Goodbye my earth -おじさんが85.85pc(280光年)ほど遠くへ攫われちゃったお話-

ARM

プロローグ

自家用車での通勤をしていると、カーオーディオでかけている曲を口ずさんでしまうことがよくある。再生リストの中でも特にお気に入りの歌となれば、必然的に熱が入り、気付けば大口を開けてシャウトをしていたりもする。大抵は何となく気恥ずかしくなり、そこで歌うのをやめるのだが……。まれにノリに乗った状態のときに、信号待ちで並んだ他のドライバーと目が合い、猛烈に恥ずかしい思いをする、なんてこともある。世のマイカー通勤ニスト達には、同じ経験をしている方も多いかもしれない。そんな風にして、ほぼ丸十年通いなれた道を走り、本日も無事に勤務先へとたどり着いた。

自分の勤める会社は、半導体関連製造ライン用の産業機械装置、内燃機関の試験設備の製造、並びに設置やメンテナンス等の下請けを主な生業とする小さな会社である。広いとも言えないし、隙間とも言い切れない微妙な界隈の業種であり、それなりに多忙であるものの、繁忙閑散の格差はなかなか激しい。時には半月以上仕事がないなんて事もままある。給料的な話でも、決して多い方とは言えず、「もっと寄こしてもいいのよ?」などと思う事もないわけではない。だが、常々愚痴となって口を突くほど酷い待遇でもなく、極めて普通。人間関係は良好だったし。日々和気あいあいとした、いわゆる笑顔あふれる明るく楽しい職場、というやつだ。少なくとも自分のいた部署は。

 そんな特段の不満もなく、ありふれた日常を平々凡々と生きてきた自分は、なぜか、なにゆえにかはわからないが、今現在一人の少女と無人島でふたり暮らしをしている。一体なぜこんなことになってしまったのか。


◆ ◆ ◆ ◆


 梅雨も明けきらないしめっぽい夏。それは設備の機能拡張と、改修作業のため入った客先での仕事だった。入社以来、何度も繰り返してきた作業を黙々と進め、切りのいいところで中間チェックをはじめた時のこと。にわかに照明が消え、室内は小さな非常灯に切り替わる。それから一瞬の間があり、地鳴りのような低周波が建屋を揺らしたため、自分は「やれやれまたか」とため息をついた。

 これと言った地場産業もなく、以前はどこにでもある農村地域だったこの一帯。それは昭和の初め頃、田園部より高く位置した丘の上が工業団地として開発され、当時の有力企業などが積極的に誘致された。やがて団地は大きく成長し、人口増加や流通経済インフラの拡充と、様々な恩恵をこの地へもたらすこととなる。現在では、用地面積を当初の十倍以上に拡張され、より様々な企業が参入してくるようになっている。バブル崩壊後も、地域税収のかなめを堅持し続け、当時の隆盛こそ失われたが、産業の火は消えずに今でも灯り続けている。そんな区画の外縁に、広大な土地を保有する某企業、L技研は、この国の主要産業の一端を担う世界でも有数の巨大企業だ。この土地が具体的にどのくらい広大なのかと言えば、その総敷地面積は約六十六ヘクタールを有し、彼の東京ドームがほぼ十四個すっぽり収まるというだだっ広い土地だ。

 その日、そんな大企業の研究棟区画にある部門の一室に自分はいた。周囲の地形や、この土地特有の気象条件が引き起こすものなのか、詳しい理由は分からないが、現場周辺の土地は梅雨の時期や夏場において頻繁に集中豪雨が発生し、その様相はしばしばすさまじい物となる。うず高く積みあがる雷雲は、毎秒のように雷鳴をとどろかせ、同時にもたらされる激しい雨には小粒で大量の雹が混ざることも多い。まさに絵にかいたようなスーパーセルを引き起こすのだ。

 敷地内は言うに及ばず、周辺道路の側溝は水口みなくちを雹でふさがれる。となれば、排水はことごとく阻害されてしまい、小規模ながら洪水の様相を呈することもある。そうなると路面は雹で埋め尽くされ、短時間ではあるが、一時的に交通もマヒ状態に近いものになったりもした。しかし、近隣の住民や企業の従業員にとっては最早風物詩のようなものなので、大きな混乱は生じない。

