課題

 美紀子さんと昼食を終えて帰って暫く休んでいると、すぐに絃羽を迎えに行く時間になった。武史とはいつもの防波堤で待ち合わせる事になっていて、そこに帆夏も来る手筈になっている。

 昨日の電話で武史は大丈夫と言っていたけれど、正直なところ、実際はどう転ぶのか、わかったものではない。昨日の今日で俺と絃羽も関係が変わってしまっている。その状況でも帆夏が冷静でいられるのか……こればっかりは、蓋を開けてみない事にはわからない。


 ──にしても、あっちぃなぁ。


 相変わらず夏の太陽は燦々と照り殺そうとしてくる。三時前と言えば、一番暑い頃合いだ。東京だと暑くて狂いキレそうになる時間帯だが、この田舎では海風もあって、心地良い夏らしさを演出してくれる。暑い事には変わりないけれど。

 日照りを浴びつつ坂を下って、海道へと出て、キラキラと光る海面を横目に汗を垂らす。


 ──やっぱ、車も必要だよなぁ。


 暑さに耐えながら歩く俺を横目にすいすい走っていく車を見てふと思う。

 昼食を食べに行くに当たっては、美紀子さんが車を出してくれた。この田舎町では、バスの本数も少なく、しかも徒歩圏内で行ける場所にはレストランもない。スーパーはあるけども、小さくて品揃えが良いとは言えなかった。いつもは美紀子さんが遠くの大きなスーパーまで買いだめに行っているのだ。車がないとかなり不便な場所であると言える。

 一応俺も免許は持っているものの、実践ゼロのペーパードライバーだ。都内で暮らすなら何らペーパーでも問題はないが、田舎で暮らすとなると、ちょっと困る。将来を見据えて、運転の練習もした方が良いかもしれない。

 そんな事を考えながら歩いていると、絃羽達が通う高校に着いた。いつも待ち合わせている堤防に、まだ彼女の姿はない。

 堤防の上に登って腰掛け、海を眺める。海はさざ波で、泳いだら気持ち良さそうだ。最も、このあたり一面は遊泳禁止で、海水浴をするには車で数十分走らなければならない。海が真ん前にあるのに泳げないとは、何だか損をしている土地だな、と思う。これも、この町が廃れていっている理由かもしれない。


 ──少子高齢化、か。


 そういえば、ここに来てから、桐谷家周辺で若い世代とすれ違った事がない。俺と同じ年程度の奴を数人見掛けた程度で、他は若くても武史達の親世代の人達だ。十代ともなれば、絃羽と武史、帆夏以外は見た事すらない。

 美紀子さんの話では、少し前まで絃羽達と年の近い人達ももう少し住んでいたらしいが、進学を機に都会に引っ越してしまうケースが多いそうだ。これからもそういう人は増えていくだろう、と彼女は言っていた。

 少子高齢化問題は東京にいると気にならないけど、地方に来ると痛感する。自治体の地方移住支援制度などもあるが、なかなか便利な生活を捨てる人は少ない。


「悠真さん……? どうしたの?」


 そんな事を考えていると、後ろから声を掛けられた。絃羽だ。


「いや、何でもないよ。海が綺麗だなって、それだけ」

「うん、綺麗だね。気持ちいい……」


 絃羽は俺の横に並ぶようにして立ち、両手を広げた。まるで一番最初に〝旅立ちの岬〟で再会したあの時の様だった。

 海風に吹かれて白銀の髪がふぁさっと広がり、それがまるで天使が翼を広げたように見える。思わず見惚れてしまった。


「飛び込むなよ」


 何となく見惚れていた事を認めたくなくて、照れ隠しでそんな事を言ってしまうのだった。

 でも、きっと……あの〝旅立ちの岬〟で絃羽がこうして手を広げていた時を見たあの時も、俺は見惚れていた。絶対に、絃羽には教えてやらないけれど。


「飛び込まないし」


 絃羽が呆れた様に笑みを浮かべて両手を下ろした。

 知っている。絃羽はもう、飛び込まない。もうどこか遠くに行く必要がないから。


「んじゃ、帰るか」

「うん」


 なんともない、普通のやり取り。でも、そんななんともないやり取りでどこか満たされていた。昨日の夜だけで、俺達はどれだけ色々と関係を進めてしまったのだろうと思うくらい、距離感が変わってしまった。

 彼女の後について防波堤から降りると、絃羽がハッと前を見て立ち止まった。俺も釣られるようにして前を見ると、そこには帆夏と武史の姿があった。

 絃羽には敢えて伝えなかった。帆夏と会うとなると逃げ出すかもしれないし、変に身構えるよりも自然な方が良いと思ったからだ。

 二人は向かい合って、気まずそうに視線を交わした。


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