英雄の遺品

 イリーナは、ハンカチで汗をぬぐいながら、屋敷の入り口の門を開け、自転車を脇に置いてから庭を進み玄関の扉の前に来た。扉をノックすると中から現れたのは、赤髪を肩の長さで揃え、少々背の高い痩せた感じの女性が現れた。来ているメイド服から彼女が召使いだろう。


「いらっしゃいませ」。

 召使いは礼儀正しく頭を下げて挨拶した。

 イリーナはこんなに丁寧に挨拶されることがあまりないので、ちょっと戸惑ってから、同じように頭を下げた。

「どうも…、こんにちは」

「私は、こちらで召使いをやっている、ナターシャ・ストルヴァと申します。お嬢様は部屋でお待ちです。ご案内いたします」。

「よろしくお願いしまず…。あっ、自転車をそこに置いてあるんですが、大丈夫ですか?」

「はい。あとで、屋敷の中に入れておきますので」。

 召使いはそういうと、イリーナを扉の中に招き入れた。


 イリーナは中を見て驚いた。屋敷の中は綺麗に掃除されているようで、どこもピカピカだ。この召使いが掃除をしているのだろう。この建物は結構古いものだと聞いていたが、よく手入れされているようだ。さほど古さを感じない。

 イリーナは物珍しさから図らずも中をキョロキョロしてしまった。天井には大きなシャンデリア、壁には数は少ないがいくつか絵がかけられていた。その中で、大きな肖像画が一つ掛けられていた。三十歳半ばぐらいの軍服を着た男性。これが “英雄” の絵だろうか? 後で確認してみよう。


 召使いに連れられて広い玄関正面から、ふかふかのカーペットが引かれている階段を上り、二階の廊下を進み目的の部屋に案内された。

 召使いが扉をノックし、中から明るい声で返事がした。扉を開けると中にいたのは、編み込んだ金髪を肩ぐらいまで伸ばし、青い瞳でやや長身の女性。

 彼女の名前は、クララ・クリーガー。

 イリーナとカレッジで一緒に歴史を学ぶ学生だ。


 イリーナは、自転車で駆けて来たので、まだ少し息が乱れていた。

「ごめんなさい。遅くなったわ」。

 大きく深呼吸をして、その息を整えてから謝罪した。イリーナの額には薄っすらと汗が滲んでいるのが見えた。イリーナは今日持ってくる資料をまとめるのに時間がかかってしまい、約束の時間に十五分程遅刻してしまった。

「待ってたよー」。

 そういうと、クララはイリーナに抱き着いてきた。

 クララは、イリーナが毎日、夜遅くまで資料集めとその読み解きをしているのを知っているので、十五分ぐらいの遅刻については大目に見る。クララはのんびりした性格で、そもそもあまり怒ったりしないのだ。

「ごめん、資料が多くて」。

 イリーナはもう一度謝罪した。


 イリーナはクララの部屋に入る。広いが、ここも綺麗に整理整頓された部屋だ。イリーナの家の自分の部屋とは大違い、さすがはお嬢様だと思った。

 召使いは一旦部屋を去り、しばらくしてから飲み物を持って部屋にやって来た。テーブルにコップを二つ置くと、会釈をして出て行った。

 コップに入って来たのは、最近、良く出回っているセフィード王国産のオレンジジュースだ。

 イリーナは喉が渇いていたので、それを半分程度飲み干して、大きく息を吐いた。

「おいしい」。

「いい飲みっぷりだねえ」。

「自転車で急いできたからね」。

 イリーナはもう一口ジュースを飲んでから話を続けた。

「それにしても、ここ、すごい豪邸だね」。

「そう? この辺りじゃあ、小さめの屋敷なんだよ」。

 そうなのか。ただの庶民であるイリーナにとっては、いずれにせよ豪邸だ。


 イリーナは先ほど気になった事を訪ねた。

「ところで、玄関に飾ってある肖像画だけど、あれがお爺さま?」

「そうだよ」。

「あんまり、あなたに似てないわね」。

「そうかな? 目元が似てるって言われるけど」。


 イリーナとクララは少し雑談をしてから、本題に入る。

「じゃあ、お互いに集めて来た資料を出し合いましょう」。

 クララは言った。イリーナはカバンから同じように多くの資料を取り出した。それに応えるように、クララは机の上に置いてあった資料を、バサバサと持ち出した。二人は床に直接座って、資料を並べる。

「お爺さまの遺品からは、あまり良さそうなものは見つからなかったわ」。クララは自分の取り出した資料の山を見つめて残念そうに言った。「お爺さまは普段、日記を付けたり、自分のことについて書いたりする習慣がなかったみたい」。

 そして、ため息をついて付け加えた。

「日記があれば一番よかったのに」。

「それは仕方ないわよ。資料を分析してから、あなたのお爺さまの自伝 “ユルゲン・クリーガー回想録” をもう一度、違った視点から深く読み解きましょう」。


 イリーナはクララの前に並べてある資料を一瞥する。

 クララは資料の説明を始める。まずは、右側に並んでいる資料を指さす。

「こっちが軍のいたころ資料。アカデミーで使っていた資料、帝国軍や人民共和国軍からの賞状、帝国軍司令部からの命令書、皇帝イリアからの手紙。それと、傭兵部隊にいた頃、お婆様との手紙が十通ほど」。

 次に左側に並んでいる資料を指さして話す。

「退役してからの資料は、孤児院からの寄付の礼状、カレッジの授業で使った資料、出版社とやり取りした手紙。それに回想録を書くための下書きやメモの類」。


 結構な量の資料が目の前に広げられている。それにしても、良くこれだけの資料が残っていたものだ。

 アカデミーやカレッジの資料が特に多い、これらは授業の時に使ったものだろう。次に多いのは回想録の下書きとメモ。

 二人が調べているのは、プラミア帝国による隣国プラウグルン共和国の占領から、五十年前の帝国が崩壊した “人民革命”までの歴史だ。だから、軍にいたころの資料と回想録のメモが特に重要になりそうだ。


 元々、歴史に興味があったイリーナは、カレッジでも近代史を専攻していたが、特に革命の時期のことについて知りたいと思ったのはつい最近のことだ。きっかけは、ガレッジで同じ専攻科で知り合った同級生クララ・クリーガーが、ブラウグルン共和国軍の “深蒼しんそうの騎士” であり、また、ブラミア帝国で “帝国の英雄” と呼ばれていた、ユルゲン・クリーガーの孫と知った時だ。

 それで、好奇心から、その時代について調べてみると、いくつもの矛盾やおかしなところが幾つもあり、それらについて疑問を感じる様になったのだ。

 あの革命やその前後の歴史では、解明されていない謎が多い。イリーナは、まだなどとなっている事実を解明したいと思っていた。その事をクララに話したら彼女もイリーナと一緒に謎を解明したいと話に乗って来た。


 史実として伝わっている歴史で、帝国の崩壊は、“チューリン事件”、 “ソローキン反乱”、“人民革命”の三つの出来事を中心に大きく動いていた。

 図書館にある歴史書はもちろん、流通している書籍も幾つも読んだが、やはり納得がいかないことがいくつかあった。

 今ある資料には書かれていない史実があると感じたイリーナは、まずは資料集めに奔走した。ユルゲンが生前、関係のあった人々について書かれている資料を探すためさらにいくつかの図書館などを回った。

 一方のクララは、家の物置に仕舞われていたユルゲンの遺品を引っ張り出し、すべてに目を通していた。

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