彼女の本音②

 まるで長年積もり積もった感情を嘔吐するように、絃羽いとはは言葉を紡いだ。


「私、夏が好きだった。夏になると悠真さんに会えるから。嫌な事があっても、夏になれば会えるからって……それで嫌な事にも耐えられた」


 予想もしなかった絃羽の本音に、言葉を詰まらせた。

 彼女から想われていたのは嬉しい。でも、まさか昔からそこまで想われていたとは想像もしていなかった。


「それなのに……悠真さん、来なくなった。桐谷のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが亡くなったから、来る理由がないのもわかってたけど、それでも──それでも、私は会いたかった!」


 彼女の瞳から、涙が零れ落ちた。一度零れてしまったら、もう止まらなかった。ぽろぽろと綺麗な雫が零れていて、悲痛なまでにこちらを見上げていた。


「だって……それだけが、悠真さんが来てくれる夏だけが、私の生きる糧だったから。悠真さんだけが、いつも私を気にかけてくれてたから!」


 彼女の心の悲鳴。きっとこれは今まで彼女がひた隠しにしてきた、彼女だけが知る心の声だった。


「夏休みも、いつもお父さんとお母さん忙しくて……誰にも、会えなくて。きっと、ほのちゃんと武史くんにとっても私は邪魔な存在で……でも、悠真さんだけは違った。悠真さんだけがちゃんと私を見てくれてた」

「絃羽……」


 絃羽は昔から遠慮がちで一歩引いていた。だからずっと絃羽の事を気にかけていたのは覚えている。

 でも、彼女がそこまで俺を支えにしてくれているとは思っていなかった。そして、そこまで大きな存在となっていた事に、気付いてすらいなかった。


「それなのに、五年も来てくれなくて……その間にお父さんもお母さんもいなくなって、ほのちゃんと武史くんも離れて……本当の独りぼっちになって。ねえ、私……何をどうして生きろっていうの? 何を糧に頑張れっていうの? もう、頑張れないよ……!」


 大粒となって、浅葱色の瞳から涙がぼろぼろと零れ落ちて、留まる事を知らなかった。


「絃羽……絃羽、ごめん!」


 泣きじゃくる絃羽を、力一杯に抱き締めた。

 絃羽にとって、俺はあまりにも大きな存在だった。そこまで心の拠り所にされている自覚など、今の今までなかった。

 彼女の悲鳴にも気付かずに、祖父母がいないからと言って、大学が忙しいからと言って、のうのうと生きていた自分が許せなかった。夏が来る毎に彼女は俺が来るのを待っていて、そんな彼女の想いには全く気付かず受験だバイトだサークルだ飲み会だとキャンパスライフを謳歌していた自分を殴りたかった。

 どうしてこんなにも自分を必要としている人の存在に今まで気付けなかったのだろうか。最低だった。自分から声を掛けたのに、俺が彼女を武史と帆夏の輪に引き入れたのに。あまりに、俺は無責任で……彼女に、余計な孤独を味わせてしまっていた。


