第108話・亡者の煩悩。



紀伊和佐又山城 畠山高政


「殿、高野山の僧兵も山中に降ったようです」

「・・なんと!!」


 ここのところ信じられない事が続いている。

少し前に南紀田辺の目良から援軍の要請があった。大和の山中が田辺を攻めてくる様子だと言う。由良の東の山本や安宅は、領界を介してお互いに侵略を繰り返している間柄で直接援軍を頼めないのだろう。

しかし相手は隣人では無くて大和からの外敵だ。ここは協力し合って撃退するべきだろうと儂から両者に使者を出した。儂からの要請であれば、山本や安宅も従うだろう。


ところが戻って来た使者が意外な事を言う。


「安宅・山本共に既に山中領となっています」

「なんだと?」


「しかも、堀内や周参見の水軍も山中兵に混じっております」

「どう言う事だ?」

「分かりませぬ」


 その訳は各地に使者を放って判明した。どうやら南紀の殆どを既に山中が制圧したようだ。この上に田辺の目良まで山中に抑えられては厄介だ。

儂の要請に応じて上洛する手勢が減るのだ、それでは困る。

そこで日高郡の湯川直光に援軍を出すように要請した、強力な湯川衆が援軍をこぞって出せば山中とて手が出せぬだろう。


だが、その期待も呆気な無く裏切られた。

目良が討たれた。それもあっという間の出来事だったらしい。おまけに玉置と龍神が山中に降ったと言う。


なんて事だ、これで紀伊の南は全て山中領となったのだ!

ところが事態は、それだけでは無く我が足元まで及んだのだ。


根来寺が僧兵を放出して、それに対抗していた高野山も僧兵を出した。

これはこれで良い。両寺の支配が緩めば、周辺の国人衆は守護の儂の命に従う筈だ。それならば、南紀で失った勢力を挽回できる。


ところが、両寺の放出した僧兵を山中が吸収しているというのだ。

儂もそうしたい。

そうしたいが数千の兵を食わせるのには、途轍もない兵糧と銭がいる。今の儂の領地ではとても無理だ、それは分かっている。今更だが河内・和泉の失った領地があればな・・


 しかし儂は紀伊国守護だぞ。何故、我が領地が奪われるのを黙って見ていなければならぬ。

おのれ、山中!

 今に見ておれ!!



紀伊吐前城・津田照算(元杉の坊院主)

 今、紀伊国は混乱している。特に中小の国人衆の混乱が大きい。その混乱には津田家も関わっていた。

津田家は根来寺座主の決定に従って、根来寺から僧兵を吐前城下に引き上げ、坊舍も解体して移築させた。我らに賛同する国人衆の多くもそうした。

その結果、数千にも及ぶ僧兵達が解雇されて放出されたが、根来寺の要請に応じて殆どの者を山中家が受け入れたようだ。


根来寺の武装放棄は、山中家の説得があっての事だ。それで根来寺の依頼に応じた山中家が、任を解かれた傭兵達を受け入れたのだ。経済的に豊かな山中家だからこそ出来る芸当だ。それを見た国人衆の多くは山中家に臣従しようとしている。


「算正どの、我らも考えなければなりませぬぞ」

「山中への臣従か」


「左様です」

「それは分かっておる。儂とて山中様の統治に不安は無いが、踏み切れぬのだ」


 山中に臣従すれば領地は召し上げられる。それが大きな足枷となっているのだ。優柔不断なのは長男の性だと聞いた事がある。従兄弟の算正どのはそれだな。いつも決断までに時間が掛かる。

まあそれだけ慎重なと言う事で、悪い事では無い。


「踏み越えなされ、算正どの。世間ではもう既に津田家は山中家と行動を共にすると思われております。ここで津田家が態度を明らかにしなければ、紀伊の混乱は収まりませぬぞ」


 なにせ、叔父で前当主の津田算長にしても山中の五條城に行きっぱなしなのだ。

根来寺の火縄銃の多くがそこに運ばれていく、叔父は山中兵の砲術指南役をしているのだ。その前は南都に長く滞在して帰らぬし、某に根来寺から戻れと言って来たのも叔父だ。寺が兵を持ち武装する時代は終わった。我らは山中に従うべきだ言っていた。


つまり叔父は、津田家は山中の旗本で良いと言っているのだ。

 当主を継いだ従兄弟の算正どのも何度か五條や南都に行っており、山中様や藤内殿と懇意で山中の統治を良く知っているのだ。


「・・うむ、分かった。五條に使者を出せ。いや、儂が直接行こう。山中様にお会いして臣従する」

「留守は某にお任せを」


「うむ、畠山様に注意を怠るでないぞ」

「承知」



高野山と敵対していた根来寺の僧兵は五千もいた。だがこれが戦時には一万にも膨れあがる。そしてその半数は火縄銃を持っているのだ。実に強力な勢力だ。


 その根来寺は今、大変革期を迎えていた。

根来禅介座主が武力放棄を決め、それに応じた僧兵頭の杉の坊照算を始めとした多数の僧兵が山内を退出している。無数の僧坊が取り壊されて更地と化して、山内に人が急速にいなくなっていた。


 中小の国人衆が運営する根来寺の僧坊は、坊舍五百と言われるほど無数にある。その中で突出しているのが筆頭の津田家で、杉の坊を中心に七十ほどの坊舍を持っていた。その杉の坊が撤退すると多くの国人衆もそれに従い、数日の内に四百程の坊舍が消えていたのだ。


根来寺の方針として、僧兵は退去させるが仏道を追求する坊舍の存在は任意であった。だが根来寺の坊舍は僧兵の住まいという意味が強く、兵のいない坊舍を残す国人衆は少なかった。


しかし一千ほどの僧兵らがまだ残っている。彼らは身の振り方を思案中なのだ。根来寺とて急いで退去せよとは言っていない。方針を決めてあとは各僧坊に任せている状況なのだ。



 根来寺 成真院


「我らはどうしますかな院主」

「さて、どうするかのう・・」


 成真院の院主・根来大善(霜盛重)の国元は和泉熊取谷である。成真院は五十の僧兵を抱える僧坊で、根来寺の中でも影響力のある僧坊である。



「何にせよ、今までの奉仕にも関わらずに、頭ごなしの命には納得が行かぬ」

「左様で御座いますな。どうやら栄山坊らの入れ知恵の様ですな」

「うむ、座主の盟友だか何だか知らぬが余計な事を・・」

「大和屋の動きも考えると、背後には大和の山中がおるようですな」


「山中か、成り上がり者の横やりだな、どうにも腹が煮える、許せぬ・・」

「今回の事は畠山様も不承知の様ですぜ。一泡吹かせてやりますか」

「どうやる?」

「何、簡単でさあ、奴らが集ったときに山から撃ちかければ宜しい」


「我らに危険は無いか?」

「根来には五千の火縄がありますぜ、どこの誰が撃ったかなど分かりますまい」

「・・そうだな」

「院主は素知らぬ顔で、委細某にお任せを」


「だがどうも我らだけでは覚つかぬな、雑賀の者も巻き込むが良い」

「なるほど、その方が確実だ」


 雑賀の者も根来寺に坊舍を持ちそれなりの勢力がある。まだ退去していない坊舍だ。守護畠山様の命に一緒に働く事が多く、親密な間柄だ。火縄の数も多く、腕は彼らの方が勝っているのだ。


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