天聖騎士団の魔剣使い

龍弥

第1話 天聖騎士団の落ちこぼれ

 青空。何の因果か雲一つない空は吸い込まれそうな程に高く、かつ彼方を見やると何にも邪魔をされずに遠方まで見渡すことができた。高空に輝く太陽はまるで地上を祝福するかの如く陽光を降り注がせ、けれどそんな清々しい天の様子とは対照的な光景が地では繰り広げられている。


 仮に地獄と形容してしまえば、その光景はひどく陳腐に堕ちよう。いや、或いはそう形容するまでもなく、それは陳腐であるのかも知れない。今、この場所において少年――天聖騎士団のエーデル隊に所属するルーカスの目前に現出している光景は、何も珍しいものではないのだから。


 自らの足元へと注がれているルーカスの視線の先。そこに転がっているのは〝肉〟であった。しかし、ただの肉ではない。それは嘗て、少なくとも数時間前まではルーカスと同じように話し、友と笑い合い、仲間と共に戦っていた人間だった筈の、けれど今となっては最早辛うじて元は人間であった事が分かる程度にまで破壊されてしまった肉塊であった。少なくとも付近に首から上は見当たらず、よしんばそれらしいものがあったとしても本当にそれがこの遺体のものであるかは分かるまい。


 そう。この場に存在する遺体は、何もルーカスの足元にあるそれだけではないのだ。少し視線を巡らせるだけでも容易に視界に飛び込んでくる人間の腕や足、或いは千切れ、苦悶のまま固まった首。原型が残っているならばまだ良い。中にはルーカスの足元に転がっているそれのように身元すら特定できるかさえ分からない程にまで損壊したものも、決して少なくはないのだ。


 そんな同胞であった者らの惨状を目にする度にルーカスの胸中に生まれるのは冥福の祈りと、それに匹敵する程の無力感。或いはこの手に戦うための力があったのなら、たとえいつか自分も死んでしまうのだとしても誰かひとりでも救えるかも知れないのに、と。されど現実として彼は無力で、こうしてせめて冥福を祈りながら死体をひとつずつ丁寧に処理していくことが、彼の仕事のひとつであった。


「ルーカス君さ、だいぶエーデル隊に慣れてきたよね」


 唐突に背後から投げかけられる声。戦場においての事後処理中、死体処理の担当になっている隊員は感染症対策の防護服を着用しているため後方からでは個人が特定しにくい。けれどその声にルーカスか聞き覚えがあった。同じくエーデル隊所属であり、彼にとっては先輩にあたるキャロルという女性隊員だ。彼女の言葉に、ルーカスは死体処理の手を止めないまま答える。


「そうですかね?」

「うんうん。前まで全然動けなくて、怒られてばかりだったのに」

「騎士団の役に立てるように頑張ろうって決めたので。沢山失敗もしましたけど、その分だけできる事も増えたので、良かったと思ってます」


 言いながらルーカスは蛆や蠅を取り除いた遺体を死体袋に入れ、最後に祈りを捧げてからそれの封をした。その祈りというのも特定の信仰に則っている訳でもない何処か不格好なそれではあるけれど、それでも彼の思いが機械的なそれではない事だけは誰の目から見ても明らかであった。


 確かにキャロルの言う通り、エーデル隊に配属されたばかりの頃のルーカスは殆ど足手纏いの状態であった。自らの使命に対し真摯に向き合う所は今と変わらないものの、その様子は不慣れの一言であり先達の怒りを買う事も少なくなかった。尤も、ルーカスがエーデル隊に配属された経緯を考えればそれも致し方ない事かも知れないが。


 それが今では仕事を十全にこなし、死体処理だけではなく救急行為などにおいても自ら率先して行動するためそれなりに重宝されるようになっている。少なくとも仕事量という点において、彼はエーデル隊の中でも一目置かれる存在であった。無能な働き者などではない。


 たった今処理を終えた死体袋を運搬を行う人員に任せ、ルーカス自身は次の作業へ。キャロルも殆ど同時に処理を終えていたのか、彼の付近で再び死体処理の作業を始めながら口を開いた。


