終章 終部

 後日———————


 ポスナーゼン公爵の死亡により、内戦は早々に戦後処理へと進められた。元々、後継ぎがいなかったポスナーゼン公爵家は取りつぶしになり、広大な領地は王国の直轄地として一時的に回収されることとなった。

 元ポスナーゼン公爵夫人であるトピヤ・ポスナーゼンはあの後、一命をとりとめたが、片目の視力喪失と左肩から下が不随となり、一時的な療養となった。ブリューナス王国は、彼女を少数民族集合自治区の長としてのポジションに治め、傀儡とする算段を立てているらしい。


 ただし、ポスナーゼン公爵との内乱が僅かな被害で終結したとはいえ、ブリューナス王国は未だにエルドライヒ帝国との戦時状態であることには変わらない。

 国境線沿いには多数の両軍が集結しており、開戦から連日のように、砲声が轟いている。戦線状態は拮抗なれども、ブリューナス王国は決定打にかけるため、厳しい戦いを強いられているらしい。


 あれから、アリッサたちは、というと、リリアルガルド国に一時帰国し、学生としての本分を果たすことになった。アリッサは、キサラとフローラの協力を経て、休学していた分の単位を猛勉強で何とか取り戻し、進学することができた。


 その最中で、アストラル王国第二王子であるエニュマエル・アーストライアが、アリッサの帰還を聞きつけて会いに来たが、アリッサは、彼との問いかけに対し、「もっと早く来てほしかった」と返してしまう。

 それは、帰還後のアリッサについてだったのか、それとも、拷問を受けた際の時だったのかは不明であるが、アリッサの苦笑いが一つの関係の清算を示していたことは確かである。

 エニュマエル・アーストライア……つまりは、アリッサがアスティという愛称で呼んでいる青年は、その瞬間に、ようやく、自分の恋心に気づき、そして同時にその終わりを痛感することになった。


 ただし、そうだからと言って、二人の友人関係に変化はなく、同じギルドの一員として、関係は続いていく……。




 そんな慌ただしい日々の中、アリッサは久しぶりに外に出歩き、誰もいない郊外の森を訪れていた。昼間は晴れていたのだが、夕方の今は分厚い雨雲が空を覆い隠しており、木々の間を駆け抜ける風は肌を刺すように冷たい。夏に訪れた時とは違い、虫の声はほとんどなく、動物すらも足跡しかわからないほど静寂に満ちている。


 見渡してみても、アリッサ以外に人影はなく、誰かが来る気配もない。だが、それはつい先ほどまでのことであり、アリッサが瞬きをしたその直後には、魔方陣の残光と共に、アリッサの良く知る人物がそこにいた。


 それは、癖のあるこげ茶色の短髪に、相手を睨むように威圧的な鋭い鸚緑の瞳をもつ青年。数か月前まではお世辞にも整っているとは言い難い、肥満体形をしていたが、今現在は、あの時よりも頬肉などを大きく落とし、体つきは以前と比べ、標準的なものに戻りつつあった。

 ただしそれは、運動を行ったというよりは、度重なる激務や、精神的な疲労により、食欲及び食事量が激減し、結果的にそうなってしまった。それは、目の下の隈や、荒れた肌を見れば、誰にでも予想がついた。

 アリッサはその人物……つまりは彼女が「先輩」と呼んでいるパラドイン・オータムのそんな姿を見て、心配するでも、驚くでもなく、ただ一言、最初にこう告げた。


 「ただいまです、先輩……」


 ぎこちなく笑い、優しい声色でそう告げたアリッサを見て、パラドは驚きつつも、平静を装った。


 「あ、あぁ……おかえり……少し……変わったか?」

 「変わったように見えますか?」


 問いに対して問いで返すアリッサを見て、パラドは首を横に振った。ただ、それは彼ら彼女のせめてもの誤魔化しである。

 わずかに伸びた身長や、細くなった顔つき、そして幼さが消えた目じりと輪郭、潤いを持つ唇を見れば、誰がどう見ても、アリッサが成長していることに気づく。無理矢理に幼さを出そうとしてはいるものの、言動に関しても違和感を彼女自身が自覚する程に、皆とズレてしまっていた。


