第95話・くノ一楓の推測。


 井口は人を連れてすぐに戻ってきた。それはなんと浜に上陸した堀内隊を挟撃すべく山越えで向かった田井殿と土井殿だ。

良かった、生きておられたか。

思わず二人の手を握りしめた。


「小笠原殿、我ら山で待ち伏せに遭って、あっという間に突き倒されたのだ」

「左様、山中隊は強い、恐るべき強さだ。我ら倍でも勝てぬ強さだ。それが良く分かった」


 白地に山の旗、本城や大野城・八幡山城に揚った旗は山中という隊の旗らしい。それが上陸隊攻撃の遊軍を襲ったのだ。


「山中隊とは?」


「おう、我らも知らなかったのだ。聞けば、あっという間に大和を制圧して、十津川の山々を越えて、一千ばかりの兵で堀内の他に南紀の殆どを臣従させた者らしい。既に山本も半刻で壊滅したと言う」

「そればかりではないぞ。南都の興福寺が膝を屈し、高野山も気を使っているそうだ」


「・・そのようなことが」

「我らもそう思った。だが、嘘や詭弁ではないらしい。末端の兵までもが殿に抗えば踏み潰されると信じている。安宅や目良や畠山様まで全く問題にしていないのだ。それほど山中は恐ろしいらしい」

「僻地故に南紀の国人は所領を安堵される。大和では所領はすべて没収されたそうだ。これは嘘か真か分からぬが、堀内も所領を返上したという」


「なんとそれ程に・・で・では、お二方の隊は全滅されたのか・・」

「いや、棒や竹槍で叩かれ突き倒されたのだ。殆どの兵が生きておる」

「うむ、儂らが人質に取られて兵は縛られて放置されているのじゃ。山中の兵が解放しに向かったで、間もなく降りて来よう」


「左様でしたか・・」

「おう、小笠原殿が降伏されるのは良い思案じゃ。戦えば確実に負ける」

「ともかく、いま降伏すればそなたの所領は安堵すると言われている。どうじゃな?」


「所領を安堵されるのならば某に否応はありませぬ。我らは降伏します」

「良し。ならばそのまま城下に向かい指示を待つのじゃ」

「儂らは、勝山城と大向出城に使者に立つ。またあとでな」


 三人は勝山城に向かった。我らは気持ちを切り替えて、整列して城下に向かった。



 城下の日置川河川敷に着いた。降伏した隊はこちらに集るように言われたのだ。山から田井殿と土井殿の兵が降りてきていた。皆、焦燥した顔で座り込んでいる。顔や首に打撲跡が目に付く。


 ガラガラと城下から荷車が列をなして出て来た。大量の薪や釜を積んでいる。どうやら炊き出しが始まるようだ。少々肌寒い、火を炊くのは歓迎だ。我らは無傷だ、兵に竈作りを手伝わせた。

 山中の兵は城下の広場に集まっているようだ。そちらでも同じように煙が上がっている。


「おう、小笠原殿か。お互い生きておりましたな」


 八幡山城に詰めていた小山隊が戻ってきた。城を降りて右岸に進出していた隊だ。手足を痛めている者が多い、肩に縋り背負われている者もいる、悲惨な状況だ。背後から山中隊の突撃を喰らったのだ。


 堀内隊が来た!


 堂々と行進してくる先頭が堀内とその直属の兵だ。噂通りの見るからに屈強な兵だ。血に染まっている者もいるが歴戦の勇者というに相応しい男達だ。

だが後に続く兵は負傷者が相当数いる。さらに船が川を上がって来てそこから重傷者や死者が大勢戸板で運ばれている。

 山からの遊軍は山中隊に阻止されたが、堀内隊は上陸したところを前後から挟撃されたのだ。さぞ激戦だったろう、大勢の死傷者が出たのだ。彼らの顔が悲惨な戦場を物語っている。



