第16話 転生聖女は運命を信じる


 アストラル王国での事件後———————


 ユリア・オータムは連絡を受け、すぐに駆け付けようとしたのだが、事後処理に追われ、アリッサの元にたどり着いたのが最後となった。

 そのころには転移魔術で、リリアルガルド国の拠点へと戻され、治療処置も終わっていた。あちらにはかつて魔王と呼ばれるような魔術の天才もいる。だからこそ、心配をしていなかった。

 だが、連絡を聞いた彼女の容体はもっと別のものであり、それが周囲の不安をあおるものであったが故に、今は額に汗を浮かべながらギルド『月のゆりかご』の拠点である狭い一軒家の扉を勢いよく開くことになった。


 「————————アリッサは今どこッ!?」


 扉を開けて、開口一番にユリアは叫ぶ。それに反応して、既に中にいたパラドイン・オータムとエニュマエル・アーストライアがユリアの方を見て静かに会話を続けた。


 「今は魔術で眠らせている。だからユリア、少し落ち着け」

 「落ち着けるわけがないでしょう、お兄様!」

 「叫んだところで状況が好転することはない。今は、冷静になるときだと思うが、どうだ? 元聖女————————」

 「は? だいたい、お前がきちんと見てなかったからこうなったんでしょ」

 「それは……」

 「聞いた話によれば、お前の国の問題に巻き込まれてこうなったらしいじゃない。それを何? 上から目線で、ベラベラと————————」

 「————————ユリアッ!」


 エニュマエル・アーストライア……つまりは、アスティに詰めるより、胸倉をつかみかかる勢いで睨みつけたユリアを、パラドは声を張り上げて制した。


 「その件については既に、俺の方から伝えた。お前が怒る気持ちもわかるが、今は抑えろ……」

 「————————っ……」


 ユリアは唇が赤くなるほど強く噛みしめて、抑え込み、そして目線を逸らしながら、わざと肩をぶつけるようにして二階の個室へと続く階段に上がっていく。

 そして、怒りを鎮めるために深呼吸をしつつ、扉の前でノックし、アリッサの部屋の扉を開いた。


 「————————いやぁあああああああッ!」


 扉を開けて、ユリアの顔に飛び込んで来たのは、小さな置時計。ユリアはそれを腕で防ぎつつ、アリッサの様子を伺う。そこには肌が荒れ、髪の手入れがされていない彼女がいた。部屋は荒れ放題であり、アリッサが上半身を起こしてこちらを見ているベッド以外は見る影もない。


 「やめて! 来ないで————————ッ!!」


 アリッサは自分の頬を掻きむしるように爪を立て始め、顔に血が付き始める。ユリアはそれに気が付いて、それを止めようと走り出し、手首をつかんだ。

 その瞬間、アリッサの体がビクリッと痙攣し、ユリアを振り払うように腕を振るう。その瞬間、ユリアの体は軽く吹き飛び、本棚へと叩きつけられた。


 「痛いいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいたいいたい————————ッ!」


 まるで、自分の手首を確かめるかのように、なんども何度も腕を振るい、その度に何かが壊れる。それは、ユリアが傍にいることすら認識しておらず、見えない何かをみているようであった。


 「やめてやめてやめて!! 知らないの! 私は何も知らないの! だから————————ッ!!」

 「アリッサ————————ッ!!」


 頭を掻きむしり、錯乱しながら何かを叫ぶアリッサの声を聞きつけて、先ほどまで下で話していたパラドが転がり込んでくる。

 そして、パラドは何のためらいもなく、アリッサに魔術杖を向け、闇属性の魔術を使用する。黒紫色の光がほとばしった直後、空気が弾けるような音が聞こえ、その直後に、アリッサは糸の切れた人形のようにベッドに横たわった。


 パラドは切らした息を整えつつ、静かにアリッサの元に近づき、そして眠っている彼女の体勢を整える。その上で、回復魔術を使用して、傷ついた部分を癒し、布団をかけ直した。

 ユリアはその一連の流れを、もたれかかった本棚の傍で、見ていることしか、できなかった……。


 全てを終えたパラドは拳を握り締めて悔しそうにしながらも、背を向け、未だに座り込んでいるユリアに手を伸ばした。

 ユリアはそれを取り、ゆっくりと立ち上がると、アリッサの眠るベッドの方へと近づいていき、彼女の寝顔をのぞき込んだ。アリッサは先ほどとは打って変わり、健やかで正常な寝息をたてながら、静かに眠っていた。