 ときに三センチ程度降り積もる雹により、あたり一帯が雪景色のような状態になって、ようやく雨脚が弱まる頃。団地内総合管理協会や町などによって、除雪車両や重機が派遣され、この事態は収拾される。範囲が限られているということもあるが、その対応や処理は極めて迅速である。局所的に敷かれた交通規制もあっという間に解除され、数時間で一帯は平穏を取り戻すのだった。この時期はそんな状況がひと月ほど続くことになる。もともと対応策が講じられているとはいえ、インフラの回復にかかるコストはそれなりに大きいだろう。しかし、事態を放置した場合に引き起こされる損失と比較すれば、それも微々たるものであろうことは想像に難くない。

 というわけでこの時期は、ほぼ毎日十三時ごろになると、そのような荒天に見舞われるのだ。しかし長くとも二時間ほどでそれも収まり、上空からは雲の切れ間より薄明光線はくめいこうせんが差し込みはじめる。幻想的で美しいその光景が嫌いではなかった自分は、十五時の休憩時間になるとラウンジへ繰り出し、自販機で購入したコーヒーを飲みながら、度々窓の外の景色に見入っていた。

 世界的企業ともなれば、社員への福利厚生も実に充実したものだ。広大なラウンジには間柱などもなく、三角ベース程度なら対角二面で遊べるくらいのゆとりがある。南側に面した壁は、一面が天井にまで届く強化ガラス張り構造となっており、自動車ディーラーのショールームスペースを思わせる作りとなっていた。そんなスペースが各棟に一つか二つあるというのだから羨ましい。

 この嵐の二時間は、いつもひどい停電に見舞われるので、作業がほとんど進まなくなってしまう。そのためこの時間は、実質休憩時間のようになっている。ほかの同僚や現場の社員も、ラウンジにやって来ては、就業時間中であるにもかかわらず、思い思いに時間を過ごすのが常である。

 今作業の日程は七日間あり、予定では本日が最終日ではあった。だがここ五日程は、前述のような状態が続いているため、全体の進捗は芳しくない。おかげで残りの作業をあと半日でこなすのはまず不可能な状態だ。おかげで各人員の間には、すっかり諦めムードが蔓延している。

 そこで状況を鑑みた技研の責任者が、この時間を緊急ミーティングに割り当て、各出入り業者の責任者たちを交えた意見交換が行われる運びとなった。元々遅延の可能性があることは、各出入り業者からも再三言われていたはずなのだ。それがよりによって最終日になってから慌てはじめるのだから、遅すぎる対応だと言わざるを得ない。……などとも思うが、そもそも発注者の意向と下請けの都合などは比べるべくもなく。こちらとしても今更文句を言う気は起きない。毎度のことだし言うだけ無駄なのだ。まあ無駄ではあるが、元の受注金額に手間賃を含めた結構な上乗せが入るから、マシな方だろう。この辺は大企業様様である。

 各業者の都合が絡む中、侃々諤々かんかんがくがくの議論が行われ、会議は長引くかと思われた。しかし、「まぁ予備日もあるから」という技研側の偉い人の言により、全体の期限を更に二日延長するということで話は纏まる。世に言う鶴の一声というのはこういうことを指すのだろう。

 そうしている間に雨脚も弱まり、落雷の頻度もだいぶ大人しくなって来た。まだやることは沢山残っているし、電力の復旧に伴って作業場へ戻ろうと思った矢先、事件は起こったのだ。

 景色を眺めていた窓際を離れ、ラウンジの出口を目指して二、三歩歩みを進めた瞬間。背後で通常の落雷とは比較にならない爆音が轟いた。同時に強烈な閃光が室内を白く染め、自分の視界は完全に奪われることになる。やがて、窓ガラスを突き破って来た衝撃波のようなものに吹き飛ばされた自分は、全身に及ぶ鈍痛と浮遊感に包まれ、記憶が途切れた。

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