「……エーデル隊に転属になった事、不満に思ってたりしないの?」

「え?」

「ホラ、からここに来ると、どうしても地位が低くなるじゃない? だから転属になった人は1週間も経たずに辞めちゃう事も珍しくないんだよ。ルーカス君はよく続いてるよ。あんなに怒られるなら、私なら来なくなっちゃうかも」


 そう言うキャロルの表情は、ルーカスからは見えない。そもそも別々に作業をしているため視界に映っておらず、よしんば共に作業をしていたとしても防護服に隠れてしまっていただろう。だがルーカスには、今のキャロルの表情が少なくとも明るいそれではない事は分かった。それでも自分は努めて明るく振る舞おうとして、しかし靴底に伝わってきた異様な感覚に思わず顔を顰める。


 見れば、そこにあったのは血溜まりの跡と思しき泥濘ぬかるんだ土。それだけなら戦場跡の何処にでもあるものだが、明らかに異質なのはその色だ。人間の血は深紅、或いは赤黒であるが、その箇所は闇のような漆黒に濡れていた。


 だがその血の正体を彼は知っている。彼だけではない。まず天聖騎士団の団員であるなら、それを見間違う者はいまい。何故ならその血は天聖騎士団、ひいては人類の敵であり、同時にこの戦場に死を充満させた下手人――最悪の化生たる〝悪魔〟の血であるのだから。


 そして、その悪魔に対抗するべく人間が組織した〝天聖騎士団〟には救護と事後処理を担うエーデル隊の他に対悪魔の戦闘を行う実戦部隊が存在する。ルーカスは元々そちらに志願していて、けれどとある事情からエーデル隊に転属させられたという過去があった。


 それに全て納得しているのかと問われれば、恐らく彼は否と答えるのだろう。けれど今になって不平不満を口にするつもりは、彼には皆無であった。たとえ悪魔から人々を守る事はできずとも、エーデル隊の職務も騎士団や人々にとって重要なのだから。


「アハハ……剣は握れなくても、他の人を助けたりはできるじゃないですか。たとえ部隊は違っても、誰かの力になりたいから。だから此処にいるんです」

「そっか。……もうルーカス君は十分戦力になれてるよ。抜けちゃったら代わりを探すのは大変だから。できれば辞めないで欲しいかな」


 冗談めかしたその声音に、苦笑を漏らすルーカス。キャロルの言葉は内容だけを見ればルーカスをより働かせようとしているようにも聞こえるけれど、誰かに必要とされていると思えば悪い気はしなかった。けれど――


「今のところは辞めないですよ。もし辞める事があるとすれば……そうですね、余程の事があった時だけですから」


 ――決めた筈なのだ。望んだ筈なのだ。たとえ実戦部隊に所属する騎士として悪魔と戦い、人々を守る為に生きられずともエーデル隊として働くと。形は違えど、エーデル隊とて人の命を救っている事に違いはないのだから。


 それなのにどうしてか、ルーカスの胸の裡には拭えない違和感がいつまでも居座り、その存在を主張し続けていた。







 実戦部隊とは異なり前線にて命を掛け悪魔との戦闘行動を行う事はないエーデル隊であるが、しかし命を落とす危険性がないといえど彼らの仕事とて激務である。いくら騎士らが鍛えているとはいえ、基本的に悪魔は人間よりも強く、かつ死ににくい。そんな化生を相手取る戦闘の被害が軽微である筈もなく、戦闘後には軽症、重症問わずエーデル隊の許には怪我人が運び込まれてくる。彼らを治療するのもエーデル隊の仕事だ。


 一応は元々実戦部隊に志願していただけはあり体力はそれなりにあるルーカスだが、しかし他人に比べ率先して仕事を行う彼は休憩時間になった頃には疲労困憊の有様となるのが常であった。


 エーデル隊の仕事場のひとつであり、負傷した騎士らの搬送先である天聖騎士団病院、その休憩所にて。先の戦闘で発生した負傷者の治療に奔走し続けようやく休憩時間を執る事ができたルーカスは殆ど同一のタイミングで休憩に入った先輩隊員のクレアと共に以後の仕事について話をしていた。


