花が瀬村異世界だより まとめ
石束
『ぶり大根』(ブリ編)(KAC2020参加分再掲:お題【四年に一度】)
風が吹いていた。
吹き飛ばされそうな豪風である。物陰、たとえば木陰や岩陰でもあれば身をひそめることもできようが、ここにはそんなものはない。
ここはあたり360度を見渡せる岩山のてっぺんである。影をつくる岩などもなく、それどころか、何かがぶつかって砕けた岩くずばかりが散乱しているようなありさまだ。
そこに数人の男たちがいる。岩くずをはらって岩盤を探し、アンカーボルトを打ち込んでザイルを手繰り、体を括り付ける。
風と、そして間もなくやってくる、あるものと対峙するために。
「寛治ぃ! ホントにくるんだろうなああ!」
「信用できる情報だ! ギルドでも、情報屋でもなく、地元狩人から聞き出したんだからな!」
安くはない酒と必要分から削った保存食。山じゃ命を削るのと同じくらいに価値があるそれを、泣く泣くハタいて手に入れた「穴場情報」だ。
「ちくしょおおおお。これが終わったら、残りの酒ぜんぶのんでやるうううっ!」
勝手にしろと男……
――と、その刹那。
ひゅごん。
と、何かが寛治の頭の横を通り過ぎた。そして背後の枯れ木にぶつかり、半ば朽ちていたらしいそれを、木っ端みじんに破砕した。
――まじか!
寛治は口の中で悪態をついた。
――ざけんな!
こんなバカな速度とは聞いていない。しかも今のサイズなら、40センチもないはず。なら重さも3キロそこそこだろうに。
それが、枯れ木とはいえ大人二人分くらいはありそうな立木を折り砕く。
――くそったれ!
死んでたまるか、とあえて口にする。そうして息を吐き、手にした黒柿の木剣に魔力を回す。
そしてもう一度、死んでたまるかと口の中で唱えて、構えた。
そうとも、死んでなるものか、日本に帰るまでは。
家族にもう一度会うため、己をこんなふざけた世界に送った何者かをぶん殴るため。そして――なにより。
ぶり大根を食べるまでは。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
何の因果か異世界に転移してしまった人々がいた。特に理由もなく、召喚されたものでもなく、勇者でも魔王でもない。死んでいないので帰りたいのだが、帰還方法のアテもない。
何をすべきか? と考えた彼らは自分たちの生活を成り立たせ、帰還方法を探すためにささやかでゆるやかなコミュニティを作り、助け合って生きることにした。
そして。
そんな営みが、なんとか軌道に乗って、安定してきたとして。
そうすると――なぜか。なぜか、無性に食べたくなったのだ。
ぶり大根が。猛烈に。
なんでそんなことを思ったのだろう? と今にして思う。
あの時、あんなことを口にさえしなければ、今日の苦労はなかったのだから。
その瞬間まではいつもどおりの夕飯時だった。
コミュニティというかいつの間にか村を超えて宿場町ぽくなってしまった彼らの集落の中央で、なんとなく居酒屋っぽい店を営んでいた寛治は、常連たちとの会話の中でふと
「ぶり大根、食べてえなあ」
と漏らしたのである。店内は静まり返った。
旬のブリを鱗をおとしただけの皮つきでおおぶりに断ち。
これも皮をつけたままの大根をあく抜きして醤油とみりんの濃いつゆにしずめ、ぶ厚いおとし蓋をかぶせて、煮詰める。
……砂糖はざらめがいいかな。
ショウガかゆずの千切りを用意して。
甘い香りが漂い、湯気を噴き上げる鍋から、ふたをとれば。
てらてらとつややかなあめ色になるまで煮込まれたブリは箸で砕けるほどにやわらかく、そしてブリのあぶらがしみ込んで透き通って赤い琥珀のような厚切りの大根からは芳醇なうまみがじゅわりとしみだして……
――ああ。
――何も言わないのに、それぞれの脳裏に浮かぶ。それぞれの『ぶり大根』が。
ごっくん。と誰かがのどを鳴らした音がした。
「ああ食いてえ」
「食べたいわ」
「いいねえ。おふくろの味って感じで」
「わたしおばあちゃんから作り方教わって」
「おお! すごいな。じゃあ作ってくれよ」
しかし。
この異世界には醤油やみりんがなかった。いや、ほかの異世界にはありそうな、米も麹も大豆すらなかったのだ。
