第25話 忘れられた少女1

「……意外」

「え? 何が?」


 後ろにいたディルクの言葉に、俺は振り返った。かち合った目に首を傾げれば、ディルクも同じ様に首を傾げてくる。お前は鏡か。


「いや……アルだったら、恐怖で騒ぐかな~って思ったんだけど」


 意外に大人しいんだね、と心底不思議がるディルクに、以前のアルフレッドは今までそういう男だったのを察した。

 確かに十才とまだ子どもだけど、流石に友人の親戚の家で怖がって騒ぐと思われているのはどうなんだろうか。本当にちっさい男だったんだな、アルフレッド……。


「だって……ここにいるのはウィルの従姉妹の家でしょ? そりゃ誰もいない邸は不気味だけど、定期的に見回りもされてて、もし化けて出てもこの家の人物だってわかってるから、そんなに怖くないよ」


 俺たちは今、亡くなったウィリアムの親戚の家に来ている。勿論、本当のアンジェリカの手掛かりを求めにだ。


「本当のアンジェリカ嬢の生存をキッパリ否定したのも意外だった」

「ああ……前のアルなら『絶対生きてるよ』と言っていても可笑しくはなかったからな」

「ね。やっぱり、前世の意識はアルフレッドと大分違うよね」


 随分な言い方だけど、言われても仕方ない気がした。俺もアルフレッドだったら言っていそうだと思う。希望を捨てず前向きなのは悪いことではないけれど、現実を見ずに夢・理想だけを語るのは愚かなだけだ。特に遺族に向かって可能性の低い希望は気安く口にするもんじゃない。


「……報告書読んだ感じだと、状況的に生存は厳しかったからね」


 一家が亡くなった直後に調べられた報告書と、今回再度調べ直して上がった報告書を読んだ結果、悲しいが娘が生きている可能性は限りなく低かった。


 一家が事故に遭った日は雨が降っていて、尚且つ気温も低かった。天気が良くても厚手の服装が好まれる程の気温なのに加え、雨が降っていたとなれば生きていても凍死する。防寒具なしの幼い子どもなら死亡率も高い。

 発見された馬車は大破。ヴィクターは何も言わなかったが、近くで見付かった夫婦は目を背けたくなる状態だったらしい。御者も馬も同じで、むしろ識別できる部分が残っていたのが奇跡だったようだ。そんな惨状で、娘だけが無事だったとは到底思えない。しかも無傷でだ。


(最新の報告書では、夫婦とは違う衣服の切れ端もあったみたいだし……どう考えても多少汚れていただけのアカリの服じゃないしな)


 馬車の近くで泣いていたアカリは、確かに土や雨で汚れていたが、怪我もなく衣服も無事だったらしい。発見した騎士と手当てに当たった女性騎士、医師が証言していたし、まず間違いないだろう。アカリは一家の娘に成り済ましているし、本当のアンジェリカは既にこの世にいない。


「ウィルには……本当に悪いと思ってる」

「……何をだ?」

「ほんの少しも希望を抱かせてやれなくて」


 前世の俺が死ぬ時、ミツキに生きて欲しいと願った。でもアルフレッドに転生して記憶が蘇った時、それは望みで終った事を知って、絶望した。しかし、それだってまだ良い方だ。願えるだけの可能性がまだあったという事なんだから。

 けれど、ウィリアムは違う。二度の現場検証で、生存率はゼロに近いと判断された。夫婦や御者、人間より強い馬ですら悲惨な状態だった事実を見れば、娘が無事という判断はどうしてもできなかた。『もしかしたら』という希望まで抱き締めさせてやる事も出来ない。


「いや……冷静な判断をしてくれて、むしろ感謝する」

「その代わり、アカリの奴はしっかり成敗するからね」

「自分の幸せのために行動するのは良いけど、誰かを犠牲にして手に入れようとするのはいただけないよね」


 どんなに悲しくても、過ぎてしまったことを巻き戻したり、救えなかった命を蘇らせる事は出来ない。俺たちに出来るのは問題を解決する事だけだ。

 アカリはまだ諦めていないようだし、きっと抵抗してくるだろう。逃げるために再び誰かを犠牲にするかもしれない。ノエルを目の敵にしているし、何か仕掛けてくる可能性も否定出来ない。

 十才の子どもになにが出来ると言われれば、確かにできる事は少ない。特に今の俺は体力もなければ知識も少ない大馬鹿王子だ。でもショウの記憶と王子の権力をフル活動すれば多少なりとも何か出来る筈だ。その希望がある限り諦める訳にはいかない。

 アカリはミツキだけでなく、友人の親戚の命まで奪い家族もメチャクチャにしている。到底許せるものではないし、許す気もない。


「ぜーったい、アカリは許さないからね」

「……私怨?」

「半分はそうだろうな」


 そんな俺たちの耳に、遠くから カタン という小さな音が届いた。


「「「…………」」」


 聞き間違えだろうか。でも目の前も二人とも同じ顔をして固まっている。気のせいだと思える要素がなくなってしまった。


「……今の、何処から?」


 先に硬直が溶けたディルクが、音がしたであろう方を向いて目を細める。

「今の聞こえた?」と聞かない辺り、本当に何処かで音がしたのだろう。発生源がなんなのかわからないのが気味が悪い。


「恐らく……談話室、だと」


 ウィリアム曰く、音は今いる廊下の先にある談話室から聞こえたらしい。

 思い出が詰まった場所なのだろう。ウィリアムの横顔が、何となく寂しそうに見えた。


「……行ってみよう」


 ウィリアムの様子に恐怖も引っ込んだ俺は、先頭に立って談話室に向かって進んだ。

 始めに言った通り、もし幽霊がいるのであれば、ここにいるのはウィリアムの親戚だ。ちょっと怖いけど恐れる事はない。それに、目的の従姉妹の魂がいるのであれば会わない訳にはいかない……誰の記憶からも忘れられたままにしておく事は、俺がしたくなかった。


「お、お邪魔しま~す」


 談話室の扉をゆっくりと明けて室内を見渡す。花柄模様が華やかな深緑色の壁には絵画や肖像画が飾られ、ワインレッドの絨毯が敷かれた床はうっすらと埃が積もっているものの、それでも傷みなく綺麗な状態だった。


「……素敵な部屋だね」


 談話室というぐらいだ。色んな思い出が詰まった場所である事は間違いない。その証拠に、ウィリアムも懐かしそうに周囲を見回している。素敵な家族に優しい雰囲気を感じる分、一つの悪意に全て奪われてしまった事実が悔しい。


「……ねぇ」


 一ヶ所をじっと見ていたディルクが俺たちを呼んだ。視線は一点を見つめたまま微動だにしない。


「家族の肖像画か……」


 ディルクが見ていたのは、一家が仲良さげに寄り添った肖像画だった。


 一家の幸せな一枚だ。本当は微笑ましく眺めていたかった。


 一人だけ異質な姿を見なければ……


「こ……この子」


 一人だけいる幼い子ども……きっと本当のアンジェリカだろう。

 少女の姿は、黒い顔料で塗り潰されたように真っ黒だった。

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