文化祭②
ゴテゴテと飾りつけられ、色とりどりの衣装を身につけた学生が闊歩している校舎は、毎日来ている学校と同じ空間とは思えないほど賑やかだ。私はキョロキョロと周囲を見回しながら、少し前を歩く高梨くんを小走りに追いかける。
「……あ、ごめん。歩くん速かった」
振り向いた高梨くんが、申し訳なさそうに歩みを緩めてくれる。そもそも彼と私では歩幅が全然違うし、今日の私は浴衣を着ているのであまり早くは歩けないのだ。「ごめんね」と言うと高梨くんは「全然いいよ」と笑ってくれた。
こうやって並んで歩いていると、余計に緊張が増してしまう。ストーカー気質の私は後ろから追いかけるのは慣れていても、隣にいるのはどうにも落ち着かないのだ。そわそわと前髪を引っ張っていると、高梨くんがチラリとこちらを窺ってくる。
「……浴衣、いいやん」
「あ、ありがとう。高梨くんはもう衣装着替えちゃったんや。似合ってたのに……」
「似合いすぎて、怖い先輩とかに目ーつけられても嫌やなと思って」
そう言って高梨くんはアハハと声をたてて笑った。私も笑みを返しながら、写真撮りたかったなあと思う。
私は高梨くんの写真を撮ったし、高梨くんも私の写真を撮ったけれど、本当は二人で写真を撮りたかった。クラスの女子たちが高梨くんとの2ショットを撮っているのを見て、羨ましくて仕方がなかったのだけれど、勇気がなくて切り出せなかったのだ。
「浅倉、どっか行きたいとこある?」
高梨くんが文化祭のパンフレットを広げながら私に尋ねてくる。2ショットは撮れなかったけれど、こうして二人で文化祭を回れているだけで充分幸せだ。私は背伸びをして高梨くんの手元のパンフレットを覗き込んだ。
「あ、三時からステージでミスコンするみたいやで。陽奈ちゃんの応援行く?」
面食いらしい高梨くんは興味があるだろうと思って提案したのだけれど、何故だか彼は渋い表情を浮かべた。
「……うーん、おれミスコンは別にいいわ。浅倉が見たいなら行くけど」
そうなんや、と首を傾げて、はっとする。よく考えると、ミスコンには一組の佐々岡さんも出場しているのだ。高梨くんが佐々岡さんに振られたらしい、という噂は私の耳にも入ってきている。悲しいけれど、もしかするとまだ彼女への未練があるのかもしれない。私は自分の気の回らなさを恥じた。
「ううん、私も大丈夫! ほんなら、六組の謎解きゲーム行かへん?」
「おっけー」
特別棟を出ると、体育館の前を横切って私たちの教室がある普通棟へと向かう。二年一組の教室前の廊下で、真っ黒いマントを着た翔ちゃんが女子に囲まれているのが見えた。
「あ、ハルト」
女子の群れを振り切ってこちらにやって来た翔ちゃんは、かなりげっそりした顔をしていた。一組はお化け屋敷をやっているらしいから、吸血鬼のコスプレでもしているのだろう。背が高く顔立ちの整った彼にはよく似合っていた。女の子たちが群がるのも無理はない。
「翔真、何やってんの?」
「客引きさせられてる……疲れた。帰りたい」
そこでようやく私に気付いたらしい翔ちゃんは「あれ、璃子も一緒なんや」と意外そうに瞬きをした。
「おまえらどっか行くん?」
「六組の謎解きゲーム行こかなって言うてたとこ」
「へー。俺も行こかな」
翔ちゃんがそんなことを言い出すので、私は内心かなり焦った。せっかく高梨くんと二人きりなのだから、正直なところ来ないでほしい。「やめて」と目線で訴えかけてみたけれど、鈍感な翔ちゃんはまったく気付く様子もない。私が必死で念を送っていると、一組の教室からナース服の女子が駆け寄って来た。
「羽柴くん、何サボってんのー!」
血糊メイクのついたゾンビナースの正体は、いつかちゃんだった。翔ちゃんはいつかちゃんに向かって「別にサボってへん」と唇を尖らせる。
「目ー離したらすぐどっか行くやんか。わたし見張り任されてんねんから、あんまフラフラせんといてな」
呆れたように息をついたいつかちゃんは、並んで立っている私たちを見て「あれっ」と目を丸くする。
「璃子ちゃんと高梨くん! えっ、もしかして二人?」
「う、うん」
私といつかちゃんは、一瞬のうちに目配せをし合う。よかったやん、とでも言いたげにいつかちゃんは微笑んだ。
「鮎川、俺もハルトらについてっていい?」
