第2章 ウソつきだらけのティーパーティー

第1話 冬の街リンデルにて

 聖魔歴1956年冬————————


 ブリューナス王国とエルドライヒ帝国は互いの利権をかけて開戦した。その開戦から僅か3か月後、ブリューナス王国は歴史的勝利を収め、エルドライヒ帝国の西側の一部を占領した。

 だが、それを期に戦争が激しくなる……ということはなかった————————



 理由は単純……季節が完全なる冬へと移り変わり、進軍するコストや防衛するコストが割に合わなくなっていたからである。だからこそ、この条約のない僅かながらの停戦の間に、両国間の関係を改善しようと動いている者たちがいた。

 そんな一部の者たちの願いを託され、今、雪が降り積もり始めたブリューナス王国の首都に数台の軍用車が列をなして通り過ぎる。刻まれている紋章はこの国のどこの貴族ものでもない。かといって、どこかの下級貴族のものでもない。

 羽を広げた大きな鷹と三種の神器を描かれたその紋章は紛れもなく、エルドライヒ帝家のものであり、その車両軍の中心にいる人物が単なる使者出ないことを如実に示している。

 大衆は窓の内側からそれを重苦しく見守り、僅かながら嫌悪の視線を送る。誰もが、この車両に乗り込んでいる人物が、件の戦争を嬉々として起こした人物に他ならないと思い込んでいるからである。


 しかしながら、そんな大衆の予想とは裏腹に、車両の中からは、意外にも落ち着いた女性の声が会話として反芻していた。


 「あら、こちらがわざわざ出向いているというのに、歓待の一つもありませんのね」

 「全く酷いですよね、リリアナ殿下……」


 軍用車らしからぬ内装……ふかふかの長い椅子に腰かけているのは、豪華に着飾っている女性……。深い赤色であるカージナルレッドの柔らかく腰まで伸びた長い髪、そして星のように煌めくマゼンタの丸い瞳。わずかに幼さが残る顔つきこそしているが、身長などを含めた体の発達や所作などから、彼女が既に成人していることなど見て取るようにわかる。


 「別に構わないわ、ヴィーシャ。元より、この国はそういう民族なのですから……。こちらとは相いれないのです。見て見なさい……街中では亜人や魔族が平然と闊歩している……。彼らが治安を乱しているというのに……」

 「リリアナ殿下は本当に、多種族がお嫌いなのですね」


 リリアナと呼ばれた人物……つまりは、エルドライヒ帝国第一皇女であるリリアナ・エルドライヒは、従者であるヴィーシャという女性に鼻で笑って答えてみせる。

 そんな嫌悪の表れとは正反対に、ヴィーシャは物珍しい国外の街並みに胸を躍らせているようにすら見えた。


 「ヴィーシャは街を見てみたいのかしら?」

 「え? いやいや、そんな……。公務中にそんなことはできません」

 「あら? 観光をしたいことは否定しないのね。可愛らしい」

 「す、すみません……」

 「いいわ、誰にでも体験してみたいことの一つや二つぐらいあるものね」


 リリアナは手をかざし、運転をしているものに合図をする。すると、車列は往来で徐行しているのにも関わらず、ゆっくりと停車し、動かなくなる。


 「ヴィーシャ。お願いがあるのだけど、頼めるかしら?」

 「リリアナ殿下……」

 「あらあら。そんなに泣かないで頂戴な……。こっちが恥ずかしくなりますわ」

 「だって……だって……」

 「ヴィーシャ。わたくしは甘いものが食べたいわ。この街で一番のスイーツ屋さんで、一番人気のある品を買ってきてはいただけないかしら」

 「はい! 喜んで承ります!」


 そう言いながらヴィーシャという従者は小躍りしながら、社内に設けられたステップの方へと走り、そのままの勢いで外に飛び出して行ってしまう。それをみて、リリアナは面白そうに柔和な笑みを浮かべ、もう一度合図をして車列を進ませる。


