第5話 テトラクライン

シグルドは日の光を避けて歩く。

紫外線対策、と口許は笑っていたが、ライカは彼の体質を知っていた。

おおらかな機関構成員は長く太陽の下を歩けない。

移動は専ら黒馬車かメトロだ。

十の誕生日を迎えるまで、ライカはシグルドを本物の吸血鬼だと信じ込んでいた。

ソファで眠る兄を守るために十字架で戦ったこともある。無論、シグルドには効かなかった。

彼は笑いながら、俺は吸血鬼と人間のハーフなんだよ、とライカの頭を撫でたのだ。

あの頃はライカの寄生星も小さく、発作もほとんど起きなかった。

「ここだ」

シグルドの行き付けのカフェは路地の奥まった場所にぽつんと建っていた。

オープンカフェにもなるが、今朝は誰も座っていない。皆、広場へ行ってしまったのだろう。

樫で出来た看板には、古代文字でテトラクラインと刻まれている。看板に乗っている木彫りの兎たちが愛らしい顔を並べて少年たちを迎えた。

(いいにおいがする)

扉を開けると、薔薇の香りがした。テトラクラインは元人形師のマスターと、彼の愛する作品たちが運営しているレトロカフェだ。客はまばらで、空席が目立つ。

シグルドはカウンタに近い席を取り、ライカに座るよう促した。メニューは細やかな木目の壁にかけられた黒板に書いてある。マスターの気分で毎日メニューが変わるのだ。

「いらっしゃい。また来てくれたのね」

素朴な雰囲気の老婦人が奥からやって来て、二人に檸檬水を配る。

すっかり白くなった髪を蝶の髪留めでまとめている。清潔な白いエプロンは、シグルド曰く母親を連想させるそうだ。ライカにはなんのことだかわからない。白は、兄の白衣の色だ。

「おはようございます。ミセス・グランディス」

シグルドの表情が明るくなる。彼はいち早く髪留めに気づき、まるで少女を口説くような素振りで褒め称えた。

「有り難う、ワーズワースさん」

ミセス・グランディスは仄かに頬を染め、左手で口元を押さえた。薬指にシンプルな銀の輪がはまっている。

ライカの菫色の睛は、銀の輪を逸れ、老婦人の手の甲に注がれた。ジェム状に加工されたペリドットが埋め込まれている。

(これ、鉱玉だ……)

ペリドットの表面に透かしが入っている。光の加減で、管理局の標がくっきりと浮かび上がる。鉱玉は自動人形の動力源だ。鉱玉に刻まれた紋様はプログラムに似ている。

紋様の出来次第で、自動人形の価値は一変する。目の前のミセスは上等な自動人形だ。間接の繋ぎ目すら見えない。

ライカはレネの操る自動人形を思い浮かべていた。彼らの表情は、穏やかに笑うミセスほど豊かではない。言葉を発することはあっても、兄の思惑通りに動いているだけだ。

ここまでヒトに近い自動人形を見たのは初めてだった。

(僕のと全然違う)

ライカは左手首のアクアオーラに視線を移す。寄生星と鉱玉は似て非なるものだ。

鉱玉は自動人形に命の灯火を与えるが、寄生星は少年の命を削っていく。

広場で見た黄水晶のオブジェが脳裏にちらついて離れない。超新星爆発は、寄生星が一定の質量を越えると起こる。星もまた、少年とともに成長している。

ライカはかかりつけの医師からそう聞かされていた。いざというときにパニックを起こさないための知識だった。

「ライカ、お前はどれにする」

「え……」

気づけば、ミセス・グランディスに熱い視線を送っていたらしい。シグルドに肩をつつかれ、ライカはようやく我にかえる。慌てて黒板に視線をそらし、手書きのメニューを追った。

