書でも作ろうかな。


(天才の思考回路は恐ろしいな……)


 呆れ半分怖れ半分に苦笑する。すればソファーの裏で小さな笑い声が聞えた。


「あ……ごめんなさい」

「いいんだよ。むしろ、君が笑ってくれるなら本望だよ」


 未だソファーの裏に隠れている少女に微笑む。「……たらし?」「無自覚なのが恐ろしい」と後ろから聞えるが無視だ無視。


「ソファー、座っても良い?」


 暗に近付いても大丈夫かを問う。返事は無いが逃げる素振りもないので、俺は本を持って、彼女が隠れるソファーに腰を下ろした。


「お話するの苦手だって聞いてたから、僕の話で笑ってくれて嬉しいよ」


 背にアンジェリカの存在を感じながら、本を開く。本の主人公は、成長するに連れてカーテン越しに少年と話すようになった。今の俺たちの状態はそれに似ている。もっとも、似るようにしたのだけど。


「話すのは、嫌いじゃないんです。お父様やお母様、ウィル兄様たちとは普通に話せますし。でも、知らない人にマジマジ見られたりすると、なんだか……怖くて、言葉が出てこなくなってしまって」


 ゆっくりながらも、言葉を選んで話してくれる彼女に耳を傾ける。


 アンジェリカの場合病まではいかないと思うが、社交不安症という病は存在する。だがそれは前世の長い歴史の中でやっと認められた精神的な病であり、この世界にはまだそういった病は認められていない。せいぜい目に見えてわかるものだけが対処される。それですら「気が弱いからだ」と言われてしまうのだから生きづらいだろう。


「そう……頑張って喋ってくれて、ありがとうね」

「目の前にいなければ、その……まだ、大丈夫なので」


 彼女の頑張りに微笑んで、本に目を落とす。カーテン越しに主人公に語りかける少年もこんな感じだったのだろうかと思いながら、俺は口を開いた。


「……君は、君の状況をどれぐらい理解してる?」


 背に感じる距離で、息を呑む音が聞えた。それだけで全てわかってしまうのが悲しい。


(わかるよ……俺もそうだったから)


 ショウの記憶を鮮明に思い出した時の事を回想する。

 死んだことにショックは受けた。だってあの時は幸せの中にいたのだから。それが一瞬で奪われた事実に打ちのめされない訳がない。


(でも……一番辛かったのは)


 思い出して込み上げてくるのは愁嘆ではなく確かな怒り。大切な者を自分のせいで死なせてしまった己に対しての憤怒だった。


「……全部、わかっています」


 小さな答えに、『ああ、やっぱり』と溜め息を吐く。見守る事しか出来ないウィリアムも沈痛の面持ちで見つめていた。普通の事だ。もう既に死んでいる事を理解していながらもずっと存在していたのを聞けば、家族であったウィリアムは心苦しいだろう……顔もわからないのなら尚更だ。


「今のままじゃダメだって、ずっと思っていて。そんな中出会ったその本の主人公に憧れて、それで……あの日、私がお願いしたんです。ウィルお兄様たちの所に遊びに行きたいって」


 本の主人公は、外への恐怖はあれど勇気を出して世界に出た。そんな主人公のように、アンジェリカも外に出たのだ――切っ掛けを作って。


「一瞬……一瞬でした。何かが突進してきたような衝撃を感じたと思ったら、そのまま……そのまま、が……崖からっ」


 気付いた時には、馬車は大破。両親や御者、馬の肉塊が散らばる中心に立っていた。何がなんだかわからず辺りを見渡せば、木っ端微塵になった馬車の残骸の側に、へし折られた枝のように転がっている自身の姿を見つけ、恐怖した。混乱している間に身体は黒く染まり、気が付けば真っ暗だった部屋の中にいたのだと、嗚咽まじりに話す彼女の言葉を、俺やウィリアム、ディルクもただ静かに聞いていた。


「外に出たいって言わなかったら、あんな事にはならなかったのに……!」


 悲痛な声が、部屋に響く。答えるこえは何も無い。


(偶然、か)