 いくらこの世界には〝魔法〟が存在するといえど、魔法は万能ではない。軽症者ならともかく重傷者も魔法で一瞬のうちに完治するなどという都合の良い事がある訳もなく、だからこそエーデル隊がいるのだ。それ故に隊員の士気は高く、今のルーカスらのように隊員間で今後の治療方針等について話し合っている光景はそう珍しいものではない。


 だからこそ、その最中にルーカスの耳朶を打ったざわめきとでも言うべき喧騒は、半ば異常とさえ言えるものであった。その黄色い声に誘われて視線を移すクレアにつられて、ルーカスもそちらを見遣る。


 ――果たして、そこにいたのはひとりの少女であった。だが、エーデル隊ではない。実戦部隊の制服を一切の乱れなく身に纏い、白亜の長剣を腰に帯び、厳格さを漂わせる美貌をした銀髪青目の少女。取り巻きのようになっているエーデル隊の女性よりも幾らか筋肉質な体形をしているように見えるのは、彼女が実戦部隊たるに相応しい修練を積み上げてきた事の証左だろう。


「あぁ……! 〝ノエル〟様よ! 相変わらずお美しい……!」

「あんなに美しい方が、最前線で悪魔と戦ってるなんて、凄いわよね……」


 僅かに漏れ聞こえてくる隊員らの会話。他にも聞こえてくる会話はその全てを正確に聞き取れる訳ではないけれど、少なくともそれらの話題がその少女騎士――ノエルについての話題である事は想像に難くない。


 ノエル。この名を知らぬ者は、少なくともこの天聖騎士団内にはひとりとしていないだろう。その美しい外見もその一因であろうが、それ以上にその戦績だ。未だ齢17の身でありながら歴戦の古兵もかくやといった程の剣腕で以て悪魔を相手取り、圧倒する。それもツーマンセルを旨とする騎士団内にあって、単騎で戦っていながらにしてそれだ。一部で言われている〝天聖騎士団最強〟という異名も、ただの戯言ではなく相応の裏付けがあってのものと言えよう。


 そしてそれだけの存在故に、ノエルの騎士団内での女性人気は非常に高い。構成員の男女比が女性に大きく傾いているエーデル隊の仕事現場に現れれば、多少の騒ぎになるのも無理からぬ話ではあろう。


「ノエルさん……何でこんな所にいるんだろう……?」

「ルーカス君、実戦部隊にいたんだから、ノエルさんと仲良かったんじゃないの?」

「……いえ。同期で、凄く強いって事しか知らないです。それに……僕が対等に話せる相手じゃないですよ」


 自嘲するかのようなルーカスの笑み。そんな彼の様子に、クレアは己の失言を悟った。ルーカスはその働きぶりや人柄からエーデル隊内でもそれなりの有名人であるが、それ故に転属経緯についても隊内ではよく知られる所なのだ。


 人間を遥かに超える能力を宿す悪魔を相手取り日夜戦い続ける騎士団であるから、その団員である騎士らにはある程度の資質が求められる。そのひとつが〝魔力を用いた物体強化〟である。


 これは魔法のように何らかの術式を介して行使するものではなく武装に対して魔力を流す事で行う簡単な強化だが、手間がかからず戦闘中の発動が容易であり、かつそれなりに有用であるため騎士が修得すべき基本技能とされている。けれど、ルーカスにはそれができなかった。


 魔力がないのではない。人間であれ、悪魔であれ、命があるものには多かれ少なかれ魔力があるものだ。それなのに、ルーカスには武装に対して魔力を流す事ができなかったのである。転属辞令が下りたのも、それが原因とされていた。


 しかし、その異動も珍しい事ではあるのだ。その性質上人的損耗が激しい騎士団は、人員についてあまり選り好みせず取り立てるきらいがある。その中にはルーカスと同じような者もいただろう。あまりにも対悪魔戦において不利であるためその大半はすぐに死んでしまったのは想像に難くないが、ともあれルーカスの転属が珍しい事に違いはない。


