第11話 その先に踏み出す勇気Ⅲ

 いつもの通り、朝早く、自室を出て、階段を下りる。今日のクエストは何だったかと、思考を巡らせつつ、一段一段、重い足を動かしていく。最近は、寝不足のせいなのか、一つのものが重なって見えることが多くなり、普段使いでメガネをかけるようになったことを落胆しつつ、フローラは入り口の酒場の方へと足を延ばす。

 いつも通りであれば、誰もおらず、閉め切っているため、僅かに埃の被った暗い店内が見えてくる……そのはずだった。

 だが、小綺麗に掃除され、テーブルの上に上げられていたイスが全て降ろされ、物音が聞こえてきたため、盗人の類が入ってきたのはないかと心配して、警戒をする。しかし、その原因が、料理の下ごしらえをしている父親の姿とだとわかり、フローラは驚愕して、生まれつきのローズレッド目を見開くこととなる。


 「お父……さん?」

 「あぁ、フローラか……。これから出かけるのかい?」

 「え、あ、うん……」

 「なら、朝食でもどうだい?」

 「大丈夫……お腹は空いてないから……。それより、お父さん。私やお母さんだけじゃそんなに食べきれないよ?」

 「うん? あぁ、今日はお店を開けるからね……。私たちだけの分じゃあないんだ」

 「そう、空けるんだね……」


 今までの父親の諦めたような態度を知っているフローラは、またいつものように働く父親が見られて嬉しかったことが半面、自らは見捨てられたのではないかという不安に駆られる。そして、いつもの癖であるのか、俯いて逃げ出すように入り口の方へと走り出してしまう。

 父親の制止する声など聞こえはしない—————



 だが、唐突に入り口のドアが開けば、走り出す彼女も止まらざる負えなくなる。フローラは、開け放たれるドアから身を捻るようにして、脇へと避け、入店してくる客へと一礼するために頭を下げる。


 「すみません—————」

 「お客さん。まだ、営業時間外だよ。外の立て札が見えなかったのかい?」


 フローラは頭を下げていたため、誰が来たのかをわからなかった。声質からして女性のように思えたため、恐る恐る顔を上げてみると、そこには見たことのある人物がいた。

 昨日の大雨が嘘のように晴れた空から差し込む朝日を吸収するような、僅かに青みがかった黒……鴉の翼のように艶のある濡羽色の癖が全くない水を帯びたような髪質。そんな艶やかな髪は腰まで伸び、もみあげは頭の少し後ろで淡紅色と唐紅色を基調としたモダンな柄のリボンで結ばれている。横顔から見える凛とした骨格に、黄色をわずかに帯びた健康的な肌、少しだけ釣り目である瞳は髪と同じように光を反射していないように見えるのに透き通っている。ポーチを備えた腰と腹にかかる二重のベルトの下には灰色のノースリーブのシャツに、シアンカラーの厚手のダウンコート。セントラルの制服のスカートと同じような材質であろう紺色のプリッツスカートの下は、太腿の中間まで伸びる黒のハイソックス。そして、僅かに底上げされたひざ下までの紺色のハイカットブーツ。いつものセントラルでの制服とは違い、派手に着飾らない性能重視の服装を見れば、彼女が冒険者としてここにいることが誰にでもわかる。

 フローラは彼女の名前を知っている。何故なら、1ヵ月ほど前はアリッサを通してルームメイトとして何度も会話をしていたからである。フローラを横目で一瞬だけ見つつ、フローラの進路をふさぐように立つ彼女はキサラという人間である。


 「いえ、客としてではありません。アリッサに呼ばれてここに来たのですが、彼女はまだ寝ているのですか?」

 「アリッサ……あぁ、彼女のことかい? 今朝はまだ—————」


 フローラの父親が何かを言いかけたところで、木製の階段を鳴らして誰かが降りてくる足音が聞こえてくる。その音に、フローラの父親は言葉止めて、キサラに微笑む。

 それから、数秒と経たずに、薄桃色のぱっちりとした瞳を輝かせ、癖のあまりないセミロングの茶髪を歩くことで揺らしながら、アリッサがフローラの前に顔をのぞかせる。

 昨日見たときと同じように、ショルダーベルト付きの白いシャツの上に、カーキ色のモッズコートを羽織り、ネイビーのハーフパンツの後ろには、ナイフとポーチが備え付けられている。足元には、膝部分にプロテクターのついたダークブルーの膝上ブーツ。聞いた話によると、足裏とつま先には鉄板が入っているらしい。

