第三章 帝国との戦い
プロローグ
王都にある魔術学院。
その研究施設がある待合室のソファに、色黒の大柄な女性が座っていた。
彼女の名はドギァ。
かつて王国最強の冒険者パーティー、女神の天秤のリーダーだった女性だ
「よう」
待合室の扉が開き、ローブを纏った男性が姿を現す。
それを見て、笑顔で彼女は片手を上げる。
「珍しいな。ドギァが俺を訪ねて来るなんて」
ローブの男性の名はトーヤ。
彼もまた、女神の天秤の一員だった人物だ。
「まあ、ちょっとね。所で、そっちの人は?」
トーヤと共に入って来た見慣れぬローブの男性に気付き、彼女が尋ねる。
「俺の学院時代の後輩さ。最近冒険者を引退したらしくてな、今は俺の助手を務めて貰っている。一緒にいたから、ついでにお前に紹介しとこうと思って連れて来た」
「お初にお目にかかります。ケネスと申します。ドギァさんのお噂はかねがね伺っていますので、こうしてお会いできた事を光栄に思います」
紹介されたケネスは、一歩前に出て丁寧に腰を曲げてお辞儀する。
それは一部の隙もない完璧な所作だった。
「光栄に思われるほどの人間じゃないんだけどね、私は」
「御謙遜を」
「こいつ。冒険者としては今一だけど、研究者としてはなかなかのもんだぜ」
「先輩達と比べられたら、殆どの冒険者が今一になってしまいますよ」
「ははは。まあそうだな」
トーヤとケネスがドギァの向かいに座り、そこからたわいない会話が続く。
中身は概ね、お互いの近況を伝え合うと言った物だった。
「で?今日は何で訪ねて来たんだ?」
一通りの近況報告が終わった所で、トーヤは改めて来訪の理由をドギァに尋ねる。
旧友が只訪ねて来ただけともとれる行動ではあるが、彼女の表情から、何かがあった事を彼は鋭く見抜いていた。
「実は……レアの事なんだけど」
「彼女がどうかしたのか?」
「ああ。彼女の実家、クロス家から連絡があった。ダンジョンに向かったまま、もう2週間も帰って来ていないそうだ」
レアは剣姫と呼ばれるほどの冒険者ではあったが、その出は貴族の令嬢だ。
当然彼女の両親は、本当は娘を冒険者にしたくなどなかった。
普通の令嬢として平穏な人生を送る。
それは当たり前の考えだろう。
だがレアの強い熱意と、類稀なる才能からそれを許してしまっている。
そして女神の天秤の壊滅。
娘の無事を喜び。
そして無くなった冒険者達には悪いが、これで娘は足を洗ってくれる。
そう両親は考えていた。
だが彼女はそんな思いとは裏腹に、冒険者を止める所か更なる危険に身を投じだしてしまう。
仲間を救うため、ソロでダンジョンを制覇すると言う無謀に。
当然両親はそれに大反対している。
だが、残して来た仲間を切り捨てるならば死ぬ。
そう言い切ったレアの強い決意の前に、二人は折れざる得なかった。
そしてその事を今、彼女の両親は死ぬ程後悔する事になる。
「2週間か……」
トーヤが顔を顰めた。
パーティーならいざ知らず、単独での2週間未帰還はほぼ絶望的に近い状態だからだ。
「俺達にレアを探せと?」
「ああ、そう依頼された」
「受けたのか?」
「もちろん……断ったよ」
苦虫を噛み潰した様な顔で、ドギァはトーヤの問いに答えた。
「どう考えてもあたし達二人じゃ無理だからね」
仮にレアが生きているとして、居るとすればそれは最下層だ。
彼らの実力なら、二人だけでもたどり着くこと自体は可能だろう。
だが仮に最下層にたどり着いたとしても、危機的状況に陥っているであろうレアを救う事など、どう考えても不可能だ。
彼らだけで向かえば、逆に自分達が魔物によって蹂躙されかねない。
かつての仲間の元へ駆け付けたい。
そんな強い思いを殺し、ドギァは断腸の思いで依頼を断っている。
「冒険者パーティーを複数雇うというのでは駄目なのでしょうか?」
話に横入りするの形でケネスが口を挟む。
数の暴力で何とか出来るのではないかと、彼は考えた様だ。
「それで何とかなれば苦労はしないさ」
ケネスの提案を、トーヤはぴしゃりと跳ねのけた。
「何故です?」
「腕のいい人間が集まらないからだ」
最下層に連れていくならば、下層で常時狩りを出来るレベルのパーティーでなければ話にならない。
だがそういった者達は得てして慎重であり、レア探索という無謀な最下層への侵入に手を貸す事はないだろう。
「まあ報酬に釣らて来る様な雑魚なら用意出来るだろうが、そんな奴らは役には立たない。蹴散らされて終わりだ」
自分の身を最低限守れる力がなければ、最下層の魔物に蹂躙されるのは目に見えていた。
トーヤは実体験からそれを良く知っている。
「成程。俺の考えている以上に、最下層は厳しい所の様ですね」
「ああ。しっかりとしたメンバーと。完璧な連携がなければあそこでの活動はできない。まあ仮にそれが揃ったとしても……」
「揃ったとしても?」
「……最下層は馬鹿みたいに広いんだよ。万全の状態でも見つけ出すなんて無理だ」
下層までとは違い、最下層の広さは出鱈目だった。
どこにいるのか?
