第59話 三つ巴(2)
その日、ユージーン・セローは領地の老朽化した橋の修繕費の補助金申請のために王城内の庁舎に来ていた。
書類仕事なら配下に任せてもいいのだが、新米侯爵としては自分で覚えたいことも多い。ユージーンの勤勉さが彼をこの場所に導き……衝撃の事実を耳に飛び込ませた。
「そんな悠長な態度だから、フルールは使節団に入るなんて言い出したんじゃないか!」
知った名前を叫ぶ声に、ユージーンは足を止めた。腕に抱えた書類がするりと零れ、風に乗って宙に運ばれていく。
「……今の話は、本当でしょうか?」
盗み聞きの会話に割って入る無礼を、若き侯爵は我知らず犯していた。
突然声を掛けてきた若者に、ヴィンセントは怪訝な顔をした。
「君は……?」
「セロー侯爵だよ」
あっさり答えたのは、ユージーンではなくセドリックだった。驚きに目を見合わせるヴィンセントとマティアスに、セドリックは憮然と頬を膨らませた。
「何? 僕が自国の諸侯の顔と名前を覚えていることが、そんなに珍しい?」
彼はこういうところが王家の子息だ。
「ちなみにセロー侯爵はフルールの学園の同期生で、目下彼女に粉掛けまくってる人」
……このリサーチ力がセドリックのセドリックたる所以だ。
「君は……いや、失礼しました。貴方がセロー侯爵閣下ですか。ヴィンセント・ブランジェです。妹がお世話になっております」
ヴィンセントの方が年上だが、公爵令息とはいえ彼は騎士だ。現役侯爵の方が地位が高いので、礼節を守る。
畏まって敬礼するヴィンセントに、ユージーンは困ったように眉を下げた。
「どうか楽になさってください、ヴィンセント卿。お会いできて光栄です。私のことはユージーンと」
想い人の兄と握手を交わしてから、侯爵は第二王子に向き直る。
「ご無礼をお許しください、セドリック殿下。御身に忠誠を」
膝をつき王族への敬意を払うユージーンに、「そーゆーのいいから」とセドリックは面倒臭げに起立を促す。
「して、フルールが使節団に入るとは一体……?」
ようやく本題に戻ったヴィンセントに、セドリックは「それだよ!」と食いついた。
「エリカおば様が大使を務める南側諸国使節団にフルールが入りたいって名乗り出たって!」
眼を見張るヴィンセントとユージーンに、セドリックは苦虫を噛み潰した顔で、切々と述べる。
「大陸の南側なんて、ちょっと前まで紛争地帯だったんだよ。危険すぎる。それに、旅程は二年だけど、状況に因ったら何年掛かるか解らないし。そもそも二年て長くない? 何百日あると思ってんの? 僕、フルール不足で死んじゃうよ!」
それから、王国の騎士をキッと睨んで、
「ヴィンセント卿、なんで手を
「……殿下、それは犯罪教唆では……」
冷静にツッコむマティアスに、
「後で僕が颯爽と救い出すから問題ないの!」
セドリックは支離滅裂な
「とにかく! 僕は政府側からフルールの使節団入りを阻止するよ。場合によっては、使節団の派遣自体を潰すから。君達もフルールを説得して。君達は敵だけど、僕は支配者だから、大義のためなら利益相反の人間とも手を組んであげる」
それだけ言い捨てると、悪巧みな王子はさっさと王宮へと帰っていく。秘書官はその場に留まる貴人に一礼して、主を追いかける。
ヴィンセントは軍人らしく姿勢正しくユージーンに向き直った。
「セドリック殿下はああ仰っていたが……。ユージーン卿、私は貴卿と組む気はありません。妹とのことは、自分で決着をつけますので」
ヴィンセントがブランジェ家の養子であることは、社交界では周知の事実だ。そして、王太子との婚約破棄後のフルールの一番の花婿候補が彼であることも。
ユージーンは切れ長の目を静かに細めた。
「ええ。私も、そうします」
二人の男の視線の間に、不可視の火花が飛ぶ。
表面上は穏やかに会釈を交わし……二人は別れた。
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