 そんなアリッサはいつも学校で話すように陽気な口調で、笑いながら歩いてくる。


 「ひどいなー、まったく……。寝坊なんてしてないよ、キサラさん」

 「何を言っているのですか。あなたはいつもギリギリにしか起きてこないじゃないですか」

 「キサラさんが起こしてくれれば、もう少し早く起きるよ?」

 「それで起きたことはあったでしょうか……」

 「あれ? なかったっけ?」

 「ないですね……一度も——————。それより、アリッサ、他にはいるのですか?」

 「ごめんね……声をかけた人はいたんだけど、家庭の事情とか、色々あるらしくてね」


 アリッサはもう一人、信頼できる人物としてユリアに声をかけていたのだが、彼女はあの荒々しい性格でも一応は王太子妃であるため、都合がつかなかった。だが、キサラは、事情を説明すると、ふた返事了承してくれていた。

 だが、そんなことはつゆ知らず、フローラは関係ないことだとキサラの脇を通り抜けて外に出ようとするが、キサラが片手を上げてそれを制する。


 「あの……どういうおつもりですか?」

 「あー……えーっと……。フローラ……一緒に依頼を受けない?」

 「本当にそれだけですか——————」


 フローラの睨むような視線に、アリッサはわざとらしく微笑んだ。嘘をつくのが得意ではないアリッサにとってのせめてもの反抗に近い。それを見れば、父親の言動も、キサラの言動もおおよそ彼女が行ったものだと予測がつく。


 「呆れました。アリッサ……ここまでしてくれたことにお礼は言います。ですが、その提案はお断りいたします」

 「うん……そうだよね。だから、あなたの口から聞させてほしい。正直に言って、私の考えだけじゃ、フローラの気持ちはわからないから」

 「回答になっていません。私はお断りすると言ったはずです、それ以上はありません」

 「だからさ……あなたが、悩んでることも知ってる。その上でおねがいしてるんだ」


 フローラは、何となく、アリッサの言っている意味が理解できてきた。アリッサはまだ、フローラ自身の意思がどこにあるのかを探っている。故に、『助けてほしい』と言ってくれることを願っている。彼女らしい考えだとフローラは口元が緩んだが、唇を噛んで即座に顔を整える。言葉を伝えるのは簡単だが、もし、その提案を受けてしまえば、アリッサたちを巻き込むことになることを理解しているからだ。

 フローラに差し出せるものなど何もなく、返し切れない恩を彼女たちに預けてしまうことになってしまう。そんなことをすれば、元のような関係には戻れないし、それを甘んじて受けられるほど、フローラは図々しくはなかった。

 つまり、フローラは、アリッサたちを大事に思っているからこそ『利用したくない』のである。だからこそ、アリッサの提案に対して首を横に大きく振る。


 「交渉の余地などありません。そこをどいていただけますか」

 「じゃあ、いいよ。何も言わなくていいから、一緒に冒険をしよう!」

 「な——————ッ!!」


 あまりの突拍子もない回答にフローラは驚き、再びアリッサの方を振り向いてしまう。アリッサは変わらずに理路整然としていて、ウソを付いているようには見えない。


 「パーティを組んで、クエストをこなす。今からやるのはシルバーランクだし、ブロンズのものよりはいい報酬が出るよ」

 「……あなたは——————」


 フローラは言いかけた言葉を怒りと共に抑え込み、声を震わせる。対し、アリッサは陽気に、踊るように入り口にいるキサラへと歩いていく。


 「報酬はどうしよっか、キサラさん」

 「まったく……。わたしとしては、アリッサの好き分配で構わないません。どのみち、わたしはレベルを上げたいだけですから—————」

 「じゃあ、決まりだね—————」

 「ふざけないでください—————ッ!!」


 堪えきれなくなって大声を出してから、フローラは我に返って、自分の口を押える。その行為に、数秒の静寂が部屋の中に流れる。それを突き破ったのは、先ほどの陽気な表情とは打って変わって、真剣な表情でこちらを見つめるアリッサだった。


 「ふざけてないよ。どのみち、事情を聞いてしまった以上は、私は見て見ぬふりなんてできない。それをわかっていて、私は聞いた。キサラさんもわかった上で私から聞いた」

 「なら、尚更理解できるはずです。それなのにどうして関わろうと—————」

 「友達だからだよ、フローラ————。それ以上はない。でもね、だからこそ、私はあなたの意志に関係なく助けに行ってしまう。でも、それじゃダメなんだよ。それじゃあ、あなたの望む結果にはならない。そうしてしまったらそれは、『私が望む結果』であって『あなたの望む結果』じゃないんだよ。だから、私は最初に聞いた」