「私、悠真さんの事……大好きで、大嫌い」


 絃羽は力なくそう言い、言葉を紡いだ。


「楽しい事とか暖かい事、たくさん教えてくれるくせに……夏が終わるといなくなって、何年も来なくなるから……嫌い」


 そして俺の胸の中に顔を埋めて、肩を震わせた。

 俺はただ彼女を抱き締めて、その震える肩を擦ってやる事しかできなかった。


『悠真さんは、いつまでここにいるの?』


 ほんの数日前に、彼女に訊かれた質問を思い出した。

 あの時は、遊び相手や話相手がいなくなるから寂しいのかな、くらいに思っていた。

 でも、違った。あとどれくらいまで俺と過ごせて、またそこからどれくらい俺と会うまでに耐えなければならないのかを計算して、その心構えをしようとしていたのだ。

 彼女は何と健気なのだろうか。そんな彼女がいじらしくて、その銀色の髪を撫でて、頭をぎゅっと抱え込んだ。


「俺の事、そんなに嫌い?」

「うん……嫌い」


 絃羽は胸の中に顔を埋めたまま、答えた。


「そっか」


 絃羽の気持ちを聞いて、俺はもう自分の気持ちを抑え切れそうになかった。いや、違う。彼女のこの言葉を、心を聞いたからこそ、伝えなければならないと思った。

 彼女はこれまで苦しんできた。その原因は、俺にあると言っても過言ではない。だからこそ、彼女の震える肩は俺が癒してやらなければならないと思うのだ。

 絃羽をこれ以上孤独にしない為にも──その言葉を紡いだ。


「俺は絃羽の事、好きなんだけどな」

「えっ……?」


 絃羽は驚くように顔を上げた。

 潤んだ浅葱色の瞳がきらきら輝いていて、自らの耳を疑っているかのような表情をしていた。


「俺は、絃羽の事が好きだよ。ずっと一緒に居たいって思うくらい」


 宝石みたいに綺麗な瞳をしっかりと見据えて、彼女に気持ちを伝える。

 絃羽はいやいやするように、顔を横に振った。


「嘘……嘘だよ。だって、悠真さんが私の事、好きになる理由なんてない」

「あるよ。たくさんある。それに……ほんとは理由なんて、どうでもいいんだ。感情なんて理屈じゃないし」


 理由なんて、あるようでないのだと思う。

 俺はこの〝旅立ちの岬〟で夕陽と交わる銀髪の女の子と再会した瞬間、恋に落ちていたのだから。

 昔はいつも寂しそうにしている女の子、という認識だった。だから元気付けてやりたいと思っていた。しょんぼりしているより、笑った顔がとても可愛らしい女の子だったから。

 そんな女の子が高校生になっていて、見違えるほど綺麗になっていて……でも、昔みたいに弱々しいままで。そんな絃羽を守ってあげたいと思った。


「ごめん……私、どうすればいいかわからない。そんな風に想ってもらえるって……夢にも思ってなかったから」


 彼女は鼻を鳴らして、顔を伏せた。


「お前はどうしたいんだ? 帆夏とか武史とかに遠慮するんじゃなくてさ。絃羽自身はどうしたいのか、どう思ってるのか。それを正直に言えばいいんだ。お前に必要なのは……きっとそれなんじゃないかな」


 絃羽は昔から遠慮して生きていた。帆夏や武史に遠慮して、顔色を伺って、自分はお荷物なのだと思い込んで、我儘を出さないように抑え込んでいた。

 でも、それは間違いだ。自分の欲求も、大切にしたいものも全部手放したからと言って、それで幸せになれるわけがない。

 信条、物、人、お金……大切なものは人それぞれだ。だが、自分で自分の大切なものを大切だと言えて、守れるようにならなければ、自分の人生など築けるはずもない。


「俺の気持ちを聞いて、絃羽はどう? お前の気持ち、聞きたいな」

「私……?」


 恐る恐る顔を上げて、俺をじっと見る。

 浅葱色の瞳が怯えるように震えていた。何度か口を開こうとして、でも言えなくて、口を噤んで俯いて。それから意を決した様に、もう一度顔を上げた。


「私も……私も、好きです……悠真さんの事、小さい頃からずっと好きでした」

「うん」

「嫌いなんて、嘘。嫌いなわけ、ない……! 好き……悠真さんの事が、大好き……!」


 絃羽はこれまで抑えてきた本音を噛み締めるようにして、咽び泣いた。

 俺の背中に腕を回して、力いっぱい抱き締めてくる。彼女が初めて本音を語った瞬間だった。そんな彼女の気持ちに応える様に、俺はただ力強く抱き締め返してやる事しかできなかった。

 薄暗い海を見つめながら、ただ彼女の存在だけを強く感じていた。

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