『おむすび』(KAC2020参加分再掲:お題【Uターン】)
木漏れ日の下、鋲打の山靴で山道を上ると、不意に開けた広場に出た。
なんとなくあたりを見回し「先客」がいないことに安心し……安心したことに腹が立った。
「……なさけねえあ、俺」
十代半ばくらいに見える少年だ。実際にはもう少しで十四歳になる十三歳。
やや大人びて見えるものの、成人とみなされる年ではあっても、集落をでて単独行動をするには少し早い――そんな年頃の少年だった。
革鎧に厚手の革手袋。蛇除けの藍色に染められた帆布地のズボンには念入りに膝当て布が縫い付けられている。
麻のシャツは旅の途中なのにぱりっと白くて清潔感があるが、黒い髪は、少し伸びすぎていた。
そんな彼はため息をつき、あらためて野営地を見回す。
きれいに始末された焚火の跡。予備のかまど用に準備されたひらべったい石。座り心地のいい切り株。大岩をくりぬいてつくって作られた貯水槽。その上には『火の用心』と書かれた看板が立てかけられていた。
その字をみて、すぐに村の長老……『じっちゃん』の字だとわかる。
「……」
知り合いの痕跡や、次に使う者への気遣いを見つけて、否応なしに「帰ってきた」のだと思い知らされる。
「……」
大人たちとの大ゲンカの揚句、夜逃げのように飛び出して――半年。
結局、世界の大きさと自分の未熟を思い知って、自分は家に帰ろうとしている。
「…………帰り、づれえ」
少年はがくり、と、地面に両手をついて項垂れた。
「あ、あの……」
負け犬のポーズで蹲った頭の上から。おずおずと遠慮がちに。
「やはり、わたしはここで引き返した方が。その、これ以上、ご迷惑は」
最近随分聞きなれた優しい声が降ってきた。
顔だけ上げると背嚢をおろして所在無げに佇む巡礼姿の少女が目に入る。
「そんなワケにいくかよ。『姫』一人でどこにいくんだよ」
「……ええと。すみません。そのとおりです」
一気にしおれた少女に向かって、少年は「まーいいから、その辺に座って座って」と手を振った。
「一人前の男ってやつは、女の子を大切にするもんだぁ」と大人たちに言われていた彼は「今のはちょっとそっけなかった」と反省した。
何しろ、村に同年齢の子供がいなかったので、少年はこういう時どうしたらいいかわらからない。
そんな彼の心中を知ってか、知らずか。
少年の言葉に「はい」と小さいけれどきちんと聞こえる声で返事をし、少女はスカートを整え、膝をそろえて切り株に腰を下ろした。
そしてほっそりした指で襟元の結びを解き、フードを外す。
首を一振りすると、まるで明けの空の第一光のような、鮮やかな朱金色の髪が、「ふわり」と広がった。
「……なんだか。不思議な場所ですね。空気が暖かく感じられて、ほっとします」
少年は知る由もないが。
その髪色こそは王国の王族、それも王位継承権を有する直系の血筋にのみ発現する身体的形質だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
少年が食事の準備をはじめるのを、彼女は黙って見つめていた。
丁寧な手つきで、大切に大切に取り出された真っ白な穀物。それをたっぷりの水につけ、両手で静かに、一粒一粒をこすり合わせるように、揉む。
この行為を「研ぐ」というのだと、少女は少年から教えられて知っていた。
――まるで、神聖な、何か尊いものに捧げる『神事』をみているよう。
繰り返し水を替え、すすぐたび。彼の掌の中で、それは次第に清らかになっていくような気がして。
やがてそれは「飯盒」と呼ばれる黒くて小さな釜に封じられ、火にかけられる。
流れるような少年の所作を彼女はほれぼれと見つめた。それは人生の大半を神殿という清貧と効率の集団生活で過ごした彼女にとって、身近で心安らぐものだった。
「……」
彼女は王都の神殿に仕える神官だった。少なくとも最近までは沢山の神官の一人だった。
彼女はその髪色が示すように王族。現王の正妃を母とする継承順位三位の王女だった。だが幼い頃に母が身罷り、強大な後ろ盾を有する側妃が正妃となるに及んで、神殿に入ることを余儀なくされた。
別にいい。信仰に疑問もなかった。神殿の集団生活で協調と孤独を同時に学んだが、不満を覚える前に心と体が馴染んだ。
それが一変したのは満月の次の朝。
身を清めた彼女は、神殿を訪れた勇者に祝福を与える予定だった。これは王女という身分と優れた魔力感応性、そして彼女自身は考慮していなかったが類まれな容姿の故だった。彼女が、勇者と王太子の引き立て役となり、神殿の奥に生涯引き籠るのだと示すパフォーマンスだった。
粛々と儀式に向かおうとした彼女に、しかし、異変が起こった。
衆目の中で彼女に神が降臨し『天啓』が下されたのだ。
神意に曰く『魔王現るるとも恐れるなかれ、未だ現れざるも勇者あり』と。
王家も神殿も騒然となった。魔王の出現は預言書にあった。だが問題はすでに選定されていた勇者のほかに勇者がいること。否。儀式を行うはずの勇者が偽物だと、示されたことだった。
あたりまえだ。勇者に選定された男は政治的な駆け引きで選ばれた家柄が良いだけの間に合わせだったのだから。