見慣れない料理名が並ぶ中、少年が唯一理解できたのはクレープだった。

「え……と、僕、はちみつと檸檬のクレープがいい」

「俺は、合鴨とスクランブルエッグのガレット。あと、食後に珈琲と紅茶を一つずつ」

「かしこまりました」

メモを片手にミセス・グランディスがカウンタへ向かう。ライカはきょろきょろと辺りを見回し、檸檬水を一口含んだ。絞りたての檸檬の酸味が口の中で弾ける。

ミセスの他にも給仕の姿が見えたが、彼らも様々な位置に鉱玉が埋め込まれていた。ヒトと変わりない仕草でてきぱきと働いている。

「すごいだろう。この店の店員はマスター以外、全員自動人形なんだ。俺の知る限りではレネと並ぶ腕前だね」

「ひどいなあ、ワーズワース。僕を忘れないでくれ」

聞きなれない声に、ライカの身体は自然と傾く。トレイを持った空色の髪の少年が、唇を尖らせて立っていた。やや垂れ気味の目の色は、ミセス・グランディスの鉱玉とよく似ている。

「ゼファー」

シグルドが親しげに呼ぶ少年を、ライカは知らない。紺地に白のラインが入ったセーラーの襟につけられた、錨と海猫の徽章に目が止まる。

ライカも同じものを持っている。シグルドが鳥の街から買ってきた手土産だった。少年とシグルドの繋がりを感じ取ったライカは、身体の向きを直し、再び檸檬水に口をつけた。

「お前はまだ店員じゃないだろう」

「未来の店員だよ。むしろマスターと呼んでほしいね。ほら、お祖父ちゃんからのサービス」

少年はバスケットを二人のテーブルに並べる。焼きたての三日月パンとバターにライカの腹の虫がなった。

「ワーズワース、この子、誰?」

ぺリドットの双眸がちらりと横目でライカを見る。

「あなたの隠し子?」

「馬鹿。違う。レネの弟のライカだ」

シグルドの言葉を聞いた途端、少年がぴくりと身体を反応させた。まるで宝物でもみつけたかのように、驚きから喜びの表情へと変わっていく。

ゼファーは興奮に頬を紅潮させ、椅子に座るライカをのぞきこんだ。

「レネ!レネって、あの人形師の………!」

「あ、は、はじめまして。ライカです」

「弟がいるなんて、知らなかった。僕はゼファー。お祖父ちゃん、いや、テトラクラインのマスターの孫だよ」

ゼファーは一方的にライカの手を握り、よろしく、と爽やかな笑顔を向けた。向かいの席でシグルドが笑いを堪えている。

「兄さんを、知っているの?」

「もちろんさ。人形師レネの名を知らないやつなんて、この街にはいないよ」

少年の純粋な好意に、ライカの頬も熱くなる。

塔と管理塔を行き来する生活のなかで同年代の子どもと接する機会は皆無に等しかった。

ライカを取り囲むのは大人ばかりで、血の繋がった兄ですら、十以上も歳が離れている。

ライカはそっとゼファーの手を握り返す。ゼファーの方が、少しだけ指先が長い。

「レネは、僕の……、いや、人形師を目指す若者すべての憧れだよ。僕も彼の作品は大好きだ」

「本当に」

ライカは人形師としての兄の姿を、ほとんど知らない。世間の評判など考えたことがなかった。

「兄さんが、そんなに有名だなんて知らなかった」

「良かったら、僕の部屋へ来ないか。クレープとガレットが焼き上がるまで、しばらく時間がかかるからさ。レネの作品をみせてあげるよ」

ゼファーはすっかり乗り気だ。戸惑うライカの背中を、シグルドの言葉が押す。

「行ってこいよ、ライカ。流通しているレネの作品は少ないんだ」

「う、うん」

とくん、と胸が高鳴る。兄を好いてくれるゼファーの存在が何よりも嬉しい。同時に、同年代の少年の部屋にも興味を惹かれていた。

「こっちだ。ライカ」

ゼファーが手招きをしている。二階に続く階段に、ぽうと灯りがともる。ライカは急な階段に足をかけ、何気なくゼファーの背中を見上げた。

(え……)

少年たちが段を上るたび古い階段がぎしぎしと音をたてる。木々の悲鳴に耳を傾けながら、はっ、とライカは息を呑んだ。

(寄生星……)

短く切り揃られた淡い空色の髪。ライカよりも発達している生白い項に、淡い輝きを放つ異物が埋め込まれていた。

千の針を束ねたような菫青色がゼファーの皮膚をやぶって寄生している。大きさはちょうどライカの握り拳ほどだ。

ゼファーの動きに合わせて藍色の粉末がぱらぱらと零れ落ちる。

気さくな少年も、ライカと同じ寄星病の感染者だったのだ。

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