第38話 運命の夜会(7)

『フルール嬢を、我が妻にいただきたい』


 ネイトの言葉に、一瞬時が止まった。


「それは……」


 気色ばんで一歩踏み出そうとしたヴィンセントを手で制し、アルフォンスはネイトに顔を向けた。


「それは本気なのかね?」


「ええ。冗談でこのようなことは言いません」


 にこやかな青年に、公爵は今度はシンクレア辺境伯に視線を移した。


「ジェフリー卿、これは貴方のご意向でもあらせられるか?」


「勿論。ご息女は大変優秀な女性と聞いております。我が息子の伴侶として迎えられたらシンクレア家も安泰ですぞ」


 ブランジェ家当主は顎を撫ででむうと唸ると、愛娘を振り返った。


「フルール、そなたはどうだ?」


 水を向けられ、令嬢は眉尻を下げる。


「お気持ちはありがたく存じます。ただ……、急なことで戸惑っております」


 アルフォンスは一つ頷くと、また辺境伯親子に向き直った。


「ジェフリー卿、お申し出は大変光栄です。しかし、娘の将来のこと。この場でお答えは出来かねます。後日、改めてブランジェ家としてお返事致します」


「色好い返事をお待ちしてますぞ、アルフォンス卿」


 踵を返す初老のシンクレア辺境伯に、ネイトもブランジェ一家に一礼して、


「フルール嬢、良い夜を」


 ゾクリと震えるほど艶のある声で言い残し、去っていく。


「……なんだ、あいつは」


 むっと歯噛みして、ヴィンセントはフルールの肩を抱き寄せる。


「父上、今のは……」


「ヴィンセント」


 悪態をつきかけた義息子を、父が遮る。


「今は宴を楽しもうじゃないか。フルールは少し寒そうだな。あちらにホットレモネードのボウルが出てたから、二人で行ってきなさい」


 醜聞を期待する耳に囲まれている中で、迂闊なことは言えない。アルフォンスの指示に従い、ヴィンセントはフルールの手を引いてビバレッジカウンターへと向かった。


「あなた」


 公爵がほっと一息つくと、ワインのグラスを片手に夫人のミランダが近づいてくる。ほろ酔いに頬を火照らせた彼女は、上機嫌だ。


「久し振りに女学校時代のお友達に会ってお喋りに夢中になってしまったわ。ヴィンセントが一緒じゃなかったの?」


「ああ。今、フルールと飲み物を取りに行ったよ」


「そう」


 ブランジェ公爵夫人はふふっと思い出し笑いをする。


「お友達に、ヴィンスとフルールのことたくさん自慢しちゃったわ。わたくし達は素晴らしい子供達に恵まれて幸せよね」


「……そうだな」


 柔らかく目を細め嬉しそうに夫を見上げる妻は、どんなに年を経ても美しいままだと、アルフォンスは心底そう思う。


「ミランダを落とすのにも大層な努力が必要だったが……。うちの娘は、母よりも激戦かもしれんぞ」


「え?」


 夫の呟きを聞き取れず首を傾げるミランダに苦笑して、アルフォンスは手を差し出した。


「踊ろう。ブランジェ家の華はフルールだけではないと見せつけねば」


「まあ、アルフォンスったら」


 娘によく似た顔でコロコロ笑うと、ミランダは夫の手を取った。


◆ ◇ ◆ ◇


 肩で風を切るように大股で堂々と歩く初老の紳士に、周囲の人は一歩下がって道を譲ってしまう。

 ジェフリー・シンクレア辺境伯。中央社交界に滅多に現れない国家の重鎮を、皆、畏怖を込めた眼差しで見守っている。


「……あれがフルール・ブランジェか」


 小さく零した声に、息子が顔を寄せる。


「いかがでした?」


 対面の感想を訊くと、辺境伯は鹿爪らしい顔で、


「即答せず、言質も取らせず、返事の猶予をもらう。実に模範的な回答だ。優柔不断なのか、それとも計算ずくなのか……しかし」


 そこまで言ってから、意味深に唇を歪めた。


「あの娘、臆することなく人の目を見て喋りおる。背筋も伸びて姿勢正しい。さすが、アルフォンス・ブランジェの娘、肝が据わっておる。ただの綺麗な人形ではなさそうだ。お前が家督を継ぐ気になったのも窺えるな」


「彼女のライバルは大物が多くて、こちらも相応の権力で応戦しようと思いましてね」


 うそぶく息子の思惑など、どうでもいい。ジェフリーにとっては、ネイトが自分の後継者として領地に戻る決意をしたことが重要だ。


「まあ、せいぜい頑張りなさい。シンクレア家こちらとしても、中央に権力を持つブランジェ家と縁が出来るのは利がある」


「ええ。ご協力感謝します」


 親子というより、狸と狐の化かし合いのような会話だ。

 目的を果たしたシンクレア辺境伯は、つまらないパーティー会場を早々に後にした。

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