王国の指導者たちはすぐさま情報の隠蔽を図り、そして。
「……」
ただ神の声を伝えただけの彼女は、彼女を取り巻く世界のすべてから裏切られた。
何も信じられず、いかなる明日も思い描けず、ただ一人になってしまった彼女。
暗殺者に襲われすべてをあきらめた時、彼女は聞いたこともない田舎の村から出てきたばかりの、まったく都の地理をしらない少年によって救われた。
「あんたは、ここにいるべきではないと思う」
少年のその言葉に、王都以外の世界を知らない少女は縋るほかなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……よっし。できた!」
少年があげた歓声で、少女は「はた」と我に返った。
「あっつ、あち、あちち」
などと言いながら、少年は白い――ほんとうに輝くばかりに真っ白な「ごはん」を手に取って器用に三角形にまとめ、ふたつ、みっつ、と飯盒の蓋に盛ると、「ん。」と少女のほうへ突き出す。
ほかほかと甘い湯気を立てるそれに目を奪われながら、少女が素手でつかむのを躊躇していると、「いっけね」と少年が席を立って少女の横に座る。
飯盒をテーブル替わりの切り株に置くと、少年は隣の少女の手をひょいと両手で包んだ。
「……はっつ!な、なに、お――」
「『クリーン』」
ほわりと光が彼らの手を覆う。
「――はひ? ぴやああああっ」
「変な声だすなよ。ほら、俺はもう手を洗ってあるし、これで姫もきれいになったでしょ? おむすびは素手で食べなきゃ!」
「――せめて! せめてひとこと、いってください! わたしにもこ、こころの準備というものがっつ」
何しろ、神殿には同年齢の男の子なんていなかったので、少女はこういう時どうしたらいいかわらからない。
「それにっ! なんでそんなに簡単に清拭魔法が使えるんですか!」
普通はそれなりに修行をして階位をあげて漸くつかえるようになるものだ。
「しらないよ。姫が教えてくれたんじゃん」
「そうですけど! そういうものではないのです!」
「なんだよ。それ」と少年は笑い「そんなことはいいから!」と少女をせかす。
「はい。手を合わせて」
ふんす。と鼻から不機嫌そうに息を吐いて、それでも少女は言われたとおりに両手を胸の前で合わせた。
この食材を命がけでとってくれた人。少年の旅立ちの時にそっと荷物に忍ばせてくれた人に、感謝するためにするのだと、彼が教えてくれた「作法」。
「「いただきます」」
「はぐ」とひとくち口に含むと、口の中でほろほろと粒がほどける。
――しょっぱいのに甘い。おいしい。しあわせ。
お塩の味付けだけのおむすびは、いつも通りに、とってもおいしい。
中に色々具を入れたりするらしいけれど、少女は少年の握ってくれるこの真っ白いおむすびが、世界で一番好きだった。
「に、しても。手ぶらで帰るのは、ちょっとなあ」と、少年は手の中のおむすびを見て、ひとりごちた。
「寛兄ぃに『サケだって一年は帰ってこねえもんだぞ』とか、絶対ぇ笑われる」
「サケ?ですか……」
神殿で勉強して知識量はあるはずの少女はその生物をしらなかった。
「あれ? そっか地元の人は別の名前で呼んでるかも――ああっ!」
と、突然、叫んで少年が立ち上がる。
「ど、どうかしましたか?」と少女が訪ねると、少年は興奮気味に答えた。
「サケだっ! この辺に戻ってくる時期なんだ! 枯れ谷にいったらクマがいるかもしれないし、サケもくるかもしれない! お土産が獲れるかもしれない!」
その「クマ」という生き物も彼女はしらなかった。
「はあ……そうなんですか」
「ごめん! 姫。三日ぐらい寄り道する! もうちょっと頑張って!」
「いえ、わたしは行く宛てもない身ですので……でもサケとクマ、ですか」
「あとイクラ!」
それも知らない。少年と旅を始めてから、彼女はびっくりすることばかりだ。でも――
「かまいませんよ。わたしはあなたについていくのみです」
さりげなく飯盒の上の最後のおむすびを手に取って、彼女はにっこりと笑った。
少年がいつも通りに元気なった。それで彼女には十分だ。
そして、いつのまにか。沈んでいた彼女自身の心が沸き立ってきた。彼の「おむすび」にはそんな不思議な効果がある。
「では、まいりましょうか。勇者様!」
「だから、俺が勇者なわけないじゃん。俺の名前は健太だって」
「だったら私のことも『姫』じゃなくて名前で呼んでくださいっ」
「俺の事、勇者って言わなくなったら姫呼びやめるっていってるだろ! フィアーネの馬鹿!」
「あっ!バカっていうほうがバカだって、昨日言ってたじゃありませんか! ケンタさんのバカっ」
二人は賑やかに後片付けをし、帰郷のお土産を見繕うべく『枯れ谷』へ出発した。
――『クマ』というのが四本腕の凶暴な災害魔獣であり、『サケ』が定期的に回遊してはそれを食らう獰猛なワイバーンの変異種であることを、この時の彼女は知らなかった。
さらに『イクラ』なる存在の驚異の生態にも瞠目することになるのだが……まあ、それは別の話である。
完
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