 その後に続いている隊がいる。堀内隊と戦った大野隊・福田隊の残兵だ、百ほどの彼らはこちらに来る。二百五十はいた兵で、なんとか歩けるのはそれだけか・・

 戸板に乗っている者に気付き、儂は走り寄った。


「大野殿、ご無事でありましたか」安宅の重鎮・執事の大野五兵衛殿だ。


「おお、小笠原殿か。儂は大丈夫じゃ。だが福田殿、三木殿は討死なされた。兵も半数は死んだ・・」

「それほどに・・・」


 やはり堀内隊は強かったのだ。前後で挟撃しても結局は負けたのだ。相当な被害は与えたようだが、


「勝山城の兵が降りてきます!」


 土井殿らの説得により、勝山城が降伏を受け入れたのだ。矢田隊、並木隊が降りてくる。

 後は大向出城か、周り全てが降伏したこの状態では、降伏するしか手は無かろう。

 これで安宅家は、堀内に・いや大和の山中に完全に屈服したのだ。




 安宅本城・主殿の納戸の中


 締められた納戸の中は真っ暗だ。後ろ手に縛られた綱は固く、縄抜けを使っても解けそうにない。奴らはそういう心得がある者たちだ。闇の中に侍女に混じって由紀様の匂いが漂っている。幸いに縛られたのは手足のみで口は聞ける。囁くように声を出した。


「由紀様、お怪我は御座いませぬか?」

「お腹を打たれたが怪我は無いようです。楓はどうかです?」


「あたいは大丈夫だ、何ともねえ」

「それにしても、楓と互角の戦いをする者を初めて見ました」

「あたいより強い者は結構いるだよ。けんどあれ程の奴らが皆手強いなんて初めて・・」

「とにかく彼らは只者では無いですね。堀内が雇った者らか」


 奴らは傭兵か。雑賀衆や根来寺のように銭で武力を売る傭兵なのか?


「わかんねえ、だっども、あたい、嫌な予感がするだ」

「そうですね。戦の最中に本城を奪われたのです。ここに伏兵が居た、戦場の状況もどうなっているか分からぬ」


 由紀様が言う事はまだ甘いと思った。こう簡単に本城を奪われたと言う事は、こちらの動きを読まれているのだ。戦も負ける可能性が大きい。いやもう負けているのかも知れぬ。そう考えた方がすんなりするぞ。


 それにしても、我らの扱いが腑に落ちぬ。かなり丁重な扱いだ、気が高ぶった戦場なのだ。普通ならもっと荒々しく扱われるだろう。

 お館様に対する人質か・・それで丁重なのか?


「妾らはどうなると思うな?」

「女は戦の戦利品だ。乱暴して売られるのが普通だんべ、」

「ひぃーー」

そこで侍女達が泣き出した。

「静かになさい。泣いても無駄です」

「それにしては扱いが気になるだ・・ちょっと聞いてみるべ」


 猿轡も噛まされていないのだ。この扱いなら、話が出来るかも知れぬと思った。膝で納戸を蹴った。つっかい棒がされている感じが伝わってくる。


「なんだ、厠か?」と外から声が掛かる。

「それもあるが、話を聞きたい」

「・・・待て」


 しばらく掛かった。どうやら上役に聞きに言ったようだ。待てと言うからには望みがあるのだ。



「妙な真似をしたら躊躇なく切るぞ。それで何が知りたい」


ゴリゴリと納戸が少し開けられ、隙間から見える精悍な男が言った。

野袴に獣の半袖、脇差しと背負った短弓と矢、手には一間ほどの棒、それが彼ら共通の姿だ。身のこなしから相当な武芸を嗜んでいるのが分かる。忍びとは違うが、忍びの身ごなしに近いものがある。