 時折、うめき声のようなものを上げているのだが、暴れる様子などはなかった。それらを一つ一つ確認し、現状を把握していると、後ろからパラドの声が聞こえてくる。


 「これが、今のアリッサの現状だ……」

 「何があったのですか……まさか、アレをつかったわけじゃないですよね、お兄様」

 「その話についてはオレから伝えさせてもらう」


 ユリアとパラドの会話に割って入るように、入り口の壁にもたれ掛かったアスティが声を上げる。二人はその声に反応し、そちらの方を振り向きながら続きを促した。


 「アレについては、確かに使用した。それも、厄災と呼ぶレベルのことを起こしながらな……」

 「いつかはこうなると思ってはいたけど、まさかこのタイミング……」

 「それよりも、パラドイン・オータム。そろそろ、アレについて話してはくれないか? この娘が来てから話すと言っていたではないか……」

 「わかっている……順を追って話していこう……」


 パラドは一度、苦虫をかみつぶしたような表情をした後、心を落ち着かせるために深呼吸をして、会話を続ける。


 「結論から言えば、アレはアリッサの“起源”だ……」

 「ちょっとまって、アリッサの起源魔術は……」

 「そうさ……でも、そこの魔王さんなら気が付いている通り、転生前の起源と今の体での起源を両方持つとしたらどうだ?」

 「それは……」

 「前例がない……。なんせ、レベル100に到達すること自体が異例であり、1%にも満たないイレギュラー。だからこそ、二つも扱えるなんざ、俺も考えてすらいなかった……数年前まではな……」

 「では、お兄様は……」

 「あぁ、二つあるとも……。今のこの体と、どうしようもなく酷い人生を歩んだやつのものが……」

 「ちょっとまってください。そうしたら、お兄様はいつから……」

 「———————すまん……」


 パラドは申し訳なさそうに、ユリアから目線を逸らす。それは、兄であると思っていたパラドが全くの別人であったという事実を認める裏返しでもあった。

 ユリアはそのことに気が付き、息を吸い込むと同時にパラドに向けて怨嗟にも似た何かを叫び出そうとしたのだが、寝ているアリッサの顔が視界に入り、寸でのところで抑え込んだ。


 「その話はいずれ、決着を付けましょう。今は、アリッサについてです」

 「同感だ。兄妹喧嘩ならよそでやれ」

 「わかってる……。今は、アリッサの二つ目の起源である“暴走”についてだ」


 パラドが言葉を続けたことで、一同は再び、得も言われぬような猜疑心を喉の奥に押し込めることになる。

 その結果、しばしの沈黙が訪れることになるのだが、パラドはそれを同意と見なし、説明を始めた。


 「俺が最初にこいつを見たときにわかった起源魔術……。流石に他者に対しては使えないようだが、それ以外の魔石なんかは……」


 そういいながらパラドは落ちていた壊れた置時計を手に取り、腕力で握りつぶす。すると、レベルによる補正がある腕力に握りつぶされた小さな置時計は粉々に砕け散り、床に破片をばらまきながら動かなくなった。


 「ちょっと力を込めただけでドカンッ、と行くわけだな」

 「でも、それだけなら、彼女があのような状態に理由にはならないはずです」

 「そうさ……でも、それが本人にまで及んだ時、どうなるのか……」

 「成る程……それで、あの魔力量。そして、アレを使った後の引き裂かれた魔術回路と体というわけか……」

 「あぁ……。リミッターを意図もたやすく破壊できるのは何も肉体だけじゃねぇ。脳をオーバークロックさせ、魔術回路を強引に拡張させる……。軽いモノなら、怪我する程度で済むが、そうはいかない場合も多々ある」


 ユリアはアリッサの魔術について思い出す。確かに、アリッサの一つ一つの魔術は見たことのないモノばかりであったのだが、それは細かい制御の中で成り立つような繊細なものは一切なかった。むしろ、一つ一つが大雑把であり、かなりの許容差があるものばかりだったことを思い出す。


