第8話 闇夜に紛れる鮮血の帽子


 アリッサとユリアは、分厚い雲により覆い隠された空の元、夜の帳が落ちたダベル村旧街道を、光属性『トーチ』の明かりを頼りに、手入れのされていない無造作に伸びている雑草たちを手で払いながら進んでいく。

 目指すべきところは、最初に降りた駅にある馬小屋跡である。だが、星の光すら差し込んでこない暗黒の中は、当然のことながら、危険性は昼間の比ではない。さらに悪いことに、山から吹き下ろすような強風が吹きつけていることから、嵐が訪れるまでのリミットが短いことを如実に示している。

 それをわかっているため、二人は無理のないペースで歩を速めている。だがそれは、モンスターの痕跡を探りながら進めないため、強襲のリスクを上げることとなっている。

 それでも、幸いなことに低レベルのゴースト系モンスターなどにしか遭遇していないため、ユリアの光属性魔術で対処が済んでいる。だが、何度も戦闘をしている最中で二人は、ところどころの草むらに僅かな血痕が残されていることに気づく。血痕と言っても、大部分が既に雨風で流された後であるのか、葉などがほんのりと赤みを帯びている程度のものである。


 「ユリア……これって……」

 「だろうね……。ここ数日中のものではないけど、おそらくは村の失踪した人たちのものだっていうことぐらいはバカでもわかる」

 「やったのは、この小さな足跡の主?」


 アリッサがトーチの僅かな光に照らされた土に、わざとらしくつけられた人間のものよりも遥かに小さな子供のような足跡を指さす。まるでそれは、発見されることを前提としているような痕であり、わざと消していないようにも見える。


 「急いだほうがいいかもしれない。スケルトンやゾンビ系ではなく、ゴースト系が出てきたってことは、そういうことだから……」

 「そういうこと?」

 「死体がそこにないっていうこと……。持って帰って鑑賞してんのか、それとも食べているのかは知らないけど、ここにないから、思念体のみが汚染マナに影響されて、こんなことになってるっていう話—————」

 「あぁ、なるほど……。じゃあ、やっぱりこの足跡は……」

 「だろうね。ここを通る連中に『追跡して来たら殺す』もしくは『ここを通ったら殺す』っていう警告文。こんなことをできるのは、それなりの知能を持つ奴らだけ————」

 「小人の種族か、もしくはゴブリン……」

 「あいつらは知能が低いけど間抜けじゃあない。狡猾で浅ましい怪物なことは一度会えばだれにでもわかる……」

 「どうする? 引き返す?」

 「いや、もう遅い。引き返したところでその間に襲撃を受ける。だから、進むしかない」

 「わかった。ユリアは後方警戒を怠らないで……」

 「わかってる……」


 ユリアは、少しだけ笑いながら、腰のポーチからいつでも引き抜ける位置に短剣を装備し直す。逆に前方を確認しつつ、アリッサは短剣を抜刀状態のまま、逆手に構えて行軍を続ける。お互いに固唾を飲みながら、一定の速さで動き続けはするが、前述の通り、探索をしながら進む時間的余裕も、良好な視界もない。互いの存在意外は何も見えない暗黒だけが、二人を包み込み、嫌な汗だけがひたすらに流れ続けた。


 しかし、そんな二人は、運が良かったのか、特にこれといった襲撃もなく。それから1時間程度で出発した駅へと戻ってくることに成功する。だが、逆にその間に湿った空気は臨界に達したのか、木製の屋根が壊れると錯覚するぐらいの風と雨粒が何もかもを無差別に襲いだす。


 目的は、馬小屋に放置されている自動車—————


 午前中に見たときは、修理するための部品や道具がなかった。だが、ダベルズ村にてそれらの品を購入したことで、今現在は動くようにすることはできる。結果として失われたのは、本日討伐して換金したモンスターの素材たちだけであるため、意外にも安く上がったというのもまた事実であった。

