第3話 騎士ヴィンセント

 ノックもせずにフルールの自室に飛び込んできたのは──


「ヴィンセントお兄様!」


 ──だった。

 ヴィンセント・ブランジェ。フルールに似た金髪碧眼の彼は、彼女の五歳年上の従兄、そして義理の兄でもある。彼の実の親はブランジェ公爵家現当主の姉夫婦だ。

 ブランジェ公爵夫妻の実子はフルールだけなので、姉夫婦の三男だったヴィンセントが公爵家の跡取りとして養子に迎えられたのだ。

 彼は今、王国騎士団に所属しながら、ブランジェ公爵の仕事を手伝っている。


「王宮で話を聞いて飛んで帰ってきた。フルール、なんて可哀想に!」


 ヴィンセントは義妹を抱き締める。

 彼がブランジェの姓になったのは十歳の頃。実家では末っ子だったヴィンセントは、いきなり出来た五歳の妹を大層溺愛した。そしてそれは、現在も変わらない。


「お前には何の落ち度もないのに、一方的に婚約破棄するなんて。王太子殿下も酷なことをなさる! ああ、愛しい妹よ。花のかんばぜがこんなにやつれて──」


 ヴィンセントはフルールの頬を両手で包み、顔を上げさせて……。


「──ない?」


 はて、と首を捻った。

 彼の妹は血色も良く、とても健康そうだ。


「ご心配ありがとう、お兄様。わたくしは元気よ」


 微笑んでみせるフルールに、ヴィンセントの方が泣きそうになる。


「本当に? 無理してないか? 生まれた時から十八年間許嫁であった殿下に裏切られたんだぞ。辛くないわけがないじゃないか」


 多分、普通はそうなのだろうけど……。


「本当に大丈夫よ、ヴィンセントお兄様」


 不思議とフルールはまったく落ち込んでいなかった。

 しかし、明るい表情がまた健気に見えて、ヴィンセントの胸は痛くなる。


「王宮では今、ブランジェ公爵ちちうえが呼ばれ、国王陛下を交えて婚約破棄の仔細が話し合われている」


「まあ……」


 フルールが暇を持て余している間に、大事おおごとになっていた。


「公の場で公爵令嬢を貶める真似をしたんだ。あちらが謝っても、こちらに許す気はない。もう二度と、お前に王太子を近づけさせない」


 断固たる決意のヴィンセントだったが、


「お兄様、わたくしは本当に何も気にしてませんの」


 妹は全然平気だった。


「……フルール、強がることはない」


 ヴィンセントはフルールの両手を取った。


「もう余所の男になど渡さない。これからはこの兄が……ヴィンセントが、お前を護る」


 騎士である彼は、令嬢の手の甲に誓いの口づけをする。


「私と結婚しよう、フルール。ずっとお前が好きだった」


「ひぇ!?」


 傍らで見守っていた執事のエリックが、思わず驚愕の声を上げて、慌てて口をつぐむ。

 そして……驚いたのはフルールだって同じだ。


「お兄様、何を仰ってるの? わたくし達は兄妹で……」


「実際は従兄妹だ。何の問題もない」


 ヴィンセントは握った手に力を籠める。


「出会った時から、私はお前を妹以上の気持ちで愛してきた。この度の婚約破棄は、ブランジェ家にとっては僥倖。私とフルールが結婚すれば、直系の愛娘を手放さずにすんで父上も母上もお喜びになるだろう。私なら、お前を泣かせない。宝物のように大事にする。今までも、これからも」


「お兄様……」


 ヴィンセントがフルールを大切にしてきたことは、彼女自身がよく知っている。

 だけど……。


「すぐに結論を出さなくても構わない」


 言葉の出ないフルールに困ったように微笑み、ヴィンセントは額にキスを落とした。


「ただ、私の心は常にお前にあることを忘れないでくれ。我が最愛の人よ」


 もう一度彼女の細い身体を抱き締め、そして離れた。


「では、私は王宮に戻る。エリック、フルールの面倒を頼むぞ」


「畏まりました」


 執事が恭しく見送る中、騎士はマントを翻し去っていく。

 ……ヴィンセントの唇の感触が残る額が熱い。


「お、お嬢様!?」


 エリックの狼狽える声を聞きながら、フルールはへなへなとその場に崩れ落ちた。

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