死にゆく者の祈り、2002
1
年齢のせいではないはずだが、最近はひどく記憶が曖昧で困ってしまう。
そもそもこの住所を知ったのは、いつだったか、それさえもはっきりとしない。
どうやってここまで来たのかはよく覚えていないのだが、気付くと私は見慣れぬ商店街の見知らぬ建物の前に立っていた。二階建てのそこには特に看板もなく、外観からは普通の家屋にしか思えず、引き戸になっている玄関のドアに貼られた紙がなければ、何を営んでいるか分からないまま通り過ぎてしまっていたことだろう。
〈人生の苦しみから心霊の悩みまで、あらゆる相談お受けします〉
という怪しい文言の後には店舗名もなく、その下には電話番号が書かれている。もう亡くなってしまったが、かつての友人の恵美ならこういう場所の存在を面白がっただろう。不思議な雰囲気だ。ただ、普段の私だったら、たとえ興味を持ったとしても、こんなうさんくさくて、危険なにおいのする建物に入らなかったはずだ。
私は一葉の写真を握るその右手にちいさく力を込める。私にはもう時間がないかもしれない。
時代を感じさせるその建物には呼び鈴らしきものは付いていなくて、とりあえずノックしようと握りこぶしをつくった手の甲でドアを叩こうとしたが、それは空振りに終わってしまった。私が手首を振るのと同時に、ドアが開いたからだ。
「こんにちは。お客様ですか?」
私を出迎えたのは、幼さの残る声だった。
「あ、うん。きみはこの家の子?」
「ここで、先生の助手をさせてもらっているコウと言います」
中学生くらいだろうか。こんなちいさな子が助手……?
もしかしたらコウと名乗る彼は、その彼の言う、先生……彼女の息子さんかもしれない。店番を任されているとか、きっと、そんな感じだろう。
「きょうは、その先生、いるかな?」
「はい。もちろんです。では、上がってください」
丁寧な言葉遣いだが、礼儀正しい、というよりは、感情を殺したようなしゃべりかたをする少年だ。口調は柔らかいが、どこか冷めている。私が一番苦手とするタイプだ。異性同性関係なく、こういうひとはどうも好きになれない。いつも一緒のグループにいた咲なんかはまさにそういうタイプだった。素っ気なくて感情が読めなくて、でもその態度が私のことをすこし見下しているように感じられる。実際にそう言われたわけではないが、私にはそう見えて仕方がなかった。
そんな咲も、もう亡くなってしまった。一緒に旅行した時はあんなに元気だったのに……。
少年が私に案内してくれたのは、〈カウンセリングルーム〉と書かれた看板がドアに吊り下げられている部屋で、入るとそこには私が求めていたひとがいた。顔を合わせるのは人生で二度目だが、いまはサングラスをしていて素顔は分からない。
椅子に座って、先生と机を挟んで向き合う私を見届けると、少年は、ぺこり、と深く頭を下げて、部屋から出て行く。
「初めまして……じゃなかったよね……、えぇっと、以前どこで会ったかしら」
「以前、長崎に友達と旅行した時、ガイドをしてもらったんですけど、覚えていないですか?」
私が、そう言うと、彼女がちいさく口の端を上げた。
「あぁ思い出した。そうだった、そうだった。それで今日は何のご用?」
何年か前、いつも一緒にいた四人グループで旅行した際、たまたま目的地に向かう電車の中で隣り合わせたのが先生で、その不思議な雰囲気が妙に私たちの興味を惹き、そのまま旅先でも行動を共にすることになったのだ。実はその時に彼女の名前は聞いていなくて、ただ周囲からは、先生、と呼ばれている、と彼女自身が言っていて、私たちも旅の間、先生、と彼女のことを呼んでいた。
私の存在はひとつの職では収まりきらないの。まったく自慢げに感じない口調で、自慢としか思えないことを言った彼女は、その時、私たちに名刺を渡してくれて……あぁそうだ、そこに住所が書いてあったんだ。名刺には〈相談請負人〉と本気か冗談か分からないような肩書きが付けられていたが、彼女がその名刺を配りながら、カウンセラーや占い師、霊能者やら探偵なんかも兼ねている、なんて言っていて、そんなに手を広げたら全部が中途半端になるだけなんじゃないか、と思ってしまったが、でもあの時の霊能者という言葉が頭に残っていたからこそ、私はここを訪ねようと思ったのだろう。私たちのグループでもっとも、恋多き女、というあのちょっと古くさいフレーズの似合う女性だった早苗は、占い師、というワードに惹かれたのか、彼女に厚かましくも無料で恋占いをせがんで、一喜一憂していた。そんな早苗も、もう……。
「実は私、死ぬかもしれないんです」
私は手に持っていた写真を彼女に差し出す。
そこには私も含めて四人の女性が写っている。恵美、咲、早苗、そして私の四人が集まって、あの日、長崎で撮ったものだ。
あの旅行からまだ大した期間も経っていないのに、私以外の三人が、異常とも言える死に方をしている。こんな偶然が本当にあるだろうか。
私たちは呪われているのかもしれない。
だとしたら次は最後、……私の番だ。
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