第38話 すべての人の心に花を-38

 玄関の扉を閉めると、朝夢見が心配そうに見つめていた。しのぶは、朝夢見の肩に掴まったまま、泣いている。由起子は笑顔で応えながら、二人に近づいた。

「さぁ、帰りましょ」

「もう、いいの?」

「今日は、もういいわ。また、今度」

「今度だって」

朝夢見がしのぶにそう告げると、しのぶはしゃくりあげながら頷いた。

 三人はたどたどしくその場を立ち去った。由起子は振り返って、家の様子を伺った。追ってくる気配はない。中から様子を伺っている気配すらない。由起子は一層確信を持って振り向いた。しのぶは泣きじゃくっている。朝夢見がそれを宥めている。由起子は笑顔でしのぶの背をさすった。

 電車の通過する音が聞こえてくる、静かな住宅街。三人は、ゆっくりと、日常に戻るために歩みを進めた。


          *


 マンションに戻ると、由起子はさっさとお茶の支度をした。まだ所在なさげなしのぶのことが朝夢見は心配で仕方なかった。そんな朝夢見に、由起子は快活な声で、

「今日は、ゆっくりしていって」と言った。

「よかったら、ご飯食べていって」

「あ、はい」

「ね、大勢のほうが楽しいわ。そうでしょ、しのぶちゃん」

ちょっとウインクをしながら、由起子はしのぶに問い掛けた。しのぶは、しばらく由起子の方を見ていたが、小さく、こくりと頷いた。由起子はその仕草を見て頷くと、いそいそと台所へ入っていった。


          *


 その頃、矢島は、行きつけの喫茶店に入った。奥の席に近づくと、そこには、以前、しのぶを連れ戻そうとしたチンピラの二人が待っていた。

「おぅ、待たせたな」

「いえ。矢島さん、今日は、何の用ですか?」

「なに、こないだの件だけど、また、頼むわ」

「こないだの、っていうと、あの、しのぶちゃんですか?あれは勘弁してくださいよ」

「なんだ?」

「だって、見てくださいよ、まだ治んないんですよ」

一人が頬に貼った絆創膏を指して言った。

「あいつは、バケモンですよ」

「ガキだろ。たかが、中坊じゃねえか。そんなのに、ナメられて、どうすんだ」

「だけど、吹っ飛ばされたんですよ。何メートルか。顎の骨が、砕けたかと思ったんスから」

「情けねえヤツだ。じゃあ、大勢で行けよ」

「え」

「頭数揃えて行きゃあ、いいじゃねえか」

「そんな…」

「なんか、文句あんのか?」

「いえ…」

矢島に睨まれて、チンピラは黙った。矢島は煙草を吹かしながら呟いた。

「あの女、ナメやがって…」

「なんスか?」

「いや、こっちのことだ」

煙草の灰を落としながら、俯きがちに応えた。その仕草を黙って見つめていた男は、恐る恐る訊ねた。

「でも、そんなに、あの、しのぶって子、大事なんですか?」

矢島は薄笑いを浮かべながら答えた。

「あぁ、大事だ」

「やっぱ、靖江さんが帰って来て欲しがってるんですか?」

「まぁな。……大事な、金ヅルだからな」

「は?」

「まぁ、気にすんな。オレたちにも事情があるんだ」

「はぁ」

「頼んだぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る