「お前達は堀内に雇われた傭兵か?」

「違う。我らは殿の直属だ。傭兵などでは無い」


「直属・、殿とは誰だ?」

「我らの殿は・・山中勇三郎様だ」

「山中・・大和の山中か?」

「ほう、知っておったか。そうだ」


「楓、大和の山中とは誰です」

「今年になって大和を席捲した者だ。松永の家臣と聞いただ」

「大和、それが何故ここに来たのです?」


 由紀様の問いにあたいは答えられない。ここは、奴らに聞くだけだ。


「大和の山中は新宮の堀内と手を結んだのか」

「違う。堀内殿は殿に敗れて臣従したのだ。それで殿の命を受けて南紀をまとめている」


「堀内が臣従って・・まさか」

「楓、あの堀内が臣従するなど妾には信じられぬ」

「あたいも」


 俄には信じられない。だが、大和を制圧した山中が広大な大峰の山を越えて兵を送って来たとしたら、南紀の片隅を支配する堀内や安宅では敵せぬかも知れないだ。


「安宅はどうなる?」

「残念だが、間も無く安宅家は終わる」

「あぁぁー」と再び侍女がすすり泣き出す。うるさいな。


「あたいらはどうなる?」

「・・・」


 見張りはそこで口をつぐんだ。ということは言いにくい事と相場が決まっている。


「へん、喋れねえか。どうせ女は弄んで売り飛ばすのだろう」


「ふふ、それも良いな。だが戦が終わったら解放しても良いぞ」


 ふと声が変った。後に背の高い男が来ている。その男は奴らを指揮していた一人だ。ひょっとしたら山中本人か、手にあたいの苦無を持っている。返せよ。


「それはあたいのだ。解放の引き替えは何だべ?」

「そなたの名と素性を話せ」


 あたいの名と素性。そんなものを聞いてどうするだ。里を襲うつもりか、普通の国人衆では無理でも大和の山中には出来る。話してはいけない、里の事は、


「名は楓だ。里の事は掟で話せねえ」

「ほう、楓か、良い名だ。春の新緑も秋の色づきも素晴らしい。生命力も強く粘り強い。お前にぴったりの良い名だ」


 何を言ってやがる。こいつ、本当に山中本人か、・・だがその身から出る剣気は並では無い。恐ろしく腕が立つ、廻りの者とは段違いだ。あたいではまるっきし相手が出来ない。いや父上でも到底無理だ。


「里の掟か、ならば聞かぬ。その替わり儂に仕えよ。勿論充分な給金を弾む。どうだ」

「そんな事言って、体目当てだろ。嫌だね、まっぴらご免だよ」

「はっはっは、下心を見透かされたか。ならばこうしよう、儂の奥に仕えよ。それで捕えた由紀姫を始め皆の命を助ける」


「・・承知した」

 ・・畜生、断れねえじゃないか。由紀様を助けるのがあたいの役目だ。



「よし、納戸から出せ、手足も解け。皆自分の物をもって親元に帰れ。まだ外は物騒だ、我が兵に送らせよう」


 なんと、嘘の様に解放され苦無も戻してくれた。

 と言う事は戦が終わったのか・・


「殿は・・」

「ああ、残念だが安宅殿は関船と共に炎上した。多くの者が巡ってきた戦国の習いだ。儂の番もその内来る。諦めてくれ」


 由紀様は湊の見える縁に駆け寄った。御座船はもう黒焦げとなって悲しげに高く煙を上げている。既に湊は堀内の船で埋められている。右岸には堀内の兵、城下には白地に山の旗の兵がいる。城にはその大旗が立ち、大野城と八幡山城のもその旗が靡いている。

 戦が終わったのだ。安宅家が滅んだ。もう安宅の殿はいない。


左岸から整列した隊が進んでくる。小笠原殿と矢田殿、並木殿もいる。他にも土井、田井、大野の旗もある。


「どうやら大勢の兵が助かった様ですね。良かった」

「由紀様・・」

「私なら大丈夫です。殿とは好き合った間柄では無く、政略婚で子供も無く僅かな時を重ねただけでした」


「「お方様っっ」」解放された侍女らが由紀様に縋りついて、オイオイと泣き崩れた。

 まったく泣いてばかり・・あたいは、あたいだって泣きたいのよ・・

まったく、もう・・

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