『たくあん』(KAC2020参加分再掲:お題【どんでん返し】)

 ぼこん。……ぼこん。


 時折、水っぽい、濁った破裂音がする。静かな森の一角、四角く区切られた人工の池があって、そこに――金色の泥がゆっくり淀んでいた。


「まちがい、ありません……」

 やっとそれだけ言って、巡礼装束の少女、王都神殿の巫女姫たる彼女、フィアーネ・ユラフスは息をのんだ。

 そこにあったのは予言書に記された『魔王』の、むせるほどに濃厚な気配。

 かつて数知れない村と町、そして魔法王国の旧都アガレスを飲み込み、世界の半分を滅ぼした超巨大スタンピート『グランバリア』。その元凶たる魔王の『呪い』。

 やっとのことで、息を整え、この場に案内してくれた二人に見解を伝える。


「古伝承に記録がありました。これは『黄金竜の呪い』と呼ばれているモノです」


 池の周りには四本の竹が立てられ、縄が張られている。その縄に等間隔に白い紙の飾りがつるされている。

 それが『紙垂』と呼ばれるもので、廻らされている縄を『注連縄』というのだと、この場所に来た時、フィアーネは、白と赤の装束の女性から教わった。

 神殿の儀式とは異なるが彼女も巫女。その効果は読み取れた。静謐で強靭な凶祓いの術法だ。だが、恐るべきは魔王。聖属性の魔法で丁寧に処理された上に、この高度な「祓」によってだいぶ弱められているものの、その危険性は決して軽視できるものではない。


「なんということじゃ」


 長老はうなだれた。

 せっかく米(とよく似た別の何か)を見つけたというのに。

 確かに妙なにおいがするヤバそうなヌカがあったから、丁寧に研いでから炊くように指導し、精米時に生じたヌカも一か所に捨てるように『掟』に定めて徹底したが……それが、歴史書に残る程の危険物質だったとは。


「あ、あんまりです」

 白と赤の装束――巫女服の彼女、布施木茜音ふせぎ あかねも崩れるように膝をついた。


 そして、滂沱たる涙とともに、つぶやく。

「きゅうり……なす」

 クヌギの木に拳を叩きつけて、老人も呻く。

「はくさい!」

 少女が続ける。

「ズッキーニ」

 老人が応じる――

「かぶ」

「パプリカ」

「にんじん」

「バナナ」

「みかん」

「プチトマトぉ」

「――たくあんっ!」


 慟哭が、悲痛が、叫びとなって迸る。

 ああ、なんという悲劇か。何かに使えるかと思って大切にとっておいたのに。

 楽しみに、していたのにっ!


「「このヌカ床ではぬか漬けが作れないなんて!」」


「…………何を作るつもりだったんですか。コレで」


 王都神殿の巫女姫は半眼でつっこんだ。

 ちょっと馴染んできたらしい。


 何の因果か異世界に転移してしまった人々がいた。

 特に理由もなく、召喚されたものでもなく、勇者でも魔王でもない。死んでいないので帰りたいのだが、帰還方法のアテもない。彼らは自分たちの生活を成り立たせ、帰還方法を探すためにささやかでゆるやかなコミュニティを作り、助け合って生きることにした。

 そんな営みが、なんとか軌道に乗って安定してきた頃、次に彼らは「故郷の味」を求めた。

 異世界は何もかもが違っていた。必要なものは何一つなかった。

 しかし、彼らはそれでもあきらめなかった。

 酒もみりんも、みそもしょうゆも、米も存在しないこの世界で。

 おむすびを、ちらしずしを、ぶり大根を求める、長い長い旅が、始まった。


 ……のではあるが。


「ぬか漬け」への道は、とりあえず閉ざされたのだった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ……団長自ら率いる近衛騎士二百騎。王国軍から選りすぐりの精兵一千。ギルドマスターが統率する冒険者と傭兵連合体からなる遊撃部隊「銀の円卓」。軍馬や荷車の管理部門、鍛冶をはじめとする職人ギルドを動員再編しての武器担当の職能集団、陣地設営のための工兵、長期戦に備えての屯田兵、総司令官たる王国王太子のもとに作戦・情報・統制・会計・戦意高揚のための軍楽隊など各部門別専門家と軍官僚によって構成される参謀本部、王都神殿司祭長指揮下の神官戦士団と魔術学院薬草科を中核とする医療の後方部隊――王国の持ちうる量的にも質的にも最高の人材を結集し、国庫の二割を吐き出して備えた軍需物資――総数二万に達する魔王征討軍。