その方角すら分からない以上、行方不明者を見つけ出すのは不可能な事だった。
「私がレアを説得できてさえいれば……パーティーを壊滅させ、今度はレアまで死なせてしまった。本当に無能だよ。私は」
ドギァは当然、レアの単独攻略には反対していた。
それこそ彼女を止めるため、何度も説得を繰り返したほどだ。
もっと自分が強く諫めていれば。
ドギァはそう思わずにはいられなかった
「ドギァのせいじゃないさ。あいつの決意は固かった。誰にも止めようがなかったんだよ」
「分かってる。でも……やっぱり後悔せずにはいられないよ。せめて彼女の相棒が来るまでは、自重する様に強く説得しておけば良かった」
「レアの相棒?」
トーヤが眉を顰める。
単独行動していたレアに、相棒が出来たなど初耳だったからだ。
「ああ、あんたには話してなかったね。フィーナの幼馴染さ。カーナスの冒険者アドル。レアはそいつと組むつもりだったみたい」
「アドルが!?」
その名を聞き、驚愕の声を上げたのはトーヤではなくケネスだった。
剣姫とアドルに接触があったという噂を、ケネスも以前耳にしている。
それはレアがアドルをスカウトに来たという、荒唐無稽な馬鹿げた内容だった。
当然弱かった頃のアドルを物差しに考えていたケネスは、その時は下らない噂だと一笑に付している。
だがそれが事実であったと知り、彼は驚きを隠せなかった。
「知り合いか?」
「俺が……追放した仲間の話を覚えていますか?」
「ああ。確かそいつが抜けてから運気に見放されて、最終的に解散したんだったっけか?」
「それが……アドルです」
ケネスは苦々しく言葉吐き出す。
彼は緋色の剣を強くしたかった。
だが幸運にこだわるアドルがいたのでは、それが出来ない。
そう判断し、ケネスはアドルを追放したのだ。
その結果、運気に見放された緋色の剣は最終的に解散してしまっている。
もしアドルを追放せず、他の手段を模索していればこんな事にならなかったのではないか?
そんな苦い後悔が、今でもケネスの胸中には渦巻いていた。
「……詳しく事情を聴くつもりはないが、そいつは強いのか?」
「弱かったです。追放した時点では」
「時点では?」
ケネスの言葉にトーヤが訝し気に聞き返す。
「彼を追放して1年程たった頃に、俺達のパーティーは人を集めて中層のエリアボス討伐挑んでいます 」
「失敗したんだっけか」
「はい」
失敗など、するはずはなかった。
ケネスはそう心の中で呟く。
彼らが準備した討伐隊は、過剰なほどの戦力だった。
初めての試みであるため、多少報酬が目減りしても確実に倒す布陣で緋色の剣は挑んでいる。
それが上手く行けば、定期的にエリアボス討伐を組んで行くはずだった。
だがありえない事態に見舞われ、討伐は失敗してしまう。
そこでリーダーのギャンを失い。
更にシーフのアミュンが大勢の前でアドルを刺して、貴重なアイテムを強奪して行方を眩ましてしまっている。
それはケネスにとって、正に悪夢としか言い様のない事態だった。
「討伐隊の布陣は大きく崩れ、そのまま撤退していれば大きな被害を被っていました。そんな俺達を、アドルが救ってくれたんです」
「ほう……」
「ある程度弱らせていたとはいえ、彼はエビルツリーをたったの一撃で倒しています」
それはケネスの知るアドルでは考えられない強さだった。
あるいはパーティーを組んでいた時、実は実力を隠していたのでは?
そうケネスが疑ってしまう程に。
「1年での急成長か。流石レアが見込んだ男だけあるな」
「けど……間に合わなければ意味はないよ。レアはもう……」
「そうだな」
興味本位でトーヤはケネスに話を聞いたが、如何にアドルが強くとも、もはやそれは何の意味もない事だった。
何故なら、レアはもう生存が絶望的な状態なのだから。
暗い雰囲気の中、その場は解散される。
「アドル……か」
仕事を終え。
狭い自室のベッドに身を投げ出したケネスが呟く。
彼の頭の中は昼間の話でいっぱいだった。
「……アババに連絡を……いや、無駄か」
一瞬、アドルなら剣姫を助けられるのでは?
彼はそんな考えてしまったが、その妄想を頭から追い払う。
カーナスから王都までは、10日の距離がある。
仮に今現在レアが生きのびていたとしても、10日後まではもたないだろう。
そもそも彼が今この場にいたとして、レアを見つけ出す事など出来る訳がないのだ。
馬鹿げた考えだと、ケネスは自嘲する。
「奇跡なんて、起きる訳がない」
もしアドルがレアを救えたとしたなら、それは間違いなく奇跡だろう。
だがそんな物は起こりはしない。
ケネスは奇跡など、人の妄想が生み出す馬鹿げ物だと思っている。
だが翌日。
そんな彼が、奇跡を感じる事になる。
王都内でアドルと再会した事で。
まるでレアを救うために現れた彼の姿に、ケネスは奇跡を強く期待してしまうのだった。
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