 何か事情があるのかと、考えなかった訳ではない。しかし、思い当たる節がないのだから、やはり転属の原因は魔力を通せなかった事だと考えるのが自然だ。だからだろうか、ルーカスは己が所謂〝落ちこぼれ〟であるという意識を抱いている。ルーカスが自嘲の笑みを浮かべたのもそれが理由だろう。


「あっ。ごめんね……でもノエルさん、ルーカス君の異動に反対したって噂だよ」

「え? いや、そんな筈は……」

「騎士団の上層部が君の転属を決定した後、人事部に抗議した人がいたらしくて……それが、ノエルさんだって話」


 クレアの言葉に更に反論を重ねようとして、しかしルーカスは何も言えずに押し黙った。どのようにしてノエルがルーカスの異動を知り得たのかは置いておくとして、彼女が上層部に物申す事があるのか。ルーカスはノエルについてよく知っている訳ではないが、時折耳にする噂だけを判断材料とした場合『在り得る』というのが答えであった。


 騎士団内でのノエルの人気が高いのは、何も彼女が単純に強いからだけではない。たとえ上層部の人間に対してであっても不当不服と感じたならば自分を曲げずに意見する芯の強さ。それもまた、人が彼女に惹かれる理由であった。


 だが〝ノエルとはそういう人で、噂でそうだとされているなら確かに彼女は自身の転属に反対したのだろう〟と素直に考える程、ルーカスは夢見がちでも現実を知らない訳でもない。噂はあくまでも噂。それが、彼の判断だ。


「ノエルさんとは、何も接点がない筈ですが……」

「ふぅん……ひょっとして、ルーカス君に興味があるとか!?」

「ないです。魔力を流せなくて転属になるような人を、彼女が気に掛ける理由がない。きっと何かの間違いです」


 不機嫌とまではいかないが、それでも断固とした否定を滲ませた答えであった。基本的に物腰柔らかなルーカスがそう否定している様は、或いは何処かその噂が真実ではないと、どうかそうであって欲しいと思っているようですらある。


 惨めだと感じているのではない。だが、形容しようのない混沌とした思いがルーカスの胸中で渦巻いているのは、紛れもない事実だ。それこそと仕事の青少年ならば変に浮かれて舞い上がってしまうような話を耳にしてもまるで浮かれようがない程度には、その感情はルーカスに対して強く作用している。


 眼前のクレアから僅かに視線を移し、興奮した様子で話しかけてくるエーデル隊員らと相対しているノエルの方を見遣る。美しい外見に、それ以上に他者に強く作用する強壮な気配。その立ち姿だけで最強という言葉が嘘ではないのだと分かるような、そんな少女。そんな少女が不意に視線を動かし、ルーカスのそれと交錯した刹那――


 ――口角が僅かに上がった、ように見えた。


「……?」

「ねぇルーカス君! 今見た!? ほんのちょっと、一瞬だけノエルさん笑ったよね!? ルーカス君に向かって!」

「い、いやいや。たまたまそう見えただけですよ。僕じゃないです」

「絶対そうだって! 羨ましいなぁ……ノエルさんのあんな表情初めて見たよ……良いなぁ……」


 最早ルーカスの抗議など耳に入っていないかのようにそう言うクレアを前にして、ルーカスは半ば諦めたかのように溜息を吐いてから視線を落とした。そこにあるのはただのテーブルで、けれど彼の視界に映っているのはそれではないのだろう。


 仮にクレアの言う通りノエルが微笑んだ先がルーカスであったとして、だとすればそれは何故だ。ルーカスはもう実戦部隊ではない。いや、〝もう〟という表現も適当ではないのだろう。そもそも彼は実戦に出る前にこちらに転属になったのだから。


 分からない。確かに彼は強制的な転属でエーデル隊に来たけれど、それでも望んでここにいる筈なのに、何かが喉につっかえているかのような感覚がいつまでも消えない。


 その感覚の正体、自分がしたかった事、考えても考えても答えは出ない。そうして結局、彼にできた事は――その疑問から逃げるようにして仕事に戻る事だけであった。




 息が上がっている。心拍が早鐘を打っていて、まるで心臓が耳元に移動してきて耳の穴からまろび出ようとしているかのようにも錯覚してしまう。全身の汗腺から濁流のように汗が流れて、下着や髪が肌に張り付いていた。