 「そういうことか……。アイツの魔術はどうにも優美さに欠けると思ったら……」

 「あぁ、回路制御ができねぇんだよ、コイツは……。だから、発動させる際に、バカみたいに魔力通して体内魔力を食い潰したり、精密射撃のセンスの欠片もない打ち方をしたりする。要するに、コイツの魔術発動出力はダイヤル式じゃなくて、スイッチ式だ」

 「0か100しかないってことですか?」

 「それよりはマシだな。だが、いいところで弱、中、強ってところだ。それもそれぞれの振れ幅がまちまち過ぎる」

 「無駄な浪費が多いということは、コイツ……どうやって生きてきたというのだ……」


 アスティの冷静な疑問に対し、パラドは頭をかきむしりつつ、答える。


 「偶然の産物だろうな。減った分の魔力を補おうと回復を続けるあまり、多少の振れ幅をものともしない魔力量になった……としか考えられない」

 「じゃあ、アレを使ったときのアリッサの状態は……」

 「そうさ、スイッチを右一杯に切ってから、もう一度、それ以上に捻りまわすような限界を超えた“暴走”だ。こうなったら、なにかきっかけがなければ元に戻らないし、そもそも、“暴走状態そう”なるためにもきっかけが必要だ」


 パラドは睨みつけるようにアスティを見る。それにつられてユリアの視界もアスティの方へと移ったことで、彼は観念したようにため息を吐きながら二人の疑問に答えた。


 「あぁ、厄災と呼べるレベルの破壊活動をする前……アリッサは尋問を受けていた」

 「言葉には気を付けてください。それとも、魔族流の尋問では精神が壊れるのですか?」

 「わかっている……。だからあれは尋問ではなく、拷問に近かったのだろうな」

 「近かった? なぜ誤魔化す」

 「ふん、残念なことにオレは現場を見ていない。だから傷痕からそう推測しただけだ。だから、不確かな情報を伝えないために……」

 「不確かって……どう見ても事実でしょ。お前の国の連中が、アリッサを傷つけたのは……。厄災だって、龍の尻尾を踏みつけたから、そうなったんじゃないの?」

 「それは……」

 「ユリア———————。そこまでだ……」

 「いいえ止めません。あたしの友達を傷つけたのなら、お前は————————」

 「わかっている————————ッ!!」


 ユリアの追及は、張り上げたアスティの唐突な声でより、遮られる。アスティは扉を背中にして立ち上がらも、悔しそうに拳を握り締めていた。


 「こうなったのはオレのせいでもある……。単なる尋問ならば、こうはならないと……オレに立ち向かったコイツならば、必ず無事であると……。そうさ……その勘違いがこうなった……。オレは……あいつを……最優先で助けるべきだった……。国のことすら考えず、何よりも先に助けるべきだったんだ……」


 打ちひしがれるような声に、ユリアは言いかけていた言葉を腹の中に再び押し込め、アスティを追及することを止めた。

 それを横目で見ながらパラドは再び口火を切る。


 「それで……アリッサを拷問した奴はどうなった? まさか逃がしたとかいうんじゃねぇだろうな」

 「それは……」

 「おい、冗談だろ?」

 「いや違う……逃がしてはいない……だが、全身焼けただれていて、損壊が酷く、蘇生しても息を吹き返さなかっただけだ」

 「時間の問題か?」

 「その通りだ。瓦礫の中から見つけたときにはもう、息絶えていた。写真で確認するか?」


 アスティは用意していたかのように胸元のポケットから写真を数枚取り出し二人に見せようとする。だが、それよりも先に、ユリアが光属性魔術の光弾を作り出し、写真を弾き飛ばしてアスティに手放させ、宙をまわせた。

 写真は空気抵抗を受けながら回転し、そして一枚一枚がバラバラになりながら床へと落ちていく。

 アスティが驚いてユリアの方を見ると、ユリアはいつもの穏やかな表情を歪め、明らかな殺意を露わにしていた。


 「そいつが死んだのなら、それを指示した人物は?」

 「つい先日、公開処刑した。同じように拷問した後に綺麗に戻し、処刑した後、すりつぶして豚のエサにした。これで文句はないだろう」

 「元魔王……さすがにそれは……引く……」

 「ふん。そこまでしなければ、オレの気が済まなかっただけだ。アイツの無念を晴らすつもりではない」

 「いや、そうじゃなくて……というか、なにその……え?」


 ユリアが困惑しながらアスティと会話しているとき、パラドは静かに落ちた写真を一枚手に取った。何の変哲もない女性の死体が映っているのだが、それを見た瞬間に、明らかにパラドの顔が歪んだ。


