第5話 レジスタンス湾岸闘争


 とある工場区画の一室。そこで10代から20代前後の男が一人。誰かのものであろうクッション性がいい椅子に腰かけていた。両足を机の上に置いたその男の肉付きはよく、黒一色に身を包んだ上に仮面をつけているせいで、大まかな顔つきはわからない。しかしながら、金色の髪から覗かせている尖った耳は、彼が魔族または亜人族であることを表していた。


 その男の視線の先……そこにいたのは、透き通るように癖のない白髪に、真っ赤に染まった瞳をもつ白装束の少女。衣服と同程度の色白の肌はもはや何らかの遺伝なのだろう。そして、その少女の方には小柄な体格に似つかわしくないほどの月明りを全て吸収するかのような漆黒の大鎌があった。


 それは王女暗殺未遂の時に王城にいた少女であり、名前はレムナントと呼ばれていた存在である。レムナントは既に日が落ちて、灯りが差し込みにくい室内で、静かに用意された紅茶を口にし、一息をつく。


 「それで……きちんと準備は整っているんデスよね?」

 「たりめぇだろうよ。オレを誰だと思ってやがんだ……」

 「それはよかったデス。そうでなければ、あなたの首を刎ねることになりマスから……」

 「おぉこわ……。だが、こんなことでよかったのか? 人質取って、不法占拠して……挙句の果てにアストラル王国側に助けを求める……あまりにも簡単すぎる……」

 「そうデスね……。ここの住民の民意がほんの少しだけ魔族側に向いているだけで可能なことデス。自国民同士を争わせ、疲弊させるのが目的デスから、この時点で9割は目標達成といったところデショウ」

 「そうすれば、東側のアンタらも攻めやすくなるってことか……。だが、下手をすりゃ、リーゼルフォンドが介入してくる可能性があるように見えるが?」

 「問題ありません。あそこは今、内戦と伝染病で大忙しデスから……」


 男は机の上に乗せていた足を組み替え、少しだけ寂しそうな目でレムナントを凝視した。


 「それで、次はどうすればいい……」

 「どうするもこうするも、この後はあなたたちの希望通りデス。国を設立し、支援を受け、未だに中央でのさばり続けているブリューナスという膿を排除する手伝いをするのデス」

 「ふん……。たしかにまぁ……。あいつらが種族間の対話の象徴として君臨する限り、世界は何ら変わらない……か……」

 「わかっているのなら、変な気は起こさないでくだサイ。あなたが喧嘩っ早いことは知っていますが、くれぐれも数年前のような失敗は起こさないようにお願いしマス」

 「あぁ、わかっているよ。あの時はついつい興が乗っちまったことに後悔したさ。だがまぁ……テメェもわかっての通り、今の俺はあの時のようなひよっこじゃあねぇ……」


 男は黒いグローブに包まれた自身の右手を握り締め、力の具合を確かめる。


 「この『暴食』のおかげで、このオレは誰にも負けない最強の存在になった」

 「……油断なきようにお願いしマス」


 その言葉を最後に、レムナントはティーカップをテーブルの上に置く。その瞬間、彼女の体は赤い花びらとなって砕け散り、残されたのは椅子の上を静かに舞う僅かな花びらだけであった。

 その光景を見ていた男は、机の上に乗せていた両脚をゆっくりと降ろし、ポケットに手を入れたまま、窓の方へ歩きだした。そして、煙の止まった静かな工場地区の様子を眺めて、口角を上げるのであった。



 ◆◆◆◆




 同日————————



 パラドイン・オータムという男は、妹であるユリアからの連絡を受け、ブリューナス王国軍の駐屯地に来ていた。だが、そこは駐屯地というよりはむしろ、野戦による駐留地に近く、想定よりも戦線がおかしなことになっていることを物語っているように見える。