 アンジェリカが両親に願い外出したのと悪意に襲われたのは、きっと偶然が重なっただけだと、俺自身に降りかかった災いと合わせながら考える。

 俺たちの前にアカリが現れたこと自体は偶然ではないが、あの日橋の上で遭遇したのは偶然だ。あの日外食する約束をしなければまだ死んでいなかったかもしれないと考えるのと一緒で、アンジェリカも同じような偶然に絶望している。


(……でも、それじゃ何の解決にもならない)


 泣いていても、打ちひしがれていてもどうにもならない。だって起きた事は変えられないから。変えられるとすれば、これからの事だけだ。


「……君は、どうしたいの?」


 ページを捲る。カーテン越しに語りかける少年もそう言っていた。

 何事も、本人の意志がなければ動けないし、動かない。願いがあるなら動かなければ始まらない。そのままでいたいなら、それまでだ。


「ど……どうって?」

「そのままの意味だよ。このままここで泣いていたいか、それともここを出てご両親や巻き込んだ人たちの仇を討つか」

「……でも」

「また誰かを巻き込んでしまう?」


 言い淀む彼女に、このままじゃいけないという思いが残っていた事に安堵した。


「そんなの、仕方ないよ。たとえ普通に生きてたとしてもそれだけで誰かを巻き込んでるし、迷惑かけてる。そこら辺の考えは、まぁ……気にするなら気にすれば良いけど、周囲はさほど気にしてないよ」

「で、でも、またわたしのせいで死んじゃったら」

「ご両親たちの死は君のせいじゃないよ。偶然が重なった結果に過ぎない。今重要なのは、君がどうしたいかだよ」


 アンジェリカの動揺が伝わってくる。厳しいよね、わかるよ。


(ごえんね、もっとゆっくり時間をあげたかったけど……時間がないんだ)


 アカリの魔の手は今この瞬間にも伸びて来ている。彼女の悪意は底なしだ。目的のためには関係ない者も簡単に手に掛ける。そんな相手から今度こそ大切な人を守るためには、生ぬるい事を言ってはいられない。


「……今、君を殺した相手はウィルの事も狙ってる。君が彼を守りたいと願えば、僕たちは君の手を取るよ」


 卑怯だろう。目の前のウィリアムも避難の目を向けている。俺もそう思うよ。でも前世のような甘ったれな考えは捨てなければ何も守れない。どんなに批難されようと、止める気は無い。


「……ほんとう、ですか? ウィル兄様が、狙われてるって」

「本当だよ。今、ジュード家は悪意によって壊れかけてる」

「アル!」

「ウィル、僕は今彼女と話してる」


 俺が制止をかければ、ウィリアムは驚いた顔をした。そりゃそうか。今までこんな風に言い返すことなんてなかったもんね。でもごめんね。もう、君が知ってる坊ちゃんアルフレッドじゃないんだ。アンジェリカをここから出してあげたい気持ちは本当だけど、それより他に大切なものがある以上、グダグダといつまでも付き合う気は無い。


「無理にとは言わないよ。決めるのは、君次第だ」


 パタン と、本を閉じる。

 暫しの沈黙に、彼女の答えを待った。


「……わたし、ここから出たいです」


 小さくも決意を孕んだ声に微笑む。それが彼女の前進へのものなのか、自身への自嘲なのかはわからなかった。


「後悔はない?」

「はい……大切なひとたちを、守りたいです」


 彼女が立ち上がる気配に、俺もソファーから腰を上げる。振り向いた先にいる彼女は、確かに俺を見ていた。


「そういえば、君の名前をちゃんと聞いてなかったね……君の名前は?」


 そう言って、手を差し出す。きっと今なら答えてくれるだろう。彼女の雰囲気が物語っている。


「……アンジェリカです」


 瞬間、真っ白だった窓の外に青々とした空が現れ、自然の光が目の前の少女を照らした。


「アンジェリカ。良い名前だね」


 返された手を握って、やっと呼べた名を口にする。


 俺の目の前には、アメジストを連想させる紫の髪を持ち、ウィリアムと同じ金色の瞳をした少女がいた。

 

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