第10話




 セイラはクラリスがアスランの中身を丸ごと愛していると言ったが、とんでもない誤解である。クラリスはアスランを愛したことなどない。

 なのに、このところ周囲がクラリスをまるで聖女であるかのように扱うので心が痛い。そもそも、原因であるアスランの豹変はクラリスの願いのせいだ。


(もう、元に戻そう……)


 それが一番だ。

 そう決意して、クラリスは小瓶をぎゅっと握った。


「アスランを、元に……」


 その先が、口から出てこなかった。


 ここ数日、真面目なアスランは他の女性を寄せ付けず、女の子アスランはクラリスをみつけると嬉しそうに駆け寄ってきて、ワイルドアスランは黒馬に乗ってクラリスを迎えにきた。

 元の、本物のアスランはそんなことしない。

 本物のアスランに戻ったら、またたくさんの女の子に囲まれて、クラリスなんかどうでもよくなる。


(別に……それでかまわないし……)


 そう思うのに、小瓶に願いを唱えることが出来なかった。


(なんで……?)


 自分の部屋で小瓶と睨みあっていると、母のマルティナが入ってきた。


「クラリス。噂で聞いたのだけれど、アスラン様が最近おかしいとか……」

「えー……ええ。でも、一時的なものですよ。すぐに元に戻ります」


 クラリスは慌てて小瓶を隠して言った。


「そう? もしも、アスラン様に何かされたり言われたりしたらすぐに言うのよ。どんな手を使ってでも婚約を白紙にさせるわ」


 マルティナはおっとりした風情には似合わぬ激しい気性の持ち主である。目が爛々と燃えていた。


「大丈夫です……そんなに気にしないでください」

「気にするわよ。だって、クラリスは小さい頃からずっと「素敵な恋人を作るのが夢」だったじゃない」


 悩ましげな溜め息とともに言われたそれに、クラリスは顔をしかめた。


「子供の頃の話です」

「あらぁ、でも、よく理想の恋人の条件を語っていたでしょう? やさしくて、でも他の女の子には見向きもしないで、クラリスを見つけたら駆け寄ってきてくれて、馬の後ろに乗せてくれる人。でしょ」


 幼い頃の恥ずかしい話を出されて、クラリスは嫌なことを思い出した。母の言う通り、幼い頃のクラリスは誰彼かまわず「理想の恋人」の話をしていた気がする。幼い頃にあまりにそんな話ばかりしていたがために、人より早く枯れてしまったのかと思うくらい。

 だがある時、兄に「条件が多すぎだ。欲張りな女は嫌われるぞ」と言われて、結局「やさしくてかっこいい人」に落ち着いたのだった。

 苦い思いで俯いたクラリスは、ふと、気がついた。


 やさしくて、でも他の女の子には見向きもしないで、クラリスを見つけたら駆け寄ってきてくれて、馬の後ろに乗せてくれる人。


 クラリス以外の女の子を寄せ付けず、クラリスを見つけると嬉しそうに駆け寄ってきて、馬に乗って迎えにきてくれたアスラン。


 クラリスはさーっと青ざめた。


(願いって……)


 小瓶は本当に、クラリスの願いを叶えていたのだ。クラリス本人さえ、忘れていた願いを。



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