第3話 政の貧乏くじ
「くそ。なんで私がこんなことを……」
悪態をつけながらも宮殿内の石畳を突き進む影。それは、幼いながらも立派な外交用のドレスに身を包んだシュテファーニエであった。
シュテファーニエは透き通るような灰色の癖のないセミロング髪を髪留めで上げて、吹き出物一つないおでこを輝かせている12歳程度の少女である。コバルトグリーンの丸い宝石のような瞳は、生き生きとしていて、彼女の人生を映しているようにすら思える。横暴な態度や乱暴な口調から言えば、誰も彼女を第三王女だということが認識できない。
「『ロードアイアお兄様はフィオレンツァで
自らの実母に文句を言いつつも、外交の重役がいる部屋の扉の前につくと、深呼吸一つで凛々しい顔に戻るシュテファーニエであった。それは、彼女が根はかなりの真面目であるからなのであろう。
資料を片手に持ち、ドアを数回ノック。そして、中からの返答を受けてようやく中に入る。木製の観音扉を開けると、中の応接室には、一人の女性が柔らかいソファに腰かけ、入り口や彼女の周囲には武器を手に持ったままの護衛たちがいる。
シュテファーニエが中に入ろうとすると、入り口付近にいる護衛たちに引き留められ、体を触られそうにもなった。
「失礼いたしますが、ボディチェックを————————」
「バカかキミは……この場に武器を持ち込んでいるのは貴様らだけだ。外交の場をなんだと思っている」
「しかしながら、皇女殿下の身を守るため」
「私も王女殿下なんだが、文句あるか? それに、ぞろぞろと多勢で狭い応接室に暖房を増やしているのはそちらだろう。ここは一応、会談の席であるのだが?」
「しかしながら————————」
「よい! 通しなさい」
威勢のいい女性の掛け声が中から聞こえ、シュテファーニエがそちらを見ると、椅子に腰かけたまま立とうともしない隣国エルドライヒ帝国の第一皇女がいた。特徴的なカージナルレッドの柔らかく腰まで伸びた長い髪、そして星のように煌めくマゼンタの丸い瞳をシュテファーニエは見覚えがある。
外交パーティで何度か見たことのあるリリアナ・エルドライヒ第一皇女であることはすぐにでも分かった。ここで、二人の皇子のうちどちらかを出してこない辺りをみるに、帝国も本気で平和的解決を求めてきていないことは火を見るよりも明らかであった。
しかし、そんなことを気にしていては外交官が務まらないため、あくまでもこちらの態度を毅然として突き通すシュテファーニエは、恐れることなく部屋の奥に突き進み、リリアナの対面側のソファに腰かける。
「お久しぶりですね。リリアナ殿下」
「こちらこそ、お久しぶりですわね。シュテファーニエ殿下」
「本日は、お忙しい中お越し下さり感謝いたします。この場は互いの意見をまとめる調書の前の会談という認識でよろしいでしょうか」
「えぇ、構いませんわ」
「では、まずはこちらを」
そう言いながら、シュテファーニエは持参した資料を手渡そうとテーブルの上に置こうとする。しかしながら、その瞬間、護衛たちが一斉に武器を抜こうとしため、シュテファーニエは当然のことながら一度停止することになる。
「武器を収めてもらっても?」
「まずは、その書類に危険性がないことを確かめてからでしょう?」
「そのような無礼なことをする伝統は、我が国にはない。帝国は長い歴史故にあるのかもしれませんが……。よろしければ教えていただいても?」
「あら、これは失礼。ブリューナス王家は皆、力による絶対支配を好んでいると聞き及んでいるものですから」
「護身のために、精進しているだけですが、なにか?」
「あら、そうですの?」
互いに笑顔を崩していないが、平和的な外交とは言い難い険悪な雰囲気が漂う。どちらかが謙虚な姿勢を見せれば崩れるのかもしれないが、それはどちらの国も威厳があるため行うことができない。
「もう一度言う。武器を収めろ……」
「あらあら、ブリューナス王国の王女は言葉遣いも習わないのね」
「はぁ……めんどくさ……これだから……お嬢様は……」
「あら、ネコを被るのはもうやめたのですか?」
「あぁ、やめるとも……武器を向けられたままお話合いなんてまっぴらごめん被るからな」
シュテファーニエはテーブルの上の資料の上の手を放し、椅子に深く座り直すと、足を組み、暇そうに髪を弄りだす。
すると、見かねた相手方の護衛の兵士が、シュテファーニエが動いたが故に、完全に武器を抜き放ち、彼女の喉元につきつけていた。しかし、シュテファーニエはその一切に怯えることなく、毅然とした態度を取り続けていた。