 それは、一緒に飛んできたミセス・ヴェラルクス伯爵令嬢も同じように感じており、森の中に建てられた簡素なテントはまさに、後退に次ぐ後退を示していた。


 二人は、周囲の状況の暗さに目を配りつつも、指令本部と思しき施設へと足を踏み入れる。泥で湿った地面を踏みしめながら、テントの布を手で払いのけながら中に入ると、何人かの老人将校と共に、制服を身にまとったユリア・オータム。そして、色白の中年の男性……つまりは、ダルテン・ヴェラルクス伯爵が椅子に座り、二人の到着を待っているようであった。


 ユリアはパラドが中に入るなり、即座に自分の席を譲り、彼を座らせ、話を聞く姿勢を促す。ミセスは同じように、父親であるダルテンの後ろに立つ形で様子をうかがっていた。

 そんな中、誰もが口を割らないような状況ではあるのだが、ユリアは後ろからパラドに資料を渡し、耳打ちする形で状況を説明してくれる。


 「お兄様がご存知の通り、一週間前に北部工業地帯で一部のゲリラが蜂起し、これを同地区の駐屯地の王国軍が鎮圧を敢行するも、失敗。現在は、駐屯地を占領され、戦線が数十キロほど押し戻された状態にあります」

 「我々は負けていない! 奴らが卑怯にも、国際法に抵触する方法を————————」


 老人将校が何かを言いかけた段階で、パラドは生来の鋭い目つきで彼を睨みつけ、しゃべるのを止めさせる。同時にユリアに指示を飛ばし、続きを促した。


 「王国軍は2回の奪還作戦を敢行するも、全て失敗。未だに占領地区はゲリラの支配下にあります。そちらが、現状の王国軍戦力になります」

 「これは……酷いな……。負傷兵に加え、物資もまともに充足していない……。それで、最後に頼ったのが、我々のような国境線を護る伯爵家か……」

 「やれやれ……我々とて、仮想敵国の対処に忙しいというのに……。ここを管理しているのはポスナーゼン公爵家でしたかな……。流石に東と西の両方を護るというのは些か無理が過ぎたというモノですかな」


 パラドの文句のような小言に反応し、ヴェラルクス伯爵も被せるように現場将校を追撃する。すると、現場将校の頭に青筋がわずかに見え始め、握っていた作戦書の紙の束にシワができていった。


 「ふーむ……。ここに記された作戦……これを発案したのはユリアか?」

 「お兄様……流石に私でもそこまで稚拙な作戦は組みません。きっと、どこかの義勇兵が書いたものが紛れてしまったのでしょう」

 「貴様ら……私は————————」

 「私を素人だと決めつけて、あまりに酷い作戦書を押し付けられそうになったため、専門家たるお兄様をお呼びした次第です。お忙しところ申し訳ありません」

 「そうか、それは不快な思いをさせてすまないな……。この作戦については……後で焚火にでも使うとしよう。美味しい芋が焼けそうだ」

 「あら? この駐屯地にそのような“高級品”なんてあるのでしょうか、お兄様」

 「黙って聞いていればベラベラとこちらの悪口を……そんなに嫌なら出て行けばいいだろう!」


 あまりにしゃべり過ぎたせいか、老人将校が目を充血させたまま立ち上がり、パラドを指さして唾をまき散らす。対し、パラドは冷ややかな瞳を崩さないまま、既に冷え切っていたコーヒーの液面を揺らしながら苦笑いを浮かべてみせる。


 「それは、ブリューナス王国軍の総意と受け取ってよろしいですかな?」

 「あぁ、その通りだ! 貴様のような団結力のない将校など不要だ! 出ていくがいい!」


 その言葉を聞いて、パラドは置かれていたコーヒーを一気に飲み干して、カップをテーブルに叩きつけるようにおいて立ち上がった。


 「そうですか。では、これで失礼する……。後のことは任せるぞ、ユリア」

 「フン! 辺境の田舎貴族風情が……貴様らは物資と兵だけをよこせばいいものを……。だいたい、数年前、お前がネセラウス伯爵を告発しなければこんなことにはならなかったというのに……」