 顔に泥と煤をつけながら車の下に潜って工具を動かしているのはユリアであるが、何故、その知識があるのかは、アリッサにはわからなかった。


「貴族ってやっぱり、ユリアみたいに車に関する知識とかあるの?」

「どうだろ……。あたしに関しちゃお父様が好きだったから偶然知ってただけだし……。でも、好きな人は貴族とか関係なしに好きだと思う。ま、こういうのに普通に手を出せるのは金持ちだけだけどさ」

 「それだけでよく、故障個所がわかったね……」

 「まぁ、エンジンとかだったら素人目じゃわからなかったけどさ。今回はシャフトが折れ曲がっていることは素人目でも一発でわかった。だって、タイヤが斜めってるし……」

 「あ、そっか……だから、これの持ち主もすぐに気づいたんだね……」

 「そういうこと……。アリッサ、車を持ち上げていてもらっていい?」

 「どうしてジャッキを買わなかった……」

 「お金がなかったの。察しろ……」

 「はいはい。やりますよー……っと」


 悪態をつけながらも、アリッサは『フィジカルアップ』の魔術を自分に付与し、ユリアが指示している右側後輪付近のフレームを掴み、地面を踏みしめる。全身に力を入れ、歯を食いしばることで、ほんの数センチだけ車体が浮く。先日持った大剣より遥かに重いが、持って振り回すわけではないため、問題はない。だが、やはり長く持っていることは難しい。

 そのため、車の下に潜りこんでいるユリアは手早く交換作業を済ませ始める。


 「ユリア……早くして……」

 「絶対に離さないでね。離したら、あたしの顔が茹で卵みたいに潰れるから……」

 「だったら、早くして……」

 「あと30秒……」

 「無理無理無理無理—————」

 「あと1分!」

 「増えてる増えてる————ッ!!」

 「もう少しだから頑張って!」

 「もう駄目……死ぬ……」

 「OK! 終わったよ!」


 その言葉を聞いた瞬間に、アリッサは勢いよく車体を地面におろす。この程度で壊れはしないが、重量物を地面に叩きつけた重低音は馬小屋の中を回析するように重なり合った。一瞬、ユリアが潰れてしまったのではないかと心配したが、それは下から這い出てきたユリアを見ることで杞憂だとすぐにわかる。


 「ぷー……。これでまともに動くはず……」

 「ちなみにカギは?」

 「必要ない。とある個所に魔力を込めれば、回路が起動してカギがなくても動く」

 「どこでそんな泥棒みたいなことを……」

 「お父様から、フィオレンツァでのバカンス旅行で習った」

 「……ちなみに、運転は?」

 「前述と同じ。まぁ、安心して」

 「そのどこに安心する要素があると思う?」

 「ないね。これっぽっちも—————」


 そう言いながら、ユリアがエンジン付近のフレームに手を触れると、宣言通りにエンジンが起動し、車体がわずかに振動を始める。どうやら魔導エンジンは本当に脆弱性を抱えているようである。


 「後ろの座席に乗って、アリッサ。あ、コートはちゃんと着てね」

 「もう何も言わないよ、ユリアには……」


 アリッサはため息を吐きながら、緑色の素材でできた撥水コートに袖を通す。ユリアも同じようにグリーンスライムの表皮から作られた撥水コートを着て、服の中に入ったスカイブルーの長い髪を手で払いながら取り出す。

 そして、自ら運転席に乗り込み、複雑なレバーをいくつかいじりながらヘッドライトを点灯させ、アクセルをゆっくりと踏み込む。

 その瞬間、前輪のエンジンからの回転がチェーンを伝い、後輪に前へと進む力を与えだす。そして後輪の車軸とタイヤが回転することでようやくゆっくりと進みだす。

 ユリアは無事にその動作が行われていることを確認し、車体を馬小屋の中でバックをさせながらターンさせ、出口に頭を向けると、今度は勢いよく踏み込む。

 すると、前部分につけられた魔導エンジンが唸りを上げ、先ほどの徐行とは打って変るような加速力が付く。そして、飛び出すようにして、一台の赤と黒に彩られた車は進みだした。