「成程……それがあなた方ブリューナス王国の態度ですか」
「その言葉、そっくりそのままお返ししようじゃないか、エルドライヒ帝国」
「今の状況がわかっていないようですわね」
「状況がわかっていないのはどちらかな?」
「わたくしが指を動かした瞬間、あなたの首は飛びますのよ————————」
「————————3秒だな」
シュテファーニエはリリアナの声を遮るようにつぶやき、不敵な笑みを浮かべる。そのあまりの不気味さに、リリアナは思わず生唾を飲み込んでしまった。
「3秒あれば、ここにいる護衛全て……跡形もなく喰らい尽くせる」
「あなた、その意味が分かっているのですか?」
「あぁ、わかっているとも……私は王家の中でも歴代最弱の部類の人間だからな。それでも、ここにいる短気な護衛共ならばものの3秒で片が付く」
「ならば試してみますか?」
「やめておいた方がいい。偶然にも、目の前にいる来賓を巻き込んでしまいかねない。なんせ、私は弱いからなぁ」
シュテファーニエは目を細めて相手の様子を疑う。リリアナは顔にこそ現れてはいないが、目の前の齢12の少女にそんなことができるのかと疑いの目を向け始めていた。
それは、当然、顔や態度に現れていないのだから、シュテファーニエには読み取ることができない。誰もがそう……否、リリアナはそう確信していた……。
だがしかし、シュテファーニエにはとある能力が備わっていた。それは類まれなる戦闘能力ではなく、彼女が幼い頃に手にしてしまったとある魔眼である。意識を集中することで、相手の敵意を読み取り、色として可視化するそれは、時に、その他の複合的感情すらも色合いの感覚として読み取れてしまう。
自分から表立って使うことはあまりないが、こういう決定的な場においては、躊躇いなく使うのが彼女の流儀でもあった。故に、シュテファーニエの視界から見て、リリアナが明らかにこちらを警戒していることなど手に取るようにわかってしまっていた。
「3秒で此処にいる全員を……それは本当かしら?」
「あぁ、本当だとも……試してみるかい? その度胸がキミにあれば……の話だがね」
この場において、シュテファーニエがそんなことをできるのか、というのは重要な事ではない。相手にそう思わせることこそが最大の利点となる。
「いいでしょう……武器を収めますわ」
「意外と素直でいいじゃないか」
鼻で笑うようなシュテファーニエを睨みつつ、リリアナは手を挙げて部下たちに武器を収めさせた。そして、互いの間にあるテーブルの上に置かれた資料を手に取り、中身を確認する。
「それは、我が国が貴国と結ぶための条件だ」
「これが?」
「あぁ……そちらから仕掛けておいて随分と暴れまわってくれたのに、譲歩したんだぞ。感謝したまえ」
「この賠償額をこちらが飲めるとでも?」
「しかし、そうでなければ事前に通達を受けている貴国の条件である領土返還はなされない。今後の経済的損失額に比べれば、安いものだと思うがね……」
「ネセラウス伯爵領は経済的悪化が顕著な土地ですわ。この額はあまりにも不釣り合いなのではなくて?」
「経済的な悪化はそちらの都合だろう。労働者をないがしろにして失策したのが原因だ。それをこちらに求められても困る」
「あなたたちが占領したのが理由でしょう」
「いいや、その前から経済破綻が目に見えていた。なんせ、ネセラウス伯爵は他のことに夢中になっていたようだからなぁ」
「元はと言えば————————ッ!」
「ならば、この場で調整すればいい。元より、本日のこの場はそういうものだと認識しているが、違うか?」
怒りに任せて立ち上がったリリアナを制するように、シュテファーニエは下から煽るように睨みつける。その幼いながらも鋭い目つきに押され、リリアナは再びゆっくりと腰を下ろした。
「たしかに……仰る通りですわね……。少し、冷静さを欠いていたようですわ。謝罪いたします」
「受け入れよう。ではまず、条文の確認だが、この内容に対して、何か調整を行いたいことなどは?」
「えぇ……ありますとも……」
そう言いながらリリアナは持っている資料を握りつぶし、先ほどとは打って変るようにして余裕そうな笑みを浮かべた。
「内容を聞こうじゃないか」
「ある……というか、全文却下なのですけれど、よろしくて?」
「理由を聞いても?」