 「答えて何になるというんですか。あなたなら、私の考えなんてわかるでしょう。なら、結果なんて同じじゃないですか」

 「そうだね。たしかに、私はあなたが一人で全部抱えちゃって、家族にも話さないぐらいの強い子だって知ってる。なら、フローラ、あなたは私のことをわかる?」

 「それは—————」


 フローラは、言葉に詰まり、近づいてきたアリッサの顔をもう一度よく見る。そこでようやくあることに気づく。

 真剣な表情ではあるが、眉間にしわが寄り、奥歯を噛みしめ、両こぶしを強く握りしめて小刻みに震えている。たった一ヵ月の付き合いではあるが、自身の性格よりもアリッサの真っ直ぐな言動はわかりやすい。故に、これがフローラに対する怒りではなく、アリッサ自身の奥底へと向かっている『悔恨』であることが見て取れた。


 「アリッサ—————あなたは……」

 「うん……そうだよ……。私は……聖女にも、勇者にもなれない……正義の味方にも、神様にもなれない……。あなたを助けたいと思うのに、体が上手く動かせない天邪鬼なんだよ—————」


 震えるようなアリッサの声で、フローラはようやく気付かされる。アリッサは始めから『理由』を求めていた。友達だからという理由で勝手に踏み込んでこられるほど、無神経でもないため、胸の苦しさを抱えたまま、最後の一歩を踏み出すための『勇気りゆう』を求めている。

 踏み込めないのに、見捨てられるほど非情にもなれない。だからこそ、縋るように、フローラの服を掴んで離さない。助けたいはずなのに、こんな行動しか選べない自分の心の弱さに悔しくて仕方ない。

 そんな彼女の複雑な感情にフローラはようやく気が付いた—————




 なら、自身が意地を貼り続けることに何の意味があるのだろうか——————




 ふと、そんな疑問がフローラの頭の中を過る。意固地になっているのは両方で、どちらかが折れなければ、この喧嘩は続く。それを理解した瞬間に、フローラの心の糸が音を立てて切れた気がした。

 だが、それとは別に、噛みしめた唇からこれ以上の声が出なかった。フローラもまた勇気が出なかったからである。巻き込んでしまえば、不幸が彼女たちに降りかかってしまう。それを容易に想像できたが故に、震えるような唇から思うように声が出ない。歯を食いしばり、瞳に涙をためてなお、上手に喋れない。


 そんなとき、フローラの肩に誰かが手を置いた—————


 それは、アリッサに呼ばれてここに来たキサラの姿であった。恐らく彼女は、アリッサがこの状態であることをわかっていて、この件を了承している。そんな彼女が、フローラに対して、『大丈夫だ』と言っているような気がした。

 次に、もう片方の肩に誰かが触れていた。それは、今まで自分を育ててくれた父親だった。父親の後ろには、いつの間にか自身と同じ瞳の色を持つ母親の姿もある。皆、意固地になっているフローラ自身に勇気をくれているようにフローラは感じた。

 だからこそ、フローラはゆっくりと重い口を開き、一度だけ頷いて、キサラと両親の手を一度振り払う。


そして、改めて、挑みかかるように、堂々とフローラという少女は宣言した—————


 「今から、疑いようもなく、私利私欲のためだけにあなたたちを利用します—————」


 そして、後ろで三つ編みに編んだ珊瑚色の髪を揺らし、ローズレッドの瞳に雫を浮かべて微笑みながら、「—————だから」とフローラは言葉を続けた。


 「—————助けてください、アリッサ……そしてみなさん……」


 その言葉を聞いて、アリッサはそっとフローラの体に手を回し、自身の腫れたまぶたを隠すようにフローラの胸に飛び込んで、無言で動かなくなる。フローラは恥ずかしそうにしながらアリッサを振り払おうとするが、想像以上の力の為に上手く振り払えない。


 「ちょっと、アリッサ……」

 「助ける—————」

 「え? なんて言いましたか?」

 「絶対に助ける——————」


 それを聞いて、フローラは優しく微笑み、未だに顔を隠し続けるアリッサの頭を優しくなでる。


 「そうですね、絶対に助けてもらわなきゃ困ります。借金をきちんと返して、私も、この店も守ってください……」

 「わかった——————」


 そう言った後、あまりに長い間、引っ付いたままで離れようとしないアリッサに業を煮やして、キサラはため息をつきながら、アリッサの服の首根っこを掴んで、強引に引きはがす。すると、そこには少しだけまぶたが腫れたままのアリッサが恥ずかしそうに立っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る