 ◆◆◆


 冷たい雨風がコートと車を激しく叩きつけているが、ぬかるんだ地面をモノともせずに一台の車は進み続けている。道は整備されていないため、たまに大きく車体が跳ね上がるが、この程度のことでは壊れない。どうやら、この車の持ち主は、相当に不運らしい。

 

 快調とは言えないが問題ない。そう誰もが認識したその時だった————


 前方の少し先に草むらから何かが急に飛び出てくる。アリッサは思わず驚いて目を見開いてしまったが、ユリアはそうではない。ブレーキを踏むことなく、むしろアクセルを踏み込み、同時に片手を前に突き出して、魔術を発動させる。


 直後、車を覆うように、光の布ような鎧がまとわりつく。これは、光属性魔術の『プロテクション』の一種であることは、アリッサの眼でもすぐに分かった。

 だが、通常のプロテクションは目の前に壁のような光の板を出す魔術であり、動き続ける車にまとわり続けるものではない。ましてや、布のように流動的に揺蕩っていることもない。

 しかし、その光の布は脆弱なわけではない。何故ならば、草むらから飛び出してきた何かを跳ね飛ばす際には、通常のプロテクションのように硬質化して、飛び掛かってきた何者かをはじき返したからである。

 はじき返された何者かは、コンマ数秒も経たないうちに、突き進む車のバンパー付近でもう一度光の布に激突し、車の真上を通り抜けながら、突き進む車の遥か後方へと跳ね飛ばされる。


 その瞬間、何故ユリアがアクセルを緩めなかったのかをアリッサは理解した。


 小人のような外見に緑色の肌。そして赤黒く染まった帽子のようなものを身に着けていることが分かったからである。手には武器のようなものはなかったが、草むらの方へ吹き飛んでいった何かで草木を切り裂くような音から、そちらの方へ飛んでいったことが後々でわかった。


 レッドキャップ————


 ゴブリンの一種であり、ゴブリンの中でも戦闘能力に秀でた種類の一種である。斧のような武器を持つ彼らは、とても素早く影のように動き、冒険者の首を刎ね飛ばすことで知られている。闇夜で外見がよく見えないため、正確なことはわからないが、おそらくレベルとしては40前後といったところだろう。

 唯一幸いなのが、ニードルベアーと違い、堅い表皮を持ち合わせていないことである。

 しかしながら、レッドキャップは往々にして一匹だけではない。それはゴブリンの群れるという習性を継承しているのもあるが、集団で確実に相手を死に至らしめるためでもある。故に、車を運転しているユリアは後方の茂みから追加で出てきている2匹のレッドキャップから逃げるように、安全運転を捨ててアクセルを踏み込む。


 「ユリア……あれって……」

 「わかっているなら戦闘態勢! アレは追い付いてくる!」


 ユリアの言葉を聞きつけ、アリッサは嵐の中を突き進む自動車に叩きつける風で撥水コートをはためかせながら、太腿のベルトに刺していた小さな杖を引き抜く。そして、後方を警戒しながら様子を見るが、如何せん視界が悪い。

 星や月の光が差し込まない嵐の夜に、後方の暗がりなど見えるはずもない。だが、夜目が聞くゴブリンは別である。奴らに関して言えば、この自動車に接近する障害など、吹き付ける嵐しかない。それでも、目を暗黒にならしておけば、音を頼りに察知をして、近づいてきたところを撃退はできる。

 故に、アリッサは左手に小さな棒のような魔術杖、右手には逆手にナイフを構えて、ルーフの一切ない自動車の後部座席から立ち上がる。目をつぶれば、聴覚が強調され、嵐により音の伝わりやすくなった空気中にある雑音を聞き取れる。幼いころから山の中の村で育ったアリッサにとっての雑音とは、木々が嵐ではためく音でも、自動車が泥を後方に弾き飛ばす音でもない。暗黒の中、何かが漏らす甲高い笑い声に似た息遣いと、大地を踏みしめるような音、そして、金属に雨粒がぶつかるような音——————