翔ちゃんの言葉に、いつかちゃんは大きな声で「それはあかんやろ!」と叫んだ。ああ、私にはいつかちゃんが天使に見える。格好は天使どころかゾンビやけど。
「羽柴くん、二人のジャマせんとき」
「えっ、俺ジャマ?」
「うん、ジャマ」
驚いたことに、きっぱりとそう言い切ったのは高梨くんだった。それってもしかして、高梨くんも私と二人がいいと思ってくれてるってこと? 浮き足立つ心を必死で沈めるように、両手で心臓を押さえる。
「二人とも、よかったらうちのお化け屋敷寄ってかへん? 結構力作やで」
いつかちゃんがニコニコしながら言う。高梨くんに「浅倉、怖いの平気?」と訊かれたので、私は頷いた。ものすごく得意なわけではないけれど、裸足で逃げ出すほど苦手でもない。うまくいけば怖がるフリして高梨くんに抱きつけるかも、という下心もある。「二名様ごあんなーい!」という明るい声と共に、私たちは一組の教室に入っていく。
一歩足を踏み入れると、背後で暗室カーテンが閉められた。そうすると教室の中は驚くほど真っ暗になって、すぐそばにいるはずの高梨くんの姿さえ見えなくなる。にわかに不安になってきた私は、彼の存在を確かめるように手を伸ばした。シャツの袖らしきものを見つけて、ぎゅっと握りしめる。
「浅倉、大丈夫?」
「う、うん」
どこからともなく、おどろおどろしいBGMが流れている。四方を段ボールに囲まれた道を進んでいくらしい。高梨くんがゆっくりと歩き出したので、私も後ろについていった。
「ぎゃあ!」
数メートルほど進んだそのとき、足首にひやりと冷たい感触がして、私はその場で飛び上がりそうになった。氷のような手が、足首から浴衣の裾に入ってきて、ふくらはぎの辺りを撫でてくる。
「浅倉、どしたん!?」
慌てる高梨くんに、私は「あ、足触られたあ」と情けない声を出した。小さく舌打ちした高梨くんが私の腕を掴んで、ぐいと引く。
「誰か知らんけど、女子の足触るとかセクハラやぞ!」
高梨くんは、なんだか明後日の方向に怒りを向けているみたいだ。高梨くんは私の手を探し当てると、ぎゅっと強く握りしめる。ごつごつとした大きな手の感触に、私はもうお化け屋敷どころではなくなってしまう。教室に響く謎の女がすすり泣く声よりも、自分の心臓の音の方がよほどうるさい。
曲がり角から血塗れになったゾンビが「ハルト死ねー」と言いながら飛び出してくる。高梨くんはグロテスクなゾンビに向かって「おまえ
お化け屋敷の中は、普段使用している教室とは思えないくらい広く感じられた。暗室カーテンをくぐって外に出ると、あまりの眩しさに目がチカチカする。頭がくらくらするような、立ちくらみにも似たような感覚に耐えていると、高梨くんが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「大丈夫?」
気遣うような優しい声に、私はこくこくと頷いた。手を繋いでいることに興奮しすぎて、抱きつき損ねたことに思い至る。未だ彼の手は私の手をしっかりと握りしめたままだ。繋いだ手をじっと見ている私の視線に気付いたのか、高梨くんは狼狽したように手を離す。
「あ! ご、ごめん!」
私は「ううん!」と言ってぶんぶん首を振る。さっきまで彼と繋いでいた手は、緊張のせいか興奮のせいか汗ばんでいた。あのまま気付かないふりをしていれば、ずっと繋いでいられたのだろうか。しまった、失策だった。
「おつかれー。怖かった?」
私たちが向かい合ったままお互い照れていると、長いマントを引きずるようにして翔ちゃんが歩いてくる。高梨くんは憮然とした表情で「最初に足掴んできた奴、誰?」と尋ねていた。どうやら、意外と根に持つタイプみたいだ。
そのあと私たちは六組の謎解きゲームをして、吹奏楽部の演奏を聴いた後、三年生の演劇を鑑賞して、天文部のプラネタリウムを見た。高梨くんが隣にいるだけで、何をしていても三倍くらい楽しく感じられるから不思議だ。
「……楽しかった!」
文化祭を満喫した私たちは、四組の教室に戻ってきていた。今は全員出払っているのか、みんなの荷物が置いてあるだけで誰もいない。教壇に座った高梨くんは、先ほど買ったサイダーのペットボトルを傾けている。私も高梨くんの隣に腰を下ろして、三角座りをした。
「飲む?」
「あ、いただきます……」
ペットボトルを受け取って、口をつけてごくりとサイダーを飲む。喉を通るしゅわしゅわとした炭酸が冷たくて心地良い。