 「あらあら、ヴィーシャったら……相変わらずね……」


 だが、ヴィーシャの姿が街の中へと消え、完全に姿が見えなくなると同時に、リリアナの表情は先ほどとは打って変わって、酷く冷徹なものへと姿を変えた。

 そして、無線機を手に取り、車列にいるであろう全て部下に向けてワントーン低い声で喝を飛ばした。


 「準備はできているのでしょうね」

 「は、滞りなく、できております。リリアナ殿下」


 その確かな返答を聞いたリリアナはまるで魔女のように微笑み、静かに無線機を置いた。その表情は酷く不気味であり、纏う雰囲気は、しんしんと降り続ける雪の街とは正反対の無秩序めいたものであった。

 そして、そんなリリアナは誰もいない車内で、一人、神に告げるかのように呟いた。



 「さぁ、地獄を始めましょう……。呑気な王国のクズ共に鉄槌を———————」




 その声は、彼女一人しかいない車内の壁に溶けるように消えていく……。そんな彼女が乗る車を含めた車列が目指す先は……この街のシンボルともいえる、白亜の大きな城だった。




 ◆◆◆◆



 冬の街並み————————

 ブリューナス王国首都リンデルにて、雪によりまばらとなっている冬の街の中、アリッサは買い出しのための散策に来ていた。冬のリンデルは、アリッサの前世の記憶で言う日本の冬とは少し違った。

 積雪はあまりないわりに、ともかく冷え込むのが特徴的な気候……。厚手のコートや手袋、マフラーや帽子がなければ外を出歩けないほどになっている。

 寒さで吐く息が白くなる中、街の中にあるショーウィンドウをのぞき込めば、否応なく自分の姿が映し出され、その完全防備ぶりに自然と笑みがこぼれてしまう。


 そこには、何事にも動じないような薄桃色のぱっちりとした瞳。そして、茶色で癖の少ないセミロングの髪の毛は何も飾り付けがないまま肩の少し下まで伸びている。肌色は多少の日焼けがあるぐらいで血色がよく、顔の輪郭は幼さが消え去ったせいで凛々しく見える。

 アリッサの身長は170センチメートル前後であり、体型は厚手のコートで隠れてこそいるが、実家の稼業や冒険者業のせいもあり、しなやかな筋肉がついている。胸囲に関してはあまり豊かではないものの、顔立ちは整っている部類にはいるだろう。


 体の方はパステルとの戦闘時の無茶から少しだけ回復し、今は出歩ける程度にまでなっている。しかしながら、全快とは未だに行かず、激しい運動などは控えるように医師から診断を受けていた。

 しかし、体とは別に、身に着けていたアリッサ専用防具である軽装鎧『ボイジャー2号』はそうもいかず、破損した部分の修理と調整のため、今は返送修理中である。


 対し、横を歩いているキサラという女性の防具に関しては、細かい傷レベルのため、簡単なメンテナンスで済み、今は彼女のマジックバックの中に収納されている。

 アリッサが寒さで鼻先を少しだけ赤くしながら横にいるキサラを見ると、キサラはそれに気づいて、返すように笑みを浮かべてくれる。

 キサラがいつもの無表情な顔から何気ない笑みを浮かべるだけで、その凛々しくかつ美しく感じられ、アリッサは思わず息を飲んでしまう。

 少しだけ黄色を帯びた肌色を持ち、鴉の翼のよう艶やかな濡羽色に輝く胸元まで伸びた髪、そしてその髪の一部をモダン色のリボンで結んでいる。彼女の横顔は細く整っており、少しだけ釣り目な目元でさえ、柔らかな唇と合わされば、誰しもが自然にも目が吸い寄せられてしまうほど綺麗であった。


 本来であれば、もう一人、隣を歩く友人がいたのだが、この戦禍の中、行方不明となり、戦死と決定づけられた。もちろん、その事実に対し、二人は無関心でいられるわけではなかったが、今はともかく前に進み続けるために立ち止まらず動き続けている。



 「どうしたのですか? 急に見つめたりして」

 「あーいやー、そういうわけじゃなくてね。ただ、キサラさんの冬服は案外普通なんだなーって……」

 「何年この街に住んでいると思っているのですか……」


 アリッサはキサラの過去を少しだけ思い出す。彼女は幼い頃にこの街にとある事情で飛ばされてきて、とある夫婦に育てられ、今に至っている。もちろんアリッサとして、忘れていたわけではないが、アリッサもとある事情により約3年もの間の空白期間が存在するため、思い出すのに時間がかかってしまったわけである。