 次の瞬間、アリッサは左手に構えた小さな杖で横一文字に空気を払いのける。それと同時に、一節しかない短い呪文を唱えると、アリッサの目の前に十数個はあろうかという直径30センチメートル程度の灰色の魔方陣が行列のように並びだす。

 いつもは空中に打ち上げて、落ちてきた魔術を叩き切る訓練で使っているものを敵に使っているだけなのだが、その並列魔術は時に常識を覆す。


 横一線に薙ぎ祓うような『ショット』の魔術は車の相対速度のせいで、少しだけその場に置いて行かれたようにとどまり、相手の障害物となる。あくまでそう見えるだけであり、実際には後方へと射出されているため、すぐに泥の入り混じった土煙を起こす。

 だが、この程度は、レッドキャップの足止めでしかない。音を聞いていても、正確な狙いなど定まるわけもなく、当たったら幸運という程度である。故に、後部座席に追いすがるように飛び込んできた敵に対し、逆手に構えたナイフで応戦することになる。


 ところどころで刃がかけたレッドキャップの斧のような刃物が首元に迫ってくるが、アリッサはナイフを軌道上に置くことで、それをはじき返す。その瞬間、後部座席から自動車を揺らすような衝撃が横に駆け抜けるが、どちらも振り落とされはしない。それをわかっていて、アリッサは緑色の撥水コートをはためかせながら、攻撃が弾かれた衝撃で未だに空中で無防備になっている一匹目に対して、踵からの回し蹴りを放ち、再び遥か後方へと弾き飛ばす。


 「ユリア! このままじゃジリ貧!」

 「わかってる。敵の数は?」

 「たぶん2—————。今、蹴飛ばした奴も合わせて!」

 「また来そう?」

 「絶対に来る。あの程度じゃ死なない—————」


 そう言っている間に、もう一匹のレッドキャップの首を狩る一閃が暗黒を引き裂く。アリッサはそれを腰から背中を逸らすことで回避する。そして、殴りつけるようにナイフを振るうが、これは、レッドキャップの素早い動きで振り回された斧のような武器と衝突し、甲高い音を立てるだけで終わってしまう。

 だが、空中で支えるもののない相手は、アリッサの体重を乗せた力に負け、もう一度後方への闇夜に消えていく。アリッサとレッドキャップのレベル差が10程度であるため、こちらの攻撃も効いているが、やはり、決定打に程遠い。


 「ユリア! 速度を上げて! 追いつかれる!」

 「これが限界! これ以上は無理!」

 

 アリッサは、訴えかけるように、運転しているユリアに咆哮する。ユリアは叩きつけるような風雨でスカイブルーの髪を濡らし、しわの寄った眉間からあぶれた水が流れ落ちることを気にもしないほど、集中しているため、こちらの要求など飲めるわけもない。

 車の性能は馬の速度と変わらない程度のものは出ているが、それでもやはり、レッドキャプの追いすがる速度に負けてしまう。


 「ユリア! 前! 前!」


 アリッサ何かに気づいて前方を指さす。コンマ数秒の後に、役に立っているのかわからないヘッドライトで映し出されているのは氾濫している河川である。濁流のように流れているが、川幅が小さいことから、本来であれば、せせらぎ程度の流量しかない。だが、嵐を受けてそれは全てを否応なく薙ぎ払う濁流へと変化していた。

 その攻撃を受けて、作られていた前方の木製の橋は足元のみを残して、無残に食いちぎられていた。ジャンプ台のように飛ぶこともできるだろうが、この自動車にそこまでのサスペンションは存在しない。着地した瞬間に再びドライブシャフトがへし折れる可能性も大いにある。だが、今からブレーキを踏んでギリギリで止まったところで、今度はレッドキャップの襲撃を受ける。追いすがってくることで一直線上になっている現状ならまだしも、全方位の暗黒から襲い掛かられた場合、こちらに勝ち目など存在しない。