 これが王都から二日の位置に、あらたに建設される要塞都市『ガイエスブルク』に入ることになる。


 千年王国と、今代の魔王『黄金竜』。

 その決戦の時は近い。



「……今、なんと申した」


 ふと、耳にした言葉が聞き捨てならず。ギーボット宰相は秘書官に問いただした。

 飄々とした態度で年若い秘書官が返答する。

「このまま、魔王が出現せねば良いのにと。今ならばまだ取り返しがつきます」

「バカを申せ」

 千年王国の『道しるべ』一度の間違いもなかった予言書に記されているのだ。魔王は間違いなく現れる。否。すでに現れている。

「予言は絶対。今は被害が出ていないだけだ」

 万が一。楽天的観測で準備を放擲し、軍を解散して構えを解いたその時に、魔王が現れたなら、一体、誰が、どうやってその責任をとるというのか。

「果たして、そうでしょうか?」

 ギーボット宰相は、秘書官の言葉に含みを感じてようやく相手の顔を見た。

「『魔王現るるとも恐れるなかれ。未だ現れざるも勇者あり』―― 巫女姫の偽宣を思い出しまして」

「ふん。下らぬ!」

 時宜を得ぬ『託宣』に価値はない。情勢を無視した『天啓』は害悪ですらある。

 ましてや、いたずらに混乱を招く『神意』に何の意味があろうか。

 貴族や商工ギルドからの負担軽減を求める嘆願書をつまらなそうにめくりながら、秘書官たる彼の息子は言った。

「案外、『魔王は勇者が何とかしてくれるから、心配せず安んじて暮らせ』という意味で……そうあってくれれば幾分気楽だなと、思ったものですから」

「たわ言を口にする暇があれば、仕事を進めぬか!」


 宰相は拳を机上に叩きつけて怒鳴った。

 しかし、息子は宰相を冷たい視線で、見返しただけだった。

 宰相は知っていた。宰相が捕縛を命じ、従わぬなら始末しようとした巫女姫に、この息子が好意を……あるいは純粋で、そして報われぬ思慕をささげていたことを。

 以来、宰相を見る目が、失望と軽蔑に染まっていることを。

 真に王国民を思い、真心をもって神の言葉を伝えた咎なき、あの少女を政の犠牲にした『人でなし』であると、断じているのがわかっていた。

 わかっているからこそ。宰相は息子の『嫌味』を否定した。


「そんな、バカな話があるか!」


 これは壮挙なのだ。国家の威信を賭けた。否。国家の総力を傾注した戦いなのだ。

 かつてない国難を今度こそ千年王国は、その文化と繁栄をもって克服するのだ。

 そのためにあらゆるものを犠牲にし、道義に目をつぶり、悪徳すら容認したのだ。

 今更、それを、すべてが無駄であり、無益であり、無意味であったなどと、どうして認められよう。 

 たとえ、国力のすべてを使い果たしたとしても、備え、守り、戦い、勝利せねばならない。

 かつて世界を滅ぼしかけた脅威に対しては、現在の体制すらも生ぬるい。


 ――そうとも。千年王国を束ね、挙国一致の体制を築き、かつてない大災害を打倒する。それが、王国宰相たるこの自分以外の誰に可能であるというのか!


「そんなバカな話が、あってたまるか!」


 自分はこの王国を救わねばならぬのだ。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 青空である。

 見上げる空に、夏の名残の入道雲。

 でも日差しは優しく、穏やかな風が吹き渡る。


 集落から一日くらいの草原。視界の先に豊かな森と、その向こうに頭に雪を頂く山脈があり、――その目の前を「のしり」と大きな影が横切る。


 それは山とも見まごうばかりの巨大生物だった。いや、まさしく山そのもの、岩肌に松と思しき木々がうっそうと茂る頂上と、泉が湧き滝が流れ落ちる中層。その山を取り巻くように金色の植物が小さな実をつけて重そうに揺れている。


 ぎおおおおおおおん。


 空気を震わすような轟音――それが、後からソレの咆哮であると気づく。

 古代の悪夢。伝承の恐怖。悪性の種子。――魔王『黄金竜』

 フィアーネは今『神話』を小高い丘の上から見下ろしている。

 となりにはやはり健太が猫背の、ひどく行儀の悪い姿勢でかがんでいた。

 ぶすっとした顔で。


「なんでえ。伝説の魔王っていうからどんなのかと思ったら、『田んぼ』のことじゃねえか」


 なんでも、この村であの生物は「年に一度森を越えてやってきて、例の『お米』をまき散らして山脈に帰っていく、大きな生き物」という扱いになっており、村や畑が荒らされないように、適当に戦って追い返すことが夏の終わりの風物詩らしい。

 ちょうど米の備蓄がなくなったころに、『新米』を届けてくれるという、とてもありがたい存在。

 故にその名前を『田んぼ』。何匹か違う個体が存在していて、それぞれに『品種』が違うのだとか。

 丘の下では何度目かの威力偵察が行われ、今年の『品種』と『等級』の確認がなされており、それが終われば、いよいよ村の若衆選抜総がかりによる、追い返しのための総攻撃。通称『稲刈り』が始まる。


「ほれ! 健太も行っといで! 姫さんが見てるからってはしゃぐんじゃないよ。真面目におやり」

 恰幅のよい、そして若々しく豪快にわらう婦人に背中を叩かれ、健太は武器である六尺棒を持って立ち上がった。

「わかってるよ! ……じゃ、いってくる」

 などと、照れくさそうにほほをかく健太に、フィアーネもまた

「あの、ご、ご武運を」

と、言葉をかける。


 少年は返事はせず直ぐに背中を向け、いっさんに丘を駆け下っていく。

 右手を天に突き上げながら。

 フィアーネはその後姿を、胸元で手を握り締めて見送った。

 そして、丘の上で瓢箪を傾けていた長老を振り返った。 

「おじい様、今日のお米は何という名前でしたか」

 うむ。と長老は三方の中の米を見て、

「水気はコシヒカリに及ばす、硬質。されど甘味深く、食材に合わせてこれを引き立てる。すし飯にはこれ以上ない。すなわち」

 と、抜けるような蒼天を見上げる。


「日本晴、じゃなあ」


 すてきな名前のお米だ。と、フィアーネは思った。



 


《隠しタイトル》

異世界GO🍚FANTASY 『グランバリア饗宴録』 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る