 「あー、ごめんごめん。そういえばそうだったね。あまりにも自然に着こなし過ぎて、わからなくなってた」

 「わたしとしても、やはり袢纏はんてんの方が過ごしやすいですが……まぁ、こちらのコートの方が経済的にも、気候的にもあっていますから」

 「あー、うん。キサラさんはそうだよねー」

 「何が言いたいのですか、アリッサは……」

 「いや、何でもないよ。あぁ、それより今日の目的を忘れてはないよね?」

 「当然です。消耗部材の買い足しと、武器の新調……もっとも、後者はアリッサだけですが」

 「ちょっとそれ、どういう意味?」


 先を歩くキサラに不貞腐れるように、アリッサの歩調が乱れ、少しだけ小走りになった。しかしながら、キサラはそれに気を留めることなく、一定のペースのまま歩き続ける。


 「アリッサは、物持ちが悪い、と言われたことはないですか?」

 「まぁ……あるけどさぁ……」

 「つまり、そう言うことです」

 「で、でも、今回は全部、王国の経費で出るじゃん! それなら買っておいた方が得じゃない?」

 「わたしはそういう図々しいことはしない主義なので」


 キサラの物怖じしない厳しい言葉にアリッサは眉間にしわを寄せつつも、特に言いだすことはせず、横に並んで、歩調を再び合わせた。


 「お得なのはいいこととだと思うけど?」

 「単なる気遣いの問題ですよ。できた方がいい……というよりは、単純な性格の問題です」

 「なにそれ、じゃあ、私がドケチだって言いたいの?」

 「いいんじゃないでしょうか。それでも……。他人に迷惑をかけていなければ」

 「じゃあ、大丈夫だね。キサラさんには迷惑をかけてないし」


 アリッサは、キサラの言葉を少しだけ振り返りながら、曇天の空を見上げる。その灰色一色の薄暗い様は、まさに現在の国際情勢そのものであり、雲がどちらに行くのかも怪しいような光景であった。


 「『迷惑をかけていない』というのは、あなたの視点です。実際は、気を使っていることなんて、数えきれません」

 「あー、それは……ごめんなさい」

 「気を遣っているのは別段悪い意味ではありませんよ。それでいて、交友関係は円滑になるのですから」

 「まぁ、確かに、完全に歯車が合う人なんて稀だし、そういう人とだけ交流するわけにもいかないっていうのは理解できるよ」

 「先ほども言ったはずですが、気を遣うこと自体は悪ではありません。だからこそ、皆が他者を気遣い、他人を尊重できていたのならば、こんな時代にはならなかったのでしょうね」


 静かに空を見上げているキサラの言葉を聞いて、アリッサは少しだけ我に返る。もちろん、キサラの言葉の正しさも理解できるし、否定はしない。ただ一つ、それが途轍もない『理想論だ』ということだけは首を横に振って示して見せる。


 「そうですね。アリッサの言う通り、これが理想論だって言うことぐらいは、わたしにだってわかりますよ」

 「一応補足するけどさ……。自分自身で、『出来ている』と主張しても、結局それって『出来ている“と思っている”』っていう自己完結型にしかならない。だから、『他人を気遣っている』と本人が思っていても、実際のところ、そうじゃない時も往々にしてある。だから、それはやっぱり理想論だよ」

 「その通りですね。アリッサの言う通り、誰しもが皆、同じ思考で、同じ主張で、同じように生きられたのならば争いは起きません。でも、それは残念ながら現実的にありえない」


 アリッサとて、キサラの言葉は身に染みている。この世界に住む一人一人は、ゲームや小説のように、『誰かの考えに従順で、絶対に否定をしない』もしくは『否定したものが異端者である』というわけではない。皆誰しもが、思い思いに行動し、それが偶然にも重なり合って、社会が成り立っている……。

 誰しもが『平等である』という甘い蜜を追いかけながら、互いに蹴落とし合う。それが、現実というものだ……。だからこそ、他者と自分の違いを明確に分けられる者がいるのだとすれば、それは、ある意味での『天才』と言えるのだろう。