 パラドは相手の小言に耳を傾けずに静かに立ち上がり、ユリアとアイコンタクトを交わしてテントの外に出ていく。残された面々は先ほどにも増して険悪なムードに口を閉ざしてしまいそうになっていた。

 だが、今度はテントを出ていったパラドではなく、対面に座っていたダルテン・ヴェラルクス伯爵が騒ぎ立てていた老人将校を睨みつけた。


 「先ほどの発言……流石に我々、ヴェラルクス伯爵家も容認できませんな」

 「な、なにを……」

 「物資と兵だけよこせばいいなどと、傲慢にもほどがある……。我々は、あなたのような人物に預ける民の血税も兵士もないと言っているのです」

 「えぇ、我らがオータム家も同意見です。しかし、困ったことに、この私は大規模な連合軍を預かった経験が不足しております。だれか他の人に指揮を執ってもらいたいですが……ほかに適任者はいらっしゃるのでしょうか……」

 「黙って聞いていれば貴様ら……。無礼者として打ち首にしてくれる……」

 「ならば、あなたなら、この状況を最小限の犠牲で覆し、ハゲタカのように寄ってくるメディアの目をかいくぐり、即座に解決できるのですかな?」

 「できるさ! この私を誰だと……」

 「そうですか、ならば……先ほどの発言に謝罪を……」

 「兵を貸さぬというのか!」

 「えぇ、兵一人たりとも、そして水の一滴たりとも渡すつもりはありません。現状のまま、先ほどの条件を達成してくださいな。対処もできず、謝罪もできないというのであれば、今すぐ、この場を去り、自領に帰国したらどうですかな?」

 「ぐぬぬ……。覚えておれよ、貴様ら! 不敬罪で打ち首にしてやる!」

 「えぇ……お待ちしてますとも……。もっとも、ただ、公爵閣下から現場をまかされただけのあなたにどうにかできるとは思っていませんが……」


 ヴェラルクス伯爵の言葉を聞き届けたのか、そうでないのかは不明だが、それを最後に、頭を茹でたタコのように赤くした老人将校は鼻息を荒くしたままテントを後にしていった。その光景を終始見ていたユリアは思わず、鼻で笑ってしまい、静かにヴェラルクス伯爵に頭を下げた。


 「これは……オータム伯爵令息に……失礼、今はオータム伯爵でしたな……。彼に嫌な役回りを押し付けてしまった」

 「現場がそれでまわるというのならば、それで構いません。我々両軍の最高指揮権をあなたに移すためですから……」

 「その話だが、こちらも若き精鋭に任せたいと思ってな……。ミセスよ、やってはくれないか」


 ダルテン・ヴェラルクス伯爵は後ろに立っていたミセスの背中を押すようにしてユリアの前に出す。だが、そんな状況とは対照的に、ミセスはため息交じりに首を横に振った。


 「いやです、お父様。わたくしは群れるのが嫌いなのですわ」

 「——————な……。折角の武勇を上げる機会なのだぞ」

 「そんなもの、あと数年もしないうちに価値のないモノになりますわ。それよりも、もっと大切なものがございます、オホホ……」

 「これは……フラれてしまいましたね」

 「いやはや、お見苦しいところを……」

 「いえいえ、構いませんよ。それよりも、今後についてです。指揮権については、最初の提案通りで行うとして、問題はこの後の作戦について……つまりは現状の打破についてです」

 「ふむ……できるだけのことはやってみるが……情報が少なすぎるな……。この程度の薄っぺらな報告書だけでは現状の判断をしかねる」

 「でしたら、わたくしに任せてはいただけませんか、お父様」

 「ふむ……ならば、そちらは我が娘に任せるとしよう。あとは……」


 その言葉に続き、ダルテン・ヴェラルクス伯爵は現状を立て直すべく、状況を解決すべく、細かく指示を決めていく。それらを退屈に思ったのか、ミセスはユリアと共に会談を進める父親に一言だけ告げて、テントの外へと出ていくのであった。



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