 「ちょっと待て……本当にこいつがやったんだよな?」

 「あぁ? 何を言っている。実際、そいつが牢の方へと向かっていったという証言も取れている。間違いない————————」

 「そうかい……。あぁくそ……最悪だ……」

 「おに……パラドイン・オータム。なにがどうしたのです?」


 呼称を改めたユリアのことを気にも留めず、パラドは見たくない事実から逃げるように額に手を当てて、視界を遮る。しかし、他から見れば、手の隙間から睨みつけるように鋭い瞳が垣間見えたため、彼が見せたことのない復讐者としての一面を隠そうとしているようにしか見えなかった。


 「あぁ…そうか……残念だが、首謀者はまだ死んじゃいねぇな……」

 「どういうことだ?」

 「この写真の女……俺の腐れ縁のクソ野郎を慕っているやつだ」

 「おい、そいつは誰だ……今すぐ殺してきてやる」

 「焦るな。それこそ、あの野郎の思うツボだ。ルイス・ネセラウスという男は、俺以上に知略を巡らせる……。だから、躍起になるのは逆効果だ」

 「ネセラウス伯爵……あぁ、そういうことですね。ならば、こちらとしても準備しなければ……」

 「ふん。どこの誰だか知らんが、叩き潰してやろうではないか」


 怒りをあらわにしながら、自分の拳どうしをわざとらしく叩きつけているアスティを見て、パラドは深いため息をつきつつ、真正面に捉える。


 「お前はまず、国の問題を何とかしろ。今のアストラル王国が崩壊すれば、また世界情勢が崩れてより大きな戦禍に見舞われかねない」

 「だが、それではアリッサのやつが……」

 「それをアリッサが望んでいると思ってんのか? 普段のアイツなら、背中を叩いて送り出すんじゃないのか?」

 「それは……だが……」

 「こっちの問題はこっちで何とかする。だから、お前はお前にしかできないことをするんだ。アリッサをお前のお家事情に巻き込んだことを悔やんでいるのならなおさらな」


 アスティは少しだけ怒りを覚えつつも、パラドの言葉を飲み込むようにして頷き、奥歯を噛みしめるようにして鳴らした。

 それを冷ややかな目で見ながら、ユリアは二人を無視して背を向け、ベッドの縁に膝をつき、眠り続けているアリッサの手を取った。


 「あたしたちは、あたしたちの自己満足の為に敵を討つ……でも、それを成したからといってアリッサが戻ってくるわけじゃない……」

 「わかっている……でも、こうでもしないことには、皆、気が収まらない……もちろん、俺も含めてな。だからこそ、一番の問題は、どうやってアリッサを元に戻すか……」

 「ならば、いっそのこと、拷問の記憶を消すのはどうだ?」

 「やめておいた方がいいと思うけど? 取り戻したときに、もう一度消すのは、人格崩壊を招きかねない。今行っている、対症療法としての睡眠も、いつまで彼女が生きられるかもわからない……。錯乱状態だから魔術もレジストされにくいし、アレを使って弱体化しているから、暴れても対処できる……」

 「時間との勝負だな……。クソ……俺にはどうすることもできない……」


 ユリアは悔しそうにするパラドの横顔を目線だけでずらして確認しつつ、もう一度静かな寝息を立てているアリッサを見つめ直す。



 その瞬間、ユリアの頭の中に一つの記憶がフラッシュバックした———————



 それは、繋がるはずのない点と点を繋ぎ合わせるがごとく、一つ一つの関係ないような事象たちを結んでいく。

 

 元勇者であるクライム・ブリューナスの言葉……

 彼女に初めて会った時の場所……

 先ほどの会話……

 それらは目をそらし続けてきた彼女の妄想を、真実へと変え始めていた。


 ユリアは気が付いた事実に唇を震わせつつ、同時にほんのわずかな希望を見出し、静かに……そして声を凛として張り詰めながら、アリッサから一度手を離して立ち上がる。


 「一つだけ……方法があります——————」


 限られた刹那を生き続ける転生聖女はそう、口火を切った。

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