艦長 ボリス・シュバルツ
大陸歴1658年3月9日・ズーデハーフェンシュタット・海軍桟橋
夕方、遊撃部隊で選抜された二百名は、出発の準備が完了した。
一旦、兵舎の外で整列し、そこで私は訓示を行った後、部隊は出発した。
首都に向かうためにはまずは、ズーデハーフェンシュタットの近くを流れるグロースアーテッヒ川を渡る必要がある。通常であれば、ズーデハーフェンシュタットの近くで運行されている渡し舟を使うか、川が渡れるほどの幅と深さになる上流まで進軍し渡河するのだが、今回は海軍の新造の巡洋艦で渡河させてもらえることになった。
帝国の領土は海がなかったので、そもそも帝国軍には海軍は存在しなかったが、帝国による占領後、共和国の海軍を帝国軍が丸ごと摂取した形になっているため、海軍に所属している人員は、帝国から派遣されている司令官のベススメルトヌイフと一部の上級士官以外は、ほとんど共和国の出身者だ。しかし、海軍の仕事と言えば、以前より海賊や密輸船の取り締まりがほとんどであったため、さほど規模も大きくない。
ちょうど、新設された遊撃部隊の兵舎は海軍の敷地内にある上、遊撃部隊、海軍共に旧共和国の者が多いという理由から、兵士同士のちょっとした交流も増えている。
桟橋に付くと、新造の巡洋艦“スタニスラフ四世号”が停泊していた。艦の名前は、帝国の前皇帝の名前が付けられていた。白い船体に白い四本のマスト、あちこちに金色の装飾がされており、非常に美しい船だ。
そして、以前、乗船した“ウンビジーバー号”とは大きさが違う。ウンビジーバー号は百名程度までしか乗船できなかったが、スタニスラフ四世号は二百五十名程度まで乗船が可能だという。
スタニスラフ四世号の船長は、かつてウンビジーバー号の船長だった、ボリス・シュバルツが就任していた。シュバルツは、細身でスラリと背が高く、禿げ頭の神経質で用心深いタイプだ。年齢はちょうど五十歳。若い頃は、海軍所属ではなく陸軍の一般兵士として弓を得意としていたという。
“チューリン事件”でレジデンツ島の探索の際、ウンビジーバー号の船長として船を指揮してもらい、一緒に航海をした間柄だ。島での戦いでは彼の弓のおかげで、危ないところを助けてもらったこともあった。
我々がスタニスラフ四世号に近づくと、桟橋でシュバルツが待ち構えていた。
私は敬礼して、挨拶をした。
「ご無沙汰しております」。
「久しぶりだね」。
シュバルツも敬礼をし返した。
「新しい船は素晴らしいですね」。
私は目新しいマストや帆を見上げながら新造船の感想を言う。
「まったく豪華な船だよ。内装も凝っていて、これでは巡洋艦なのか豪華客船なのか、区別がつかんよ。まあ、皇帝を乗せることを前提としているようだから、こんな船になったんだろう。試験航海も何度かやったが、非常に扱いやすい」。
シュバルツは、新造巡洋艦とても気に入っているようで、この船の話をする時は、機嫌も良さそうだ。
「ベススメルトヌイフから聞いている。川の反対側に送るだけで良いのだな?」
「はい、渡し舟の桟橋までお願いします」。
「二時間程度の航海だな。新造巡洋艦を渡し舟代わりに使うとはなあ…。まあ、共に戦ったよしみで送ってやるよ」。と、シュバルツは冗談めいて少し笑って見せた。
シュバルツと私は舷梯を登り乗船した。そして、シュバルツの招きで艦長室に入った。
スタニスラフ四世号は本当に豪華な作りだ。艦長室も豪勢なつくりとなっていた。以前ウンビジーバー号の艦長室にも入ったことがあるが、そこは、ただ板がそのままむき出しになっているように作りだったが、艦長室の壁は白く塗られ、広さも格段に広い。シュバルツが豪華客船と呼ぶのも無理はないと思った。
シュバルツと私は執務机を挟んで椅子に腰かけた。彼は、水差しからコップに水を注いで渡してくれた。シュバルツは水を飲み干すと尋ねた。
「今回の任務はどういったものだ?」
「首都まで進軍しろと。どうやら公国が帝国への侵攻の準備をしているようです」。
「まさか」。
「命令書にはそうありました」。
「信じられん。公国程度の軍事力で帝国に侵攻とは、命知らずにもほどがあるな」。
「ルツコイ旅団長は、国内に手引きした者がいると考えています。最近、各地で頻発している暴動の主導者がいて、その者だと」。
「なるほど。君はどう思う?」
「私は違うと思います」。
「その理由は?」
「なんといいますか…勘です」。
彼にも私と共和国派が通じているのは秘密にしておく。
「そうか」。
シュバルツは少し考えてから、再び話し出した。
「共和国軍の残党がいるのは知っているか?」
「噂程度ですが、聞いたことがあります」。
「実は、少し前に、その仲間と言う者が接触してきた」。
彼らは海軍にまで接触をしてきたのか。しかし、当然、旧共和国軍であった海軍にも接触をしても不思議ではない。さほど驚く事ではないだろう。
シュバルツは続ける。
「将来、共和国の復興のため武装蜂起する。その際には一緒に蜂起しろと言う。その者が本当に共和国の残党かどうか分らなかったので、断ったよ」。
シュバルツは、もう一度、少し考える様に話を止めた。そして、思い切ったように再び話しだした。
「蜂起した際のズーデハーフェンシュタットでの指導者は、君だと言っていた」。
「ほう」。
私は驚く素振りを見せた。シュバルツは、その様子を見て再び話し出した。
「それは事実なのか?」
「私は知りません」。
私は、このまま自分の秘密を話さずにおいた。彼も元は共和国の人間だが、ここは用心に越したことはない。
「そうか」。
「その者のことを、どこかに話しましたか?」
「いや。君に話したのは今回初めてだよ」。
「誰にも言わない方が良いでしょう」。
「そうだな。しかし、もし、そういう話があれば君は乗るのか?」
「私は興味ありません」。
私は嘘をついた。
「なるほど」。
シュバルツはため息をついた。
「こういう話は、帝国の者が忠誠心を試すためにやっている可能性もあるからな。お互い気を付けよう」。
「そう思います」。
シュバルツは立ち上がった。
「良かったら艦内を案内しよう。どうだ?」。
「是非、お願いします」。
私も立ち上がった。
私はシュバルツの案内で新造艦内を歩いていた。新しい木のにおいがまだ残っている。
艦内は豪勢で、皇帝が利用すると想定してある部屋も見せてもらったが、豪華な部屋となっていた。その両隣には皇帝の護衛が控える部屋、これはアクーニナや親衛隊が利用することになるのだろう。他に武器庫、食堂、水兵たちの部屋など、一通り艦内を見終わったら、我々は甲板に出た。
遊撃部隊の二百名は桟橋から乗船がちょうど完了していた。それを確認するとシュバルツの号令の下、水兵たちが帆を上げた。穏やかな風の中、船がゆっくりと進みだした。
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