 故に、アリッサは奥歯を強く噛みしめることしかできなかった。


 だが、ユリアは絶望などしていなかった————


 眉間にしわを寄せたまま、ハンドルを片手に、もう片方の手は前方に突き出すように構え、コバルトブルーの鋭い瞳を見開く。


 「『いと慈悲深きラグナロク様。我らに聖なる加護をお与えください—————プロテクション』———ッ!!」


 人間大はあろうかという大きな黄金の魔方陣がユリアの右手より生み出されたかと思うと、前方に眩い光に包まれた透明な壁が生み出される。


 否————


 壁ではない。対岸まで伸び、濁流の上を跨ぐようにして創り出されたそれは、むしろ、道といって差し支えないだろう。

 『プロテクション』は本来、壁のように展開され、敵の攻撃や侵入を阻むための光属性の魔術である。だがそれを、ユリアは2度も全く別のものに変革してみせた。

 一度目は、布の衣のようにまとわりついた。

 二度目は、橋のように長く前方に伸びた。


 それは、もはや、アリッサの魔術の常識を覆すほど型破りであり、開いた口が閉じないほどであった。

 しかしながら、いつまでも呆けている暇などない。


 光の橋を駆け抜けるように渡っている僅かな間に、件のレッドキャップの一体がこちらに迫ってくる。レッドキャップは橋など必要ないほど、大きく跳躍し、こちらに飛び掛かるように、斧のような鋭利な刃物を縦に振り下ろして来る。

 アリッサはそれを察知し、開いた口を即座に閉じ、逆手に構えたナイフを相手の武器に合わせてぶつける。

 緑色の撥水コートのフードが受け止めた風圧でたなびき、アリッサの肩まで伸びたセミロングの結っていない茶髪の毛先たちが一瞬だけふわりと宙を舞う。同時に、橋のようなプロテクションにより下から突き上げるように放たれる閃光と重なるように闇夜に似つかわしくない桃色の瞳の残光が線を引き、アリッサの動きを追いかける。


 アリッサは、受け止めた右手のナイフごと、しゃがみ込むように腰を下ろしていき、胸元までレッドキャップを引き付けると、重なり合った刃を滑らせるようにして、斧を上から押さえつけ、がら空きとなったレッドキャップの胴体に左拳を勢いよく叩きつける。

 だが、普通のゴブリンではない彼らは往々にして戦闘経験が豊富であるが故、殴られそうになった一匹のモンスターは斧から両手を放して、先ほどのアリッサと同じように腰から背中を逸らして、アリッサの拳を回避する。

 真剣なアリッサとはニヤリと笑う一匹のモンスターはまるで、この状況を楽しんでいるかのようであった。


 だが、その表情も次の瞬間には形が歪む————

 アリッサは手を逆手に持ったナイフの柄で、体勢が完全に崩れたレッドキャップを薙ぎ払うように再度殴りつける。今度は回避できるはずもなく、命中する。だが、歴戦の猛者である彼らにクリーンヒットさせることはできない。その崩れた体勢からもアリッサの攻撃を腕で受け止めてみせる。

 しかし、体重差はアリッサの方がはるかに上であるため、車からはじき出されるように横に吹き飛んでいく。そして、弾丸のように流れ続ける濁流に接触してようやく、その怪物は自らの死を悟ることとなる。


 全てを薙ぎ払う自然の猛威は、レッドキャップも例外ではなく、コンマ数秒も経たずに遥か彼方へ体を吹き飛ばし、水の中に含まれた細かい木々の弾丸が襲い掛かる。それは、レベル40に達するレッドキャップですら死に至らしめる程のものであった。