近くには海もなく、大根に至っては時折森から現れては家畜を襲う、植物系のモンスターだった。
ああ、それでも。それでもなお、彼らはぶり大根が食べたかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「寛治いいっ いったぞ!」
「うおおおりゃああっ」
真っ向から、振り下ろした木剣に手ごたえがあったが、軽い。
みれば、足元に銀色の流線型をした物体が落ちている。魔力を込めた木剣でマヒ状態にしたが、それでも時折バタバタと跳ねている。
「ちい! こいつは『ハマチ』だ」
やはり、小さい。40センチで3キロ。2年ものといったところだ。
とはいえ、これはスズキ目アジ科の魚類であるところのハマチに似た、違う何か。ということになる。
実際これはハマチそっくりだ。そしてハマチはうまい魚だ。刺身にすればどんなにか旨いことか。
――ちげえんだよっ
だがどれほどにうまかろうがハマチだ。ブリではない。
出世魚と呼ばれるブリは、その成長具合で名前をかえる。
二十センチまでなら「ワカナ」三十センチを超えれば「ツバス」
四十センチ以上ならば「ハマチ」五十センチを超えて「メジロ」
――そして、七十センチに達してようやく「ブリ」
これらは同じ魚だ。どれも旨く、人の好みでいえばそこに貴賤はない。
だが違う。ぶり大根だ。俺たちが食べたいのはぶり大根なのだ。
メジロで作ったらそれはぶり大根なのか? 否! 断じて否!
ぶり大根はブリで作らねばならぬのだ。
だからこそ、寛治はここで。ブリを打たねば、ならぬのだ。
酒もみりんも、みそもしょうゆも存在しないこの世界で、最初彼らは、大豆と米を探した。
だが、この世界は、米も大豆も存在しない世界だった。
彼らはそれでもあきらめなかった。
ならばとみりんっぽい樹液を出す木を探し、醤油っぽい乳をだす牛っぽい何かを見つけた。
あとは大根とブリだけだった。
大根と戦うために出発する仲間を見送った後で、寛治はブリを求めて「山」に登った。
そう――この世界のブリは、空を飛んでいたのだ。
ブリ(に似た別の何か)は、大空を回遊していた。
体が大きくなるにつれて、長距離を移動するようになる生態があった。
1年で同じ空に戻るソレは小さく、2年3年と大きくなる。
そして4年かけて周回するモノが体長90センチ、重さ5キログラムに達する。
この世界の人々がそれを何と呼んでいるかは、この場合、関係ない。
次第に大きくなりその都度別の名前で呼ぶこの「存在」こそが、寛治にとって、彼らにとってのブリだった。
寛治はおもった。望郷の念に苛まれ、薄れていく記憶を繋ぎとめようと包丁を握った日を。
寛治はおもった。帰りを待つ家族よりも近しい仲間を。ともに山を登った戦友を。
寛治はおもった。まだ幼い子らを。彼らは懐かしむほどに日本を知らない。
そんなこと、ゆるしてなるものか。
だから――故に、こそ。
四年に一度、この空にやってくる「ブリ」を打ち落とすべく、寛治は仲間とともに、この山にやってきたのだ。
「きたぞおおおお。群れだあああ」
遥か霞む青空の向こうに、銀色の魚群が現れる。寛治は歯を食いしばった。
木剣に込めた魔力があふれる。可視化できるほどに横溢するそれは、おそらく一合しか持つまい。
うなりをあげて、殺到するそれにむかって、寛治は咆哮した。
「けええええええやああああああああっ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
四年に一度の群れが飛び去った後、岩山の頂上には一匹の銀色に輝く魚体があった。
「くそ」
荒い息を吐いて寛治は大の字に倒れた。
「ざまあみやがれくそったれ」
これでぶり大根を食ってやる。
そう心中に思いながら、寛治は大根と戦いにいった連中は大丈夫だろうか?と思った。
……
「あれ? これ1メートル以上あるんじゃね?」
「じゃあ、カンパチか」
「ヒラマサかもな」
「もうこれがブリでいいじゃねえかっ!」
【完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます