弟子 ソフィア・タウゼントシュタイン

 大陸歴1658年2月28日・ズーデハーフェンシュタット


 ソフィア・タウゼントシュタインは、赤毛の長髪で青い目が美しい女性。ユルゲン・クリーガーと同じ、此処ズーデハーフェンシュタット出身。彼女は叔父がクリーガーと同じ“深蒼の騎士”で、所属は国境警備隊の一員であったが、先の“ブラウロット戦争”の際、開戦まもなくの戦闘の混乱の中、行方不明となった。

 叔父がそうであった、“深蒼の騎士”に憧れていた彼女は、“ブラウロット戦争”の後、クリーガーの弟子となった。彼女の戦い方は持ち前の反射神経で、相手の攻撃を巧みに躱す。その軽やかな動きは女性の腕力の弱さをカバーして有り余る。また、以前の彼女のルームメイトで、アグネッタ・ヴィクストレームというヴィット王国の出身の魔術師がいたが、ソフィアは彼女から珍しい魔術を伝授されており、その魔術の威力は、一年前の“チューリン事件”でも遺憾なく発揮され、その戦いの中でクリーガーも幾度となく助けられた。


 昨年、“チューリン事件”で傭兵部隊の一番の魔術師であるエーベル・マイヤーが戦死し、“雪白の司書”のアグネッタが帰国したため、ソフィアが傭兵部隊では一番の魔術使いとなった。傭兵部隊が遊撃部隊として名前を変え、再編成された現在、ソフィアが部隊で他の魔術師や魔術師見習いの指導をしている。

 帝国や旧共和国では、剣などの武器で物理的な戦いが主で、魔術は戦闘の補助としてつかわれることがほとんどだ。しかし、ソフィアはアグネッタの戦い方を見て、強力な魔術を使えるようになれば、一人で数十人分、いや状況によっては数百人分のもの戦力となるだろうと考えていた。そういったこともあって、最近は以前よりも魔術について学ぶ時間をかなり割いていた。また、新しい魔術書や魔術を使うための魔石を探している。


 ただ、師であるクリーガーは、強力な魔術が相手に与える被害が度を越えて大きいのを危惧していた。以前戦った、翼竜などの怪物には使用するのはいいだろう。もし、彼が強力な魔術を使えるとしたら人間相手の戦闘に使用するのは躊躇してしまうに違いない。


 ソフィアは、ズーデハーフェンシュタットの遊撃部隊の兵舎から馬で二十分程度の場所に位置するカフェ“ミーラブリーザ”に居た。

 ソフィアは、このカフェにはよく来ていた。ここの紅茶はズーデハーフェンシュタットから船で三週間近くかかる別の大陸に存在するラーミアイ帝国で採取された珍しい茶葉を使っているという。香りも味も少し独特であるが、ソフィアはお気に入りだ。

 大抵はラーミアイ紅茶を飲むために一人でここに来るのだが、今日は別件で、人を待っていた。この店の奥には、個室になっている席があり、そこで誰かと会合をする場合に使うことがある。

 ソフィアは、紅茶をゆっくり堪能したいと思い、待ち合わせの時間より1時間も早く到着していた。顔見知りになったウエイトレスにいつもの紅茶を注文し、しばらく待つ。店の奥の個室には窓が一面にしかないため、中は少々薄暗い。窓の外の風景はカフェの裏の小さな庭のようなところで、どこにでもある木々が数本と花壇の緑が見える。今は二月なので花は咲いていないが、九月になると赤と黄色い花を咲かせる。花の名前は何と言ったか、ソフィアは思い出せないでいた。


 ソフィアは紅茶をゆっくり飲んで、大体四十分ぐらい立っただろうか。紅茶はカップの半分ぐらいの量になって、だいぶ冷めてきた。もう一度カップに口を付けたときに、待っていた相手が到着した。

 ウエイトレスに案内されてやって来たのは、旅の商人のマティアス・シュルツ。

 彼との出会いは一年前、帝国首都アリーグラードへ向かう途中の渡し舟の中であった。彼を以前のルームメイトだった、アグネッタ・ヴィクストレームに紹介したのであるが、アグネッタが故郷のヴィット王国に帰った後は、ソフィアがお得意様となっていた。彼はたまにではあるが珍しい魔石や魔術書を持ってきてくれる。今日は魔術書を仕入れたのでぜひ紹介したいということで、会うことになった。

 シュルツはローブを脱いで挨拶した。

「今日も、お早いですね」。

「紅茶を飲みたかったので、早く来ておりました。ご足労ありがとうございます」。

 ソフィアは笑顔で挨拶を返した。

「お礼を言うのはこちらの方ですよ、いつもご購入いただいて」。そういうとシュルツは椅子に腰かけた。「今日の商品も気に入っていただけると思いますよ」。

 シュルツは荷物の中から商品を取り出そうとしたその時。ウエイトレスが注文を取りに来た。シュルツは、ソフィアと同じものをとラーミアイ紅茶を注文した。


 改めてシュルツは荷物の中から商品を取り出した。

 その商品はカバーが緑色をベースに金色の装飾がされている魔術書と、紺単色のシンプルな魔術書の二冊。いずれもヴィット王国の文字でタイトルが書かれている。

 シュルツは説明を始める。

「二冊ともヴィット王国から仕入れました。無論、国外に持ち出し許可の出ているものです」。

 魔術と言えばヴィット王国と言うほど、大陸では有名だ。

 ヴィット王国は大陸の一番北に位置している。この王国では、古来より魔術の研究が盛んで、多数の魔術書が書かれている。その多くの魔術書が王立図書館に集約されており、魔術師は魔術を学ぶために図書館に集まるようになった。そこで、いつしか魔術士のことを“司書”と呼ぶようになったという。ヴィット王国は、冬の長い雪国でということもあり、我々のようなヴィット王国以外の者は、彼らのことを“雪白の司書”と呼んでいる。

 彼らの魔術の中で過度に危険なものや、倫理的に問題があると思われるものは、使用が制限されたり、禁止されていると聞く。それらは結構な数になるという。それらを記載してある魔術書の国外持ち出しも禁止されている。禁止魔術の情報は制限されているため、どういうものが制限、禁止されているかヴィット王国でもごく一部の者しか知らないという。


 ウエイトレスが、ラーミアイ紅茶を持ってきて、シュルツの前においた。

 シュルツは軽く礼を言い、一口飲んだ。


“チューリン事件では”、ヴィット王国出身の魔術師アーランドソンは、禁止されている憑依魔術を使用していた。その魔術は、だれか他人の体を乗っ取ってしまうというものだ。憑依魔術は使った者の意識や知識、経験を持ったまま相手の体に乗り移る。乗っ取られた相手は、その意識は消失してしまう。すなわち死ぬということだ。その魔術の特徴は、乗っ取った相手の知識や技術、記憶を残したまま乗っ取ることができた。何度も体を乗っ取って行けば、どんどん知識や経験を蓄積していけるという。

 アーランドソンは、ソフィアの師クリーガーの師であったセバスティアン・ウォルターや、魔術師チューリン、前皇帝スタニスラフ4世などの体を乗っ取り、その知識や経験で、我々を苦しめた。

 アーランドソンはスタニスラフ四世の体を乗っ取っていたため、約三年の間、帝国の権力を手中に収めていたのである。悪意を持った魔術師が憑依魔術を使うのは非常に危険だとわかる。


 シュルツは魔術書の説明を始めた。

「この緑の魔術書は傀儡魔術を、紺の魔術書は幻影魔術について書かれています」。

「傀儡魔術も幻影魔術も見たことがあるわ」。

「傀儡魔術は、想像した人物や動物を土や粘土から作り上げることができます」。

「翼竜とか地竜などの空想上の怪物も作り出せるみたいね」。

 ソフィアが“チューリン事件”で戦った翼竜、地竜、クラーケン、そして魔術師チューリンもアーランドソンの傀儡魔術による作られたものであった。

 これは強力かつ危険な魔術だ。

 シュルツは説明を続ける。

「その通りです。ただし、傀儡魔術には対象に魔石を埋め込む必要がありますので、もし傀儡魔術をご利用であれば魔石も併せてご購入下さい」。

「傀儡魔術は危険な魔術に入らないの?」

「危険な魔術には数えられていないみたいです。高度に訓練された魔術師でないと難しいから、というのが理由のようですが。人間や同じ程度の大きさの動物の傀儡を作り出すのに数年、さらに大きな動物を傀儡とするまでには十数年かかります」。

「そんなに?」。

 アーランドソンは、他人の体を乗っ取り続け百八十六年生き続けたと聞いた。それだけの時間があれば、傀儡魔術を使えるようになるまで十分な時間があっただろう。

「ですので、習得しようという者はさほど多くないですね。それで、禁止魔術の扱いになっていないのかもしれません」。

 傀儡魔術に興味が無いとは言わないが、できれば、すぐに使える魔術が欲しいところだ。ソフィアは少々落胆した。

 シュルツは、そんなソフィアを見てか、もう一冊の紺色の表紙の魔術書の説明をはじめる。

「次に、こちらは幻影魔術の魔術書です。幻影魔術は簡単に言えば、相手に幻覚を見せる魔術です」。

「姿を消すこともできる」。

 ソフィアは、クリーガーが幻影魔術を見たことがあり、その時は相手は姿を消していて、突然目の前に現れたと言っていた。

「よくご存じですね。相手に自分が見えないような幻覚を見せることもできます。ただ、見えないだけで本当にいなくなるわけではないですから、相手の剣を食らったら一巻の終わりです。あとは、あまり遠くにいる相手には効果はありません。せいぜい、この店がある通り反対側の建物ぐらいまでですかね」。

「なるほど」。

 一対一や、少数の相手の戦いなら何とか使えそうだ。

「これは習得にどれぐらいかかりそう?」

「魔術書を読むと、二、三か月もあれば使えるようです。まあ魔石の良し悪しや、個人の集中力にもよりますが」。

「それはいいわね」。

 ソフィアは、少し考えてから決断した。

「じゃあ、幻影魔術の書をいただくわ」。

「魔石のほうは、いかがですか」

「今日のところは、結構です」。

「わかりました。おそらく、そう仰ると思っていました」。

 エーベルは笑顔を見せた。本当に傀儡魔術の書や魔石が売れるとは思っていなかったのだろう。彼は顧客と会う時は大抵、二、三種類の商品を用意して持ってくるが、本当に売れると思う物は一つだと思っている。

 ソフィアは金を渡し、代わりに魔術書を受け取った。

「ありがとうございます。また、良い物を仕入れましたら、ご連絡しますよ」。

 シュルツは、ラーミアイ紅茶を一気に飲み干し、立ち上がった。

「紅茶のお代は、私が払っておきます」。

 というと、シュルツは部屋を立ち去った。


 ソフィアは幻影魔術の書を開いて、数枚ページをめくって眺めた。面白そうだ。

 近いうちに、師のクリーガーを驚かせることができるだろう。

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