 三年という月日———————



 記憶をなくし、“リタ”として過ごした時間が、彼女を大きく変え、今はそれを少しずつ周囲に馴染ませながら、違和感をなくしていく努力をしている。

 アリッサはパラドを見たことで、そんなズレに胸を痛め、パラドの胸元に八つ当たりするかのように、軽く拳を叩きつける。頭を俯かせ、何も言わないまま、大きな彼の腕に収まることを望むかのような動作に、パラドは当然ながら困惑する。


 「先輩……一つだけ……教えてくれませんか……」


 アリッサは目線を合わせることなく、震える声で続ける。


 「今の私は……先輩にとって、どんな存在ですか……。先輩の隣に立てるような“仲間”でいられますか……」


 アリッサの悲痛な声を聞き、パラドは少しだけ目を閉じ、寝不足の頭を回転させる。ただ、どんなに考えても答えは出てこない……。パラドには、今の自分の彼女に対する気持ちがわからなかった。だからこそ、考えることを止め、ありのままの自分を告げる。


 「そうだな……。しいて言うのであれば、別段、いてもいなくても、どうにでもなるような人間だよ」

 「そう……ですよね……。あはは……やっぱり———————」

 「————————でも」


 パラドは苦笑いを浮かべるアリッサの声を遮るように続きを口にする。


 「お前がいないと……存外に寂しく感じるもんだ……。雑用を押し付けられるやつがいなくて、優雅に食事も昼寝もできやしない……」

 「なんですか……それ……」

 「重要なことだ。おかげで、気苦労が絶えないからな……。ま、お前がいても別な意味で気苦労が絶えないがな」

 「一言、余計ですよ」


 アリッサは怒ったようなフリをしながら、儚く笑って見せる。その実、やはり、胸の奥底は引き裂かれたように痛かった。

 だからこそ、それを誤魔化すために言葉を続けた。


 「先輩……聞かせてください……。今回の結末は、納得のいくものでしたか?」

 「あぁん? なにいってんだ?」

 「約束したじゃないですか、先輩が納得の行くような結末にするって……」

 「あぁ……そういや……そうだったな……」


 パラドは面倒そうに頭を掻きむしりながらも、期待の眼差しでこちらを見ているアリッサを横目で見る。そして、首を横に振った。


 「ダメだな……取り返しのつかない喪失が大きすぎた……」

 「例えば?」

 「例えば……あぁ、そういうのは自分で考えるもんだ」

 「いいじゃないですか、ケチ……」


 パラドは『アリッサが犠牲になったから』という理由は語らない。語ってしまえば、自分の中の何かが欠けてしまうような予感がした。


 「そこまで解説する義理はない」

 「そういうとこ、モテませんよ?」

 「誰とも恋愛するつもりはない。全員、俺の駒だからな……」

 「はぁ……。だから、ダメなんですよ……」

 「何がダメだって?」

 「そうやって、素直じゃないところですー。潔く、負けを認めればいいのに」

 「何に対してだ?」

 「自分で考えてくださいよ、そんなこと————————」


 アリッサはすねるように顔を逸らす。パラドは自分の言ったことの真意を読み取れるはずがないと高を括っていたのだが、アリッサはそうではなかった。パラドと共に行動する時間が増えたからこそ、「俺の駒」なんていうことを言うわけがないことを見抜いている。