 それを確認する由もなく、アリッサたちは光の橋を渡り終え、逃走劇を再開させる。まだ一匹、敵は残っている。


 状況は先ほどと同じように、何も見えない闇夜からの奇襲。いつ来るのかもわからない恐怖のみが背中を伝って雨と共に流れていく。


 だが、意外にもアリッサの心は落ち着いていた。


 そのせいか、出発前に聞いたあの言葉がわずかに過る。それは怒り、声を荒らげるようにして言われたヒント—————

『いいか! 魔術ってのは物理法則を捻じ曲げるもんだ。だが、物理法則を無視しているわけじゃねぇ。物理法則に囚われているが捻じ曲げているという矛盾を孕んだ代物だってことだ!』

 未だにこの言葉の意味をアリッサは理解できていない。しかしながら、解読するためのヒントをユリアから得ることはできた。

 ユリアは次々に奇想天外な魔術の使い方をする。それは、新しいことを生み出すときと同じであり、魔術もそれに似ていた。つまりは、『何をイメージし、何を成すか』ということなのだが、単純な発想だけで魔術が発動する程、甘くはない。何度も試行錯誤を繰り返すことでようやく、新しい魔術が完成する。それまでは、自らの肉体を傷つける失敗を何度も重ねることだろう。そんなことをしている暇は、逃走中の現在、当然のことながらありはしない。

 では、改変ならどうだろうか——————


 学院での授業で、魔術講師は『違う言語の違う呪文でも同じ結果になる場合がある』と言っていた。つまり、裏を返せば『同じ言語の同じ呪文でも同じ結果にはならない』ということでもある。それは魔術の発動者の力量や魔術属性、そしてイメージに左右され、僅かな差異が生まれるということに他ならない。

 これをアリッサはこの逃走劇の最中でようやく理解した。


 未だに、魔術という未知の現象の入り口に立ったに過ぎない—————


 だが、暗中模索の段階は過ぎた。手探りで公式を探る段階を通り過ぎた。あとは、目指すべき結果に対し、試行錯誤を繰り返すだけだ。


 「『魔力よ』——————」


 アリッサは後部座席に立ち上がり、暗がりに向けて一発の魔術攻撃を放つ。それは本来、ゴルフボールサイズの小さな魔力の塊を放つだけの魔術。先ほどは複数発動させたが、今度は、少しだけ強めの魔力を込める。その影響か、はたまたアリッサがイメージをしたものが違ったのか、結果がわずかに変化する。

 通常の『ショット』の魔術は、離れていれば飛んでいる軌道が目で追える。だが、今回のはそうではなく、まるで拳銃で放つ弾丸のように鋭く、そして空気を切り裂く音と共に後方の地面を抉りとる。


 思わず、アリッサから笑みがこぼれた。


 即興改変の影響から、アリッサの体が反動で後ろに少しだけのけ反ったこと考えれば、おそらくは失敗の部類に入るのだろう。だが、無意識でやってしまうのと、意図してやるのではまるで意味が違ってくる。後者であれば、もう一度同じ結果を引き起こせるからである。


 アリッサは、右手のナイフを腰の鞘へと納刀し、左手に持っていた小さな杖を両手でしっかりと握り締める。そして、もう一度同じように『ショット』を放つ。そして、今度は突っ込んでくるもう一匹のレッドキャップに向けて……


 だが、視界が悪いため、狙いも甘く、左右に動くだけで簡単に避けられてしまう。


 (もっと速く撃ち出す? 違う————。撃ち出す速度を上げたところであまり意味はない。じゃあ、上げるのは……)


 再度の『ショット』の魔術。だが、今度は一発ではない。一度の展開した魔方陣から三発の弾丸が、拍手と同じようなリズムに合わせて射出される。だが、その程度であれば、レベル40を超えるレッドキャップは倒せない。自動車に追いすがってくる怪物にはその程度の連射では意味をなさないのである。

 だがアリッサは、暗黒の中で当たった手ごたえがしないことを歯噛みするのではなく、雨粒で額から流れ落ちてくる水滴の軌道を曲げるように不敵な笑みを浮かべた。


 もっと速く—————


 もっと速く—————


 もっと速く—————


 