「あら……そんなこと決まっているではありませんか……貴国は停戦もしくは終戦を希望していらっしゃるようですが、こちらはそうではありませんから」
「————————というと、冬の終わりを持って再進撃すると?」
「冬の終わり? 帝国がその程度のことに手を休めるとでも?」
「そうか……。ならば、一週間後でも、二週間後でも好きな時に攻めればいい……。こちらもそれ相応の反撃をさせてもらうが、文句はあるまいな?」
シュテファーニエの睨みつけるような視線に対しても、リリアナ・エルドライヒは一切動じることなく、むしろ更に笑みを漏らした。
「あら……王国は随分と悠長なのですわね。わたくしだったらそう……『今』————とか?」
直後、窓の向こうの城下の街から一発の火の手が上がった。それを皮切りに、まるで遠来の如く、次々に破裂音が街全体に鳴り響き始める。
シュテファーニエは一瞬、言葉を詰まらせるが、即座に満足げな笑みを浮かべているリリアナの方に向き直り、笑みの一切ない表情で返す。
「成程……これが帝国の答えというわけか……」
「その通りですわ。帝国と王国が仲良く手を取り合う? そんな未来永劫訪れない」
「下火になってきた戦乱に更なる燃料を注ぐため、こちらの国民を焚きつける……全くもって見事で悪逆非道な方法だ」
リリアナが再び右手を上げると、護衛の兵士たちは一斉に武器を取り、構えだす。皆、表情に笑みはなく、まるで機械のように冷徹な表情でシュテファーニエを一瞥する。
「意味は分かりますわよね?」
「————————もしもの話だ……。私がお前たちの捕虜になると言ったら、お前たちはあれらを一時的にでも止めることはできるか?」
「へー、ふーん……。そうねぇ、態度次第では考えてやってもいいですけれど……」
「そうか……ならば致し方あるまい……」
シュテファーニエは静かにため息を吐きながら、テーブルの上に用意されていた自分のコーヒーを手に取る。そして、既に冷え切っていたコーヒーを軽くすすり、一息をついた
誰もがその異様な少女の光景に放心する。
何故、武器を向けられ、数多の殺意を向けられてなお、この人間は平然と……いやむしろ、口角を上げて笑っていられるのか……ということに……。
刹那————————
窓際に立っていた護衛兵士の頭に違和感を覚え、自身の頭部に手を当てようとする。直後に遅れてガラスが割れる音が鳴り響き、そして頭部に手を当てたリリアナの護衛兵士は、自らの手に平が真っ赤に染まっていると自覚した瞬間に赤い絨毯の上に倒れ伏していた。
赤い絨毯に更なる赤いシミを作っていくが、そんな環境下でも、シュテファーニエは優雅にティータイムを楽しんでいた。
「ふむ……皇女の護衛だからこそ、この程度では死なないと思ったが……とんだ勘違いだったか?」
シュテファーニエの冷静な分析とは逆に、リリアナの護衛たちは皆一斉に、リリアナを庇うようにして窓枠から離れていく。それを嘲笑うかのように、シュテファーニエは不敵な笑みを崩さない。
「なんて無礼な! 貴国は交渉の場を血で染め上げるか!」
「鏡を見てから言ってくれないか……」
「ぐっ……ま、まぁいいわ。どうせ、あなたが何をしようと、この街に多大なる被害が及ぶのだから」
「————————そうだな」
「精々、巻き込まれて死なないように足掻くことね!」
「キャンキャンうるさいなぁ……。もうわかったから、早く退散してくれないか。現段階で、留置する気もないからさ」
「言われなくても!!」
それを最後に、リリアナは憤慨するような態度を見せ、木製の扉を勢いよく開閉させ、護衛と共に部屋の外へと飛び出していく。シュテファーニエはそれを静かに見送りながらため息を吐く。
この結果は、シュテファーニエにとって見えていたとはいえ、あまりにも不遇過ぎたからである。
「やれやれ……とんだ貧乏くじを引かされた気分だ……。この責任は私になるのか? まったく、大臣共にしてやられたな……」
シュテファーニエが謙遜した態度を取っていれば防げたというものではない。それは街で暴れまわっている無数の怪物が物語っている。これは、事前に用意された計画性の犯行……つまり、国内の誰かが密偵を招き入れ、そして事を起こさせたことになる。
密偵を今から探るのは非常に困難であり、同時にシュテファーニエの失われた信頼も戻っては来ない。まさに、袋小路に迷い込んだ最悪な現状という他はなかった……
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