いつのまにか日は暮れかけていて、教室の中は夕焼けのオレンジ色に染まっている。中庭からは軽音楽部の演奏が聴こえてきていた。
「高梨くん、めっちゃいろんな人に声かけられてたな」
高梨くんは他のクラスや学年にも男友達が多いらしく、行く先々で声をかけられていた。高梨くんの隣にいる私のことを、みんな揃って興味深そうな目で眺めてきた。ストレートに「彼女?」と訊いてくる子もいたけれど、高梨くんは笑って「ちゃうわ」と答えていた。そりゃあ違うのだけれど、はっきり否定されるのはちょっとだけ寂しい。
「あー、だいたい中学の友達とか部活繋がりやけど。そんなに顔広いわけちゃうで、男ばっかりやし」
「……私と一緒にいるとこ見られて、嫌じゃなかった?」
高梨くんは否定していたけれど、何人かは私のことを恋人だと勘違いしてしまうかもしれない。私は嬉しいけど、高梨くんの迷惑になってしまうのは嫌だ。高梨くんは怪訝そうに「なんで?」と尋ねてくる。
「どっちかっていうと、女子と一緒におるとこ見られるのって優越感ちゃう? おれはむしろ見せびらかしたい」
「ほ、ほんま……?」
「浅倉は嫌やった?」
「ぜ、全然! 全然嫌ちゃう!」
勢いよく否定する私に、高梨くんは「よかった」と目を細める。軽音楽部の演奏が終わり、中庭からは盛大な拍手と口笛が響いていた。
「……私、そろそろ茶道部の方戻らんと」
名残惜しいな、と思いながらも私は呟く。高梨くんは溜息をついて「そっかー」と言った。なんだか残念そうに見えるのは、私の願望だろうか。私は勇気を出して、「あの」と切り出した。
「……写真、撮らへん?」
「へ?」
「ふ、二人で……あかんかな……」
小さな声でぼそぼそとお伺いを立てる私に、高梨くんは「いいよ!」と快諾してくれた。
ズボンのポケットからスマホを出した高梨くんが、カメラアプリを立ち上げる。インカメラに切り替えると、手を伸ばしてスマホを構えた。
「浅倉、もーちょいこっち寄って」
「う、うん……」
お互いの身体が触れ合って、私の頭に高梨くんの肩がぶつかる。スマホ画面に映る私の顔は真っ赤に染まっていた。教室に射し込んでいる夕陽のせいにしてしまいたい。心臓の鼓動さえ伝わってしまいそうな距離に、身体中の血が沸騰しそう。
何度かシャッターを押した高梨くんは、「後で送っとく」と言ってスマホをポケットにしまいこんだ。私の写真が高梨くんのスマホに残るのはかなりプレッシャーだ。半目になったりしていませんように、と祈るしかない。
「いたっ」
彼から離れようとしたところで、ふいに髪が引っ張られて痛みを感じた。高梨くんが「じっとしてて」と言って私の後頭部に触れる。どうやらヘアピンが彼の制服に引っかかっているらしい。どうしてそんなことになっているのだろうか。私の名残惜しい感情を表しているようで恥ずかしくなる。
高梨くんはじっと黙ったまま、私の髪に触れている。髪の毛が絡まっているのか、少し時間がかかっているようだ。私は彼と触れ合った部分に感覚を集中させるように、そっとまぶたを下ろす。
……好き。
心の中で、噛み締めるようにそう呟いた。ほんの半年ほど前までは、遠くから見つめることしかできなかった大好きな人。そんな彼が、優しく私の髪に触れている。
目を閉じるとまるで夢の中にいるような気がしてきて、今隣にいるのはクラスメイトの高梨くんではなく、私の恋人のハルくんなのだ、という気分になってくる。もちろん、全部私の妄想だけど。
「とれた」
高梨くんが言ったので、現実に引き戻された私はゆっくりと彼から離れる。「ありがとう」と言って彼の手からヘアピンを受け取った。指と指がぶつかったそのとき、ふいに視線が絡まって、二人の間に沈黙が落ちる。
軽音楽部が演奏している曲は、いつのまにかロマンチックなバラードになっていた。私たちが本当に恋人同士だったなら、ここでキスのひとつでもしていただろう。
「……浅倉」
私を見つめる高梨くんの瞳の中に、私を抱くハルくんと同じような熱を見つけてしまって、私の息は止まりそうになった。僅かに触れ合った指の温度を意識するだけで、どうしようもなく欲情してしまう。そんなはしたない自分に気付かれたくなくて、私はそっと目を伏せた。
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