 ただひたすらに撃ち出すリズムを速めたいったその魔術はもはや『ショット』とは程遠い。バカげた量を保有するアリッサの体内魔力を不完全な失敗魔術が喰らい尽くすように消費していく。結果として生み出された『ショット』を別のもので例えるならばマシンガンである。

 毎秒10発——————


 マズルフラッシュじみた魔方陣から生み出されるその反動はすさまじく、本来ならブレることのない杖の先が、体の動きに合わせてわずかに上を向いてしまう。集弾性も悪く、銃としてはポンコツの部類に入るのだろう。

 だが、暗がりで元より狙いをつけられないこの状況下では、そんなことは然したる問題ではない。

 レッドキャップも圧倒的な物量で押し寄せるものを避け続けることは難しく、そして一度命中して体勢崩してしまえば、あとは今なお降り続ける雨のように、『ショット』で生み出された弾丸が次々に突き刺さっていく。そして、瞬く間に顔や体の形すらわからないほど穿たれ、肉片のみが草むらの中へと消えていく。


 そうして、最後の一匹となったレッドキャップは嵐の闇夜に消えていった——————



 アリッサは命中した感触に安堵し、胸を撫でおろす。だが、それと同時に、アドレナリンで心臓のリズムが跳ね上がっていること気づく。そして同時に、手先の感覚を取り戻したのか、両手で握っていた杖のあまりの熱さに思わず手を放してしまう。


 「熱っ—————」


 足元に落ちた杖は燻る木材のように、振り続ける雨と反応して不完全燃焼の白い煙を立ち昇らせては収まっていった。気づけば、杖先が明らかに短くなっている。おそらく、連射しているうちに『ショット』による圧縮熱が溜まり続けて耐えられなくなっったのだろう。

 半分ほどになった杖を拾い上げようとすると、さらにもう半分程度が粉々に砕け散り、炭のような粉だけが足元に残る。


 それを確認した瞬間、緊張で後々に押し付けていた疲労が体を襲い、アリッサはため息とともに後部座席に座り込んだ。撥水コートの上からでもわかるぐらい雨の冷たさが体に伝わってくるが、火照った体を覚ますにはちょうどよかった。


 「ド派手にこわしたねぇー」

 「購買のおじさんにどやされるなー」


 運転しながらこちらをバックミラー越しにのぞき込んで笑うユリアの顔が容易に想像できたため、アリッサは思わず眉間にしわが寄ってしまう。


 「でも、お疲れ様……」

 「うん……。本当に死ぬかと思った————」

 「最初出てきたときは、やっぱりレッドキャップかぁって思った」

 「ユリア、それはどういうこと?」

 「旧ダベルズ市街でみた壁の血の痕跡と、道中のゴースト系のモンスターからかなぁ……確証はなかったから言わなかったけど」

 「あの……確証なくてもいいから言ってほしかった……。最初は、ユリアが子供を車で跳ね飛ばしたのかと思ったんだから……」

 「たはは……ごめんごめん」

 「なんか、安心したら疲れた……」


 肩の力を抜き、腰を座席に深く沈み込めるアリッサを見て、ユリアは思わず笑みを浮かべる。


 「寝てていいよ。モンスターと遭遇したら起こすから」

 「寝れるわけないでしょ……」

 「どっちが原因で?」

 「どっちも!!」


 思わず、頬を膨らませて、空元気を見せるように声を張り上げるが、体は想像以上に重い。意識が途切れる程ではないが、倦怠感は拭えない。だが、現状で休めるような環境にはない。

 いつまた襲撃されるかもわからない。そして、ルーフのないこの自動車は、いわば雨ざらしである。叩きつけるような雨風の中で寝れば、倦怠感が病気に変化することは確定的である。

 故に、アリッサは悪態をつけながらも、激しく上下に揺れる座席の上で奪われていく体温と体力を実感しながら、座り続けることしかできなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る