 「結局のところ、気遣いができない人たちがわかりやすく判断できるように『法律ルール』が定められているからね」

 「———————うん? アリッサ……話と結論がいきなり飛んでいませんか?」

 「あ、いや、ごめん。頭の中でちょっと自己完結してた……。えっと……私が言いたい事を簡単なたとえ話で言うと……」


 アリッサはキサラの数歩前を歩きながら、子供たちが雪遊びをしている公園に顔を向ける。皆、思い思いに遊んでこそいるが、道路と公園を隔てている部分には、公園での禁止事項がいくつか書かれている。ただその内容は『ゴミを捨ててはならない』だというような“当たり前”のことばかりで、誰しもが守れるような簡単のことにようにも思えてしまう。


 「さっきの話からつながるんだけど……最初に公園を作ったとき、『場所が開いているのならば誰でも使用していい』っていう曖昧なルールがあったとするじゃん。まぁ、それでもしばらくは、子供だとか、動物の散歩をする人だとか、そういう人たちが、互いの邪魔にならないように“気遣いしながら”使用すると思う」

 「そこに、何かが起きる……と?」

 「そうだね。たまたま外部から、使いたい人が新規で来たとする。そうしたときに、それまで使っていた人は、そういうルールなのだからその人を受け入れなきゃいけない。もしも、手狭になって、使いたいときに使用できなくなっていたとしても……」

 「もし、わたしがその『新規で来た人』であるのならば、『ここをこのぐらいの時間使ってもいいですか』って既知の人に尋ねてみますね。ある程度、地域の使用時間がわかってきたら、それもなくなりますけど……」

 「そうだね。それは、キサラさんの“気遣い”だもんね……。でも、大多数の人はそうじゃない。『早い者勝ちなんだから使ってもいい』という考えで、無遠慮に使用を始めることもある。もちろん、それが悪いっていうわけじゃない。ただ、そうした場合、少し問題が起きるだけっていうのがさっきの結論に繋がる」


 キサラがアリッサの視線につられるようにして、公園の方に視界を奪われる。すると、そこには、遊んでいる二つの子供の集団が言い争っていていた。


 「最初にできた頃に使用していた“何となく”のルールや場所、時間決めはその誰かの身勝手な主張で簡単にひっくり返る。酷いときには『早い者勝ち』というルールを自己正当化して、全ての場所と時間を占領するときもある。そうした場合、当然、不平不満が出てきて、使用時のルールを明確にしなければならなくなってくる。行くとこまで行けば、管理人が常駐することもあるかもね……」

 「じゃあ、はじめから新規の人を受け入れるべきではない、と?」


 アリッサはキサラの質問に対して、首を横に大きく振って否定する。


 「それは解決策ではあるのだけど、公共物や共有物ではできない。まぁ、兎にも角にも、そういう小さな不満や積み重なっていった結果として、争いが起きる。これがもし、国家同士ならば、当然、“戦争”という形になる。踏み込んで言うのならば、領土問題っていうところかな。それが、理想論を形にできない現実という矛盾」

 「なるほど、そういう主張の人たちを納得させるために『国際法規ルール』が定められたのですね」

 「まー、実際のところ、みんながキサラさんみたいに、“気遣い”ができていたのならば、そういうルールは必要ないし、そう言った問題も起こらない。また、違うところで不平不満ができるのかもしれないけどね」

 「例えば、なんですか?」


 アリッサは公園の方から目線を外しつつ、キサラに殴られないように、ほんの少しだけ前へと進む歩調を早めた。


 「毒舌で、相手を不快にさせる……とか?」

 「あぁ、確かにそれはありますね」


 キサラは納得したように頷いて、アリッサに追いつくように少しだけ走り、隣を歩き始める。その不自然な様に、アリッサは小首をかしげながら会話をつづけた。


 「キサラさんって、案外、自分には無頓着だよね」

 「なにがです?」

 「いや、わからなければそれでいい」

 「変なアリッサですね、あぁ、寄り道している時間はないですよ。今日は午後からシュテファーニエ様と会談がありますから」

 「はいはい。わかってますよーっと————————」


 アリッサは少しだけ不貞腐れながらも、キサラと肩を並べるようにして歩を進ませる。しかし、その足は二人ともほぼ同時にほんの少しだけ乱れ始めた。

 ただ、お互いに得られている情報に齟齬があってはいけないため、真面目なキサラは、表情を一切崩さないまま、いつも通りに鼻歌を歌っているアリッサに向けて、状況を共有するために、小さく耳打ちをした。


 「アリッサ……気が付いているとは思いますが……尾行されているようです」


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