 「面倒なやつだな、お前は……」

 「それはお互い様です……っと、それよりも、今後のことについてです」

 「ようやく切り出したか……。じゃあ、次の動きについて伝える————————」


 何かを言いかけたところでアリッサが人差し指をパラドの乾いた唇に当てて、無理やり言葉を止めた。


 「それじゃ、だめですよ、先輩……」

 「お前……何を言って……」

 「裏から、ネセラウス伯爵を闇討ちしても、尻尾切りになって彼を追い詰められない……。第一、先輩一人でなんとかなるわけないじゃないですか」


 パラドはアリッサが自分の考えを見抜いたことに驚きつつも、平静を装って話を続けた。


 「それは……そうだが……こちらにはやつを打ち滅ぼす大義名分がない。表立って動けば国際問題だ」

 「それは、オータム家が……という問題でしょう? オータム家は確かに、西側のにらみ合いで兵を動かせない。だからこそ、ネセラウス伯爵家率いる帝国軍の策略に、王国が嵌りつつある」

 「アリッサ……頭がおかしくなったか?」

 「失礼ですね。少しは右腕として信用してくださいよ……」

 「核爆弾みてぇな右腕だな」

 「せめて原発と言ってください。あぁ、もう、話が逸れました……。つまり、この状況を打開するために、一番シンプルな方法で行きましょうってことです」

 「というと?」

 「『月のゆりかご』が第三王女親衛隊として参戦すればいいんです」


 胸を張り、堂々と宣言するアリッサに呆れながら、パラドは頭を搔きむしる。アリッサにしてみれば三年の月日を経ているため、大きく成長しているのだが、パラドにとっては数か月であるため、未だに現状のアリッサを飲み込めずにいることが明らかに見て取れた。


 「それに何に意味が?」

 「先輩が裏から動きやすくなる」

 「意味が分からないな……」

 「だから、表舞台では先輩が指揮をしている偽装を私がしながら、裏で先輩があれやこれやをすればいいんです」

 「お前に俺の代わりができるかよ……」

 「えぇ、ですから……相手が嫌がることを徹底的にやって場をかき乱してやりますよ。そうすれば、相手の思考を削ぐことができます」

 「そんなに単純なものか?」


 未だに懐疑的なパラドを見て、アリッサは深いため息を吐く。


 「そうやって、何でも一人でやろうとする……。だから、上手くいかないんですよ。また、“間違える”つもりですか?」


 パラドはもう一度、アリッサの瞳を凝視する。その薄桃色の瞳は確かに嘘偽りなく、やり遂げるだけの自信で満ちていた。その瞬間、いつもの癖で、一人で考えこもうとしてしまう自分がいることをパラドは自覚した。


 「アリッサ……お前はチェスをうてるか?」

 「初心者なみにしかできませんね……」


 落胆し、憤慨するようなパラドを嘲笑うかのように、アリッサは「——————でも」と続けた。


 「————先輩のように、チェスが上手い人をテーブルに座らせるのは得意です」


 これは紛れもない事実だった……。なによりも自分自身を知り尽くした少女は、パラドが信用に値する考えを持っていた。だからこそ、パラドはため息交じりに、首を縦に振った。


 「わかった……最終目標は、ネセラウス伯爵の殺害」

 「いいえ、先輩……最終目標は、帝国と王国の終戦です。そこまでやらないと意味がありません」

 「おいおい、無茶を言ってくれるぜ……」

 「だから、みんなでやるんでしょう?」


 アリッサの言葉に、パラドは微笑みながら考え込むようなしかめっ面を止める。それを見て、つられるようにアリッサも微笑んだ。


 そして、数秒間互いを見つめた後、二人はほぼ同時に表情を強張らせて、戦士の顔立ちに戻った。


 「やりましょう。私たちの夢の為に————————」

 「あぁ、俺たちの理想の為に————————」


 その言葉を最後に二人は再び、別々の道を歩き出す。だが、それは隣同士であり、たどり着く場所が同じの分かれ道。


 言葉は交わさない———————


 それでも二人は、言葉よりも強い“約束きずな”で結ばれていた。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る