第五酒 『荷札酒』第四章
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「それで何か方法はあるんですか?」
身なりを整えて家を出た所で紫はおおかみさまに聞いてみる。なんでかさっきの配信で紫の配信チャンネル『のんべえチャンネル』の登録者数が増えていたので、おおかみさまのほっぺびょーんの刑は見送りにした。
普段の私のレビュー配信では逆に登録者数が減ってたりするのに、なんでおおかみさまがちょっと喋っただけで増えてるんだろう。嬉しいけど凄い複雑な気分だ……。
「んー?ああ、不届き者を探し出す方法か?ああ簡単じゃ、汝に付いていた匂いを辿って行けば自ずと分かってくる。ふふっ……見つけ次第、我の牙が火を噴くぞ」
「牙から火を噴かないで下さい。結局繁華街まで出てきちゃいましたね。帰りに晩御飯の具材買って行きましょう」
「我、昨日てれびで観た餃子鍋食べたい。辛うまらしいのじゃー」
「はいはい、なら早く神様見つけて下さいねー」
――最近の私、本当におおかみさまの従者になってない?いや、どちらかと言うと母親……彼氏もいないのに子持ち気分味わうとは思わなかったなあ。
紫が現実に打ち拉がれていると、おおかみさまはすんすんと鼻を鳴らしながらどんどん路地裏に入っていく。見失わないように必死で付いていくと視たことある道に出ていた。
あれ、この道昨日の……
「ここじゃ、この神社から強く気配を感じるぞ。間違いない、紫よ戦闘態勢をとるのじゃ!」
紫の予想は的中していた。昨日、蒼を追いかけて掃除を手伝った廃神社におおかみさまはずかずかと入っていく。
「なんでそんな好戦的なんですか?落ち着いて下さいおおかみさま」
追いかけて入った神社は昨日と変わらず静寂に包まれていたが、ただ一つのみ異なる点があった。
「――参拝者がいるみたいですね、ほら御社殿のとこ」
「気を抜くでないわ、我みたいに人に化けておるかもしれぬ。油断させた所で頭から丸のみする算段ではないか?」
疑心暗鬼のおおかみさまとは対照的に紫は穏やかな気分だ。言葉で言い表すのは難しいが、この場所からは敵意のような悪い情念を感じなかったからだ。どこか暖かささえ感じる。
「あら、蒼ちゃん以外の人がくるの久しぶりにみたわ。こんにちは、可愛いお嬢さんたち」
一人と一匹が境内で佇んでいると、御社殿に参拝していた年配の女性が声を掛けてきた。皺が刻まれた相貌には朗らかな笑顔を浮かべている。しかしながら、腰をしっかり伸ばして立っている姿は年齢を感じさせない。
「こんにちは、弟と知り合いなんですか?はじめまして私、
「やっぱりそうなのね、お顔がそっくりですもの直ぐに分かったわ。私は相沢幸江よ、よろしくね紫ちゃん。そちらのお嬢さんのお名前は?」
ささっと紫の後ろに隠れていたおおかみさまに幸江さんは落ち着いた声音で話しかける。警戒していたおおかみさまだったが、老婦人の雰囲気に当てられたのか安堵して返事をした。
「――空じゃ」
おおかみさまの短い言葉が境内を通り抜けていった。幸江さんは紫の後ろに隠れていたおおかみさまを眼にして驚いているようだ。
――確かにその反応が普通だよね、おおかみさま見た目だけは本当に常軌を逸してるし。
紫は何故か得意気にうんうん頷きながら後方腕組み紫になっていた。
「まあまあ、凄い綺麗なお嬢さんだこと。紫ちゃんも綺麗だから絵になるわねえ」
幸江さんに誉められたおおかみさまはニヤニヤを噛み殺そうと眉間に力を入れていたが口元は弛みきっている。
「当然じゃ、我は神じゃからな!」
「ちょ、ちょっと空ちゃん!?幸江さん今のは空の冗談で……」
上機嫌になったおおかみさまが口を滑らしてしまい、紫が慌てて訂正するが幸江さんは依然として嬉しそうに笑っていた。
「――汝、さては信じておらぬな?」
訝しんだおおかみさまが噛みついたが、幸江さんは頭を振って語り始めた。
「いいえ、空ちゃん。私ね、貴女達が産まれるずっとずっと前にこの神社の神様とお会いした事があるの。ここの神様はね大昔この土地に居着いた狸の土地神様なのよ。私がまた貴女達と同じくらいの年頃だったかしら、日本は酷い戦争をしていたわ」
「――第二次世界大戦ですね」
紫がポツリと答える。幸江さんはゆっくりと頷き、息を整えて続ける。
「そうよ、私の旦那さんにも赤紙が届いてね。当時は今の様に恋愛結婚なんてできなくてね。
でもあの人は私を大切に思ってくれたの。私はこの神社にあの人が無事に帰ってくることを祈って過ごしたわ。
何日も何日も……でもねもう一度逢うことはできなかったわ。
周りの人は名誉の戦死と言ってたけど私はそう思えなかったの。絶望した私はこの神社であの人の後を追おうとしたわ。
馬鹿なことをしたと今となっては思うけれど、あの時はあの人を失った哀しみで押し潰されそうだったの。
神様からしたら迷惑な話よね。勝手に祈ってた女が叶わなかったから境内で自殺しようとしてるのだもの。
でも土地神様は私の前に姿を現して思い留まらせてくれたわ。今でもあの神々しいお姿が瞼に焼き付いて離れないわ」
幸江さんは境内を懐かしそうに見渡す。紫の心は老婦人が語った話で哀傷に満たされていった。
「ごめんなさいこんな暗い話に付き合わせてしまって。空ちゃんがその神様とどこか同じ暖かい面影をしていたからついつい話し込んでしまったわ」
「いえ……」
「ふふ……その顔も蒼ちゃんとそっくり。最近じゃあ記憶も曖昧になってきてたのだけど貴女達と逢えたこと忘れないわ。今度は蒼ちゃんも一緒にお茶しましょ」
「もちろんです!蒼も喜ぶと思います」
一人と一匹は軽く会釈をして幸江さんを見送る。階段を降りていく幸江さんの背中は小さかったが、凄惨な時代を生き抜いてきた経験と哀しみの重みを感じさせていた。
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