 夜である。その日の仕事を終えた後になって日課である自主訓練を行い、ルーカスは寮へと戻ってきていた。しかし、仕事終わりで殆ど体力が尽きていたというのにいつも以上に走り込みなどを続けていたからか半ば幽鬼のような有様で、すれ違う者らから驚愕の目を向けられている。失礼なようにも思えるが、雨も降っていないのに頭から水を被ったかのような人間が現れれば驚きもするだろう。


 嗚呼、身体に汗が纏わりついて気持ちが悪い。全身が疲労を訴えている。早く部屋に戻って、湯浴みをして、明日の仕事の準備を済ませて寝てしまいたい。そんな欲求のままルーカスは自室へと歩を進めて、しかしその直前で見知った顔に気づいて立ち止まった。


「こんばんは、ダニエル寮長」

「あぁ、こんばんは、ルーカス。今日も自主訓練をしていたのか。精が出るな」


 そう言って僅かに笑みを見せたのは、ルーカスらが暮らす寮を管理している寮長のダニエルである。平均よりもかなり身長が高くかつ非常に筋肉質であるため威圧感があるが、そんな剛健な見た目に反して厳格すぎないため団員からはとても信頼を置かれている。


 しかし寮長である彼が私用で団員らの部屋に来ることはまずなく、では何故彼はルーカスの部屋まで来ていたのか。その答えが彼が持っている直方体の黒い箱である事はルーカスにもすぐに分かった。


「何です、それ?」

「お前に届け物だ。だが送り主の住所や名前が書いていなくてな。念の為、中身を確認させてもらった。……正直、今のお前に渡すのもどうかと思ったが、送り返すにも送り主が分からないのではな。かといって処分も面倒だし、宛て先はお前だ。持っていけ」

「はぁ……ありがとうございます……」


 送り主さえも分からない怪しい箱。それをダニエルから受け取るや、腕にかかった想像以上の重量にルーカスが瞠目した。大きさ自体がそれなりであるため軽くはないとは思っていたが、ダニエルが軽々と持っていたため見誤ってしまったのだろう。


 取り敢えずは箱を両手で抱え、器用に肘で扉を開けて部屋に入ってから身体で閉める。そうして箱を机の上に奥と、ルーカスは改めてそれの見分を始めた。確かにダニエルの言う通り、送り主を示すような物はない。既にダニエルは中身を見て、その上でルーカスに渡しているのだから開けた瞬間に発動する魔法やトラップ等の危険物ではないのは確かだが、怪しい事に違いはない。


 だが、怪しさとは時に相対した者の好奇心を喚起するものである。故に長々とルーカスがそれを見分していたのも、無理からぬ事ではあろう。けれどやはり外観から分かる事は何もない。


「ホントに誰からのだろう……おじいちゃんかな……」


 騎士団の寮で暮らすようになってから、自分宛ての荷物を受け取ったのは何も初めての事ではない。だがそれらは全て故郷にて鍛冶師を営んでいる祖父からのもので、加えて今回のように送り主が分からないなどという事は一度もなかった。そもそも正しい手続きを踏んだ郵便物なら、送り主が誰であれ何かしらの情報がある筈だ。しかし、この箱にはそれがない。


 誰かの悪戯か、とも考えたが、その可能性は低いだろう。外部の人間が態々ルーカスに悪意を向けるような理由はまず皆無で、内部の人間にルーカスを良く思わない者がいたとしても郵便物に細工する余地がない。


 息を呑む。謎の箱を目の前にした好奇心の前に、眠気と汗の不快感はいつの間にか彼方へと吹き飛んでいた。恐る恐る、或いは逸る気持ちを抑えるようにして手を伸ばし、金具を開錠。そうして上蓋を開けて、そこに安置されていたそれに、ルーカスが思わず声を漏らした。


「黒い……剣……!?」


 一